恋人姉妹はバイノーラルにキスをする
彩歌姉妹がバイノーラルをダシにいちゃいちゃするお話
平日の夜、彩歌さくらは姉のもみじと日課のように姉の部屋でくつろいでいた。
ベッドにうつ伏せになったままスマホをいじるさくらに、もみじが唐突に話しかける。
「さくら、バイノーラル音声って知ってる?」
「バイノーラル? なにそれ」
「立体音声のひとつなんだけど、まるで耳元で実際に喋っているように聞こえる音声のこと」
「それって普通にイヤホンで聴くのと何が違うの?」
「えっと、何て言えばいいのかな、たとえばこうやって顔を近づけて話すのと」
もみじがさくらに正面から顔を近づけたあと、耳の方へ回る。
「こうやって耳のところで話すのって聞こえ方が違うよね」
「……うん」
もみじはさくらの耳元で話し続ける。
「声って鼓膜から聞こえてくる音と、骨伝導で聞こえてくる音があるらしくて、ただ近くの声を聞くのと耳元で聞く声は違った聞こえ方になるんだって」
「う、うん。分かったから離れて」
耳のそばでずっと声を聞いているとくすぐったくてむずがゆくなる。さくらがもみじを遠ざけようと顔を逸らすが、そんな態度はさらにもみじの行為に拍車をかけるだけだった。
もみじはさらに唇を耳に近づけて声を転がす。
「だ・か・ら、バイノーラル音声を録音するときは特別なマイクを使って耳元で聞こえる音をそのまま拾えるようにするんだよ」
「へ、へぇ」
「イヤホン型のマイクを耳にはめたまま録音したり、耳の形を模したマイクに向かって喋ったりと色々あるんだけど、やっぱりお金がかかるんだよね。収録の仕方とかも詳しくないしさ」
「なんか収録したかったみたいに聞こえるんだけど」
「したかった、じゃなくて今からするんだよ」
もみじはさっと体を離すとクローゼットから黒い物体を取り出した。小さな三脚の上部に長細いマイクが取り付けられていて、マイク部分の手前にポップガードと呼ばれるブレスノイズを防ぐ円形の網がセットされている。「じゃーん」とベッドの上に置かれたそれをさくらはまじまじと見た。
「どしたのそのマイク」
「アマ○ンで安いの買っちゃった。ダイナミックマイクって言うんだって」
「またそんな無駄遣いして」
「ムダじゃないよ。さくらの可愛い声を録るための投資だよ。って言っても数千円だけど」
「十分高いよ……」
「いやいや、マイクとかの音響設備は良いのを求めれば求めるほど際限なく高くなるんだから数千円なんてまだまだ」
「高いのを買おうとしなかったのは評価してあげる」
「でしょ~? というわけで、今から録音するよ」
上機嫌でノートパソコンにマイクを接続し始めるもみじの背中をさくらの言葉がばっさりと切り裂く。
「ヤダ」
「うぇぇっ!? なんで!?」
「……恥ずかしいし」
「もっと恥ずかしいこと毎日いっぱいしてるのに?」
「いっぱいはしてない!」
「そう? キスとか一日に4、5回はしてる気がするけど?」
「き、キスは慣れたから……」
「じゃあ録音も慣れるまでやろう」
「やらない」
「なんでなんで? ぱぱっとマイクの前で喋るだけだよ?」
「……私の声がずっと残るんでしょ? そのデータをもみじねぇが持ってるっていうのがヤダ」
「ヤダってなに!? 恋人の声をいつでも聞けるようにしようとして何が悪いの!?」
「悪いっていうか恥ずかしいんだって……」
いっこうに首を縦に振らないさくらに、もみじは唇を尖らせた。
「私がこれだけお願いしてるのになんでそんなに嫌がるの」
「言うほどお願いされてないけど」
「あーそーですか。じゃあもう実力行使にでるしかないね」
「ぼ、暴力反対」
「私がさくらに暴力ふるうわけないじゃん。ただ誠心誠意お願いするだけ」
身を守ろうと腕をばってんの形にしたさくらに、もみじは抱き着いた。
「――――」
もみじはそのままさくらの耳に唇が触れるほど顔を近づける。
「ね、さくらの声、録らせて?」
「い、息がかかってくすぐったい――」
もみじはわざと息を多めにして囁く。
「これから受験勉強とか忙しくなったときにさくらの声を聴けたら頑張れると思うんだ。さくらを側に感じられるときが私が一番力を出せるときだから。インターハイの予選でいいところまで行けたのもさくらが応援に来てくれたお陰なんだよ。でも試験のときさくらが来るわけにはいかないでしょ? だから、せめて声だけでも近くに感じていたい」
もみじが囁くたびにさくらの顔と耳が赤みを増していく。
「あ、う……」
あとちょっとで堕ちる。そう確信したもみじはさくらの耳たぶを唇で挟んだ。そして舌先で耳たぶをちろちろと舐め始める。
「ちょ、も、もみじねぇ――!?」
最初は舌でひっかく程度だったが徐々に耳たぶ全体に舌を這わせ、ペロペロキャンディーを食べるかのごとく耳たぶを舌と唇で弄び続ける。
「ま、まって――」
吸う音や舐める音を大きくたてられる度にさくらは制止しようとするが、もみじはそんなことでは止まらない。
ベッドに押し倒されたような体勢で耳をなぶられ続け、さくらがついに降参した。
「わ、わかった! 録音する! 録音するから!」
「はぁ~い」
マイクのセッティングをし始めた姉の背中を睨みながら、さくらはティッシュで自分の耳を拭いた。
(もう、人の耳をべちょべちょにするだけしといて……!)
拭きながら舐められた感覚がよみがえり、さくらはまた顔を染めた。
座卓にノートパソコンとマイクを置き、接続と準備を終えたもみじが振り返る。
「ほい、じゃあさくらこっちきて~」
さくらはマイクと向かい合うように座卓の前の座布団に腰を降ろした。すぐ隣ではもみじがパソコンで録音ソフトを操作している。
「じゃあスタートって言ったらマイクに向かって話しかけてね」
「え、何を話せばいいの?」
「うーん、無難に『おねえちゃん大好き』とか」
「へ!?」
「とりあえず一回録ってみよっか。いくよ?」
「いや待って――」
「スタート!」
部屋が静まり返る。さくらはおそるおそるマイクに向かって話しかけた。
「お、おねえ、ちゃん、だ、だ、だ、だい……き……」
「カットカット! なにその喋り方! もっと一息で一気に喋ってよ~」
「そ、そんなこと言われたって普段そんな、だ、だい……とか言わないし!」
「言ってなくても思ってたら言えるでしょ?」
「う……」
「さくら、私のこと好きじゃないの?」
「…………好き、だよ」
「大好き?」
「う、うん、まぁ」
「返事するんじゃなくて、『大好き』って言って?」
「………………だ、大、好き……」
湯気が出そうなほどさくらの顔が赤くなり、俯いた。普段言葉で明確に気持ちを伝えることが少ないからこそ恥ずかしい。
「私も、さくらのこと大好きだよ」
反対にもみじの表情はすっきりとしている。もみじにとって気持ちを伝えることはごく当たり前のことで、そこにはなんの照れも恥じらいもない。
「うん。じゃあお手本を見せてあげよっか」
もみじがすっとさくらの耳元に顔を寄せ、ウィスパーボイスで呟く。
「さくら……大好き」
「――――」
さくらの脳がくらりと揺れた。耳元で『好き』と言われる破壊力のすさまじさを目の当たりにし、さくらは緩んでしまいそうになる頬をきゅっと引き締めた。
「同じようにマイク前で言えばいいだけだから。ね?」
「……やってみる」
さくらは改めてマイクに向き直った。マイクの場所に姉の耳があると自分に言い聞かせ、ポップガードに唇を近づける。
うまく喋れるとは思っていない。人前で喋るのは苦手だし、セリフを練習したこともない。だが、気持ちを込めることに関していえば誰よりもその言葉に気持ちを込められる。
「……お、おねえちゃん、大好き」
まだ少しぎこちないものの、恥ずかしさのなかに姉への想いが感じられる囁きだった。
「ど、どう?」
さくらが姉の方を窺ってみると、そこには鼻頭をつまんでいるもみじの姿があった。
「なにやってるの……?」
「鼻血出るかと思って」
「出さないでよ!」
もみじが鼻を抑えたまま片手でパソコンを操作する。
「いやぁ、もう最高。その調子で何個か別パターンいってみよっか」
「まだ録るの……?」
「さくらの色んな『好き』が聴きたいの。こういうときじゃないとたくさん聴けないから」
「……普段でも言ってくれれば言うのに」
「ん? 何か言った?」
「なんでもない。あんまり遅くならないうちに終わらせるからね」
「わかってるって。そんじゃ次はもっと甘えた感じで言ってみて~」
「甘えた感じ……」
「お手本いる?」
「いらない! ひとりでやるから! ……ヘタでも怒らないでよ」
「だいじょーぶ。さくらの声が聴けるだけで私は幸せだから」
「…………いつでも始めていいよ」
「おっけー。じゃあいくよ? よーい、スタート!」
録音が終わり、録ったボイスをイヤホンで聴きながらもみじがほくほく顔で言った。
「あ~……これ聴いてるだけでドーパミンやらエンドルフィンやらで脳が溶けていきそう……」
「はいはい、もういいでしょ? そろそろ私部屋に戻るよ」
「ちなみにさくらは私の声いらないの? 欲しいなら録音するけど」
「………………大丈夫」
返答には間があった。欲しい自分とねだるのが恥ずかしい自分が戦ったことは明らかだった。
「そう? まぁ欲しかったら言ってくれればいつでも録ってデータ渡すから。――さて、それじゃあ収録を終えた声優さんにギャラをあげないとね」
「え? お金とかいいよ」
「お金ではなく現物での支給となりまーす」
「現物? 食べ物?」
もみじがちっちと舌を鳴らし、にやりと笑う。
「キ・ス」
「え、っと……」
もみじはさくらの両肩をがっしりと掴む。
「口と舌が疲れたでしょ? 私が丁寧にマッサージしてあげるからね」
「いや全然疲れてないけど」
「遠慮しなくていいから。さくらも好き好き言い過ぎてそろそろ我慢できなくなったよね? よね?」
「もみじねぇ目が怖い」
「私は好き好き聴きすぎてそろそろ我慢ができなくなりました」
「ギャラの体はどこいった!?」
「まぁまぁ、部屋に戻るならおやすみのキスは必要だし、私は今最高にキスがしたいし、さくらも多分絶対キスしたいだろうしもういいよねキスしてもはいもうキスします」
「ん――!?」
さくらの返事を待たずにもみじは唇を重ねた。マッサージと言っただけあり、舌をさくらの口腔内に侵入させて積極的に絡ませる。さくらも最初こそ抵抗する素振りを見せたものの、すぐに姉の舌に自らの舌を絡ませ、表情をとろんと緩ませる。
舌を動かす度に、唇がわずかに離れる度にイヤらしい水音が奏でられる。もみじがキスをしたままパソコンに手を伸ばした。
「……ん……キスの音、録音していい?」
「……ヤダって言ってもするんでしょ?」
「うん」
「……じゃあ好きにして」
「ありがと」
もみじが録音開始ボタンをクリックした。あらためてキスが再開される。
自分たちのキスの音が録音されていると思うと恥ずかしいことこのうえないのだが、正直さくらにはキスをしている間は他のことを考える余裕はなく、唇と舌から与えられる刺激を処理するのに精一杯だった。
そうして数分にも及ぶキスの音を録り終わりその確認時、あまりにも生々しい痴態の音の数々にさくらは顔をこれ以上ないほど赤くして自室へと帰っていった。
後日、さくらともみじがそれぞれ自分の部屋で宿題や自習をしていたとき。さくらの部屋に勢いよくもみじが飛び込んできた。
「どしたの、もみじねぇ……?」
おそるおそる伺うさくらに、もみじは目を見開き大股で近づいていく。
「どうしたもこうしたもないよ」
「なにが?」
もみじはさくらの机の横まで来るとバンと両手をついた。
「あんな音声聴いててまともに勉強できるわけないじゃん!!」
「知らないよっ!! もみじねぇが勉強捗るから録りたいって言ったんでしょ!?」
「あーもうダメ。無理。音だけじゃなくて本当にキスしないと死ぬ」
「自業自得。部屋に帰って私の声を聴かずに勉強しなさい」
「やーだー! さくらとキスしないと勉強できなーいー!」
「声抑えて! またお母さんに怒られるよ」
「うー、じゃあキスして?」
「…………」
さくらは無視してノートに向かう。
「こんな悶々としてたら勉強に身が入らないから、キスして?」
「…………」
「さくらが近くにいるときはやっぱりさくら自身から元気をもらうのが一番だと思うんだ。だからキスして?」
「…………」
「このまま勉強できなかったら希望の大学にもいけないしさくらと離れ離れになるかもしれないんだよ? いいの? よくないよね? キスして?」
「あー、もうっ! 軽くだからね!」
「やったー」
姉にキスをしながら、この調子だと試験当日もぎりぎりまでキスをねだられそう、と静かに悟るさくらだった。
終