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姉妹の恋の前日譚

彩歌姉妹が恋人になるその前夜のお話

『前編 妹さくらの場合』



 私があの人を好きだってことは、絶対に知られちゃいけないんだ。


 私は焦っていた。入学したばかりの高校の授業についていけてないとか、中学からの仲が良かった友達の半数以上と離れてしまいクラスメイトと打ち解けられないとか、そういう次元の話ではない。

 時間がない。ベッドに寝転んだままスマホのカレンダーをスライドさせながら、私は歯噛みをする。

 私にとって高校生活はまだ三年もあるが、三年生にとってはあと一年しかない。そんなこと口にするまでもなく当たり前なのだが、その当たり前が腹立たしい。

 どうして神様は時間を平等にしてくれなかったのだろう。どうして二年も間をあけてしまったのだろう。どうして、同じ両親から生まれさせたのだろう。

 まくらに顔を突っ伏して大きなため息を吐く。暗い視界のなかで浮かび上がる顔があった。優しくあたたかいその笑顔は心に思い浮かべるだけで気持ちをホッとさせる。

「おねえちゃん……」

私が思わず呟いてしまったとき、部屋のドアがノックされた。ハッと顔を上げドアの方へ向ける。

「さーくら、入るよー?」

 ドアを開けて入ってきたのは私の姉、彩歌もみじだ。ふわりとカールがかかったセミロングの髪。まんまるの大きな目とすっと通った鼻筋。凛々しさと愛嬌の交ざりあったような顔は年齢相応のこどもっぽさと、どこか大人びた雰囲気を感じさせる。簡単に言えば、誰が見ても『かわいくて美人』だ。他の誰よりも近くで見てきた私がそう断言する。

「なに?」

 素っ気ない私の返事に姉が目をぱちぱちとさせる。

「あれ、寝てた?」

「別に横になってただけ。ごはん?」

「そそ。早く下りといでよ」

 用件は伝えたとばかりに姉は部屋を出ていった。ドアが閉まり、足音が階段を下りていくのを聞きながら、私は体を起こした。

 こうやって姉が晩ごはんを呼びに来てくれるのもあと一年。

 そう考えるだけで胸の内側が締め付けられ、押し出されるように口からため息が零れてしまう。

 部屋を出る前に姿見で自分の顔を確認する。

 変に落ち込んだ顔をしていては、きっと姉に心配されてしまう。いつも通り、普段通り、普通の妹でいなければ。

 私は軽く両頬を叩いてから、自室を後にした。


 私こと彩歌(あやうた)さくらは、実姉である彩歌もみじのことが好きである。

 家族愛や姉妹愛があるように妹が姉を好きなことは何もおかしくはない。私自身、最近までこの感情は家族に対するそれなのだと疑ってすらいなかった。

 でも違う。私が抱いたこの想いは親愛とは別種のものだ。姉とずっと一緒にいたい。二人で街に出掛けたり、旅行に行ったり、寝食を共にしたい。今もだいたい同じような状況と言われればその通りだけど、それはあくまで家族・姉妹としての行動にすぎない。

 もっとこう、恋人同士ならではのあれやそれやがあるではないか。いやらしい意味じゃなくて、なんというかこう……これ以上はやめておこう。

 しかし自分の想いに気付いたのと同時に、私のこの感情は決して抱いてはいけないことも分かっていた。同性ということだけではない。実の姉に対する恋慕など、許されるはずがない。

 だから私は、何があってもこの想いを隠すことにした。弾けて燃えそうになる心を厚い表情で覆い、素知らぬ顔で会話をする。一刻も早くこんな感情は忘れるべきだ。

言うは易し。どれだけ固い決意で臨もうとも、姉の笑顔を前にするたびにあふれ出てくるものを押さえ込むことは出来なかった。

 結局私は現状を変えることも出来ず、普通の姉妹としての今を受け入れている。

 その日常も、あと一年。

 高校を卒業したら大学へ行くという姉は、一人暮らしをするつもりらしい。勉強、サークル、バイト……きっと実家に帰ってくる頻度も少なくなるだろう。

 それで良いんだと言う自分がいる。離れることで時間が経てば気持ちも薄らいでいくかもしれない。あるべき姉妹の形に戻れるじゃないか。

 それは嫌だという自分がいる。離れたくない。ヤだ。イヤだ。これまでずっと一緒だったのに、その当たり前がなくなるのなんて嫌だ。

 どうするのが正しいのだろうか。

 答えなんて出ない。出るわけがない。だからこそこうやって悩んでいるのだ。

 私は隣で晩御飯を前に箸を動かしている姉をちらと盗み見る。

 おいしそうに顔をほころばせパクつく姿に私まで頬が緩みそうになり誤魔化すようにごはんをかきこんだ。

 夕食後、お風呂から上がると居間のソファに姉の後ろ姿を見つけた。テレビを見ているのだと思ったらその頭がゆらゆらと揺れている。回り込んでみるとどうやら寝落ちしかけているようだ。半開きになった口から小さな寝息が聞こえてくる。

 私はタオルを首に掛けたまま、姉の隣にそっと座る。隣に座ったからどうということもない。ただ、姉の意識がないときくらいそばにいたかっただけ。普段じろじろ見るのを遠慮している分、ここぞとばかりに横目で姉を見る。

 長いまつげ、艶のある唇、ほのかに紅潮した頬、柔らかそうな耳たぶ。まだ湿った髪先が頭の動きに合わせて揺らいでいる。お風呂あがりの姿はどこか色っぽい。

 そのとき、姉の頭が重力に負けて私の左肩にこてんと乗っかかった。

「――――」

 咄嗟のことで反応できなかった。早くどかした方が良いと分かっているのに体が動かない。触れた部分があたたかい。シャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。私も同じものを使っているはずなのに、その匂いに胸がどきどきと高鳴る。

 顔が近い。近すぎてまともに見られない。恥ずかしいからというのもあるが、この距離で眺めているとよくない衝動が湧きあがってしまう。

 抱き締めたい。肩を抱き寄せたい。髪を手櫛でとかしてあげたい。

 頭の中を駆け巡る欲望を抑え、私はただ体を強ばらせる。

 はがゆい。うらめしい。にくらしい。

 目の前にある姉の手ひとつ握ることが出来ない自分がみじめで情けなくて哀しくて、喜んでいるはずの心がちくちくと痛む。

(ちょっとだけ。さわるだけでもいいから)

 そろりそろりと指先を姉の方へと伸ばしていく。私の決死の想いが姉の手の甲に到達すると思ったその瞬間、後方から声が飛んできた。

「寝るんだったら自分の部屋に行きなさいよ」

 びく、と体が跳ねた。私は首だけで振り返り、母に応える。

「まだ寝てないよ。分かってる」

 隣で「ん……」と姉が反応した。だが眉間に軽く皺を寄せるだけで起きる気配はない。

「なに? もみじが寝てるの? 高三にもなってこの子は……。さくら、上に連れてってあげて」

「え」

「ほら、早くして」

「わ、分かったって」

 母にせかされて姉に呼びかける。

「もみじねぇ、部屋行くよ」

「んー……」

 肩を揺すると姉はようやく目を薄く開けて頭をもたげた。私は立ち上がると姉の腕を取り引っ張っていく。

「ほら、あがるからね」

「まったく、どっちがおねえちゃんなんだか」

 呆れるような母の声を聞きながら連れだって居間を出た。姉が寝ぼけてつまづかないように一段一段ゆっくりと階段をのぼる。念願の姉との触れ合いだが色っぽさはまったくない。これではただの介護だ。

(おとぎ話に出てくるようなお城の階段を手を繋いで一緒にのぼる、とかならよかったのに)

 幼稚園くらいの頃に姉に手を引かれて色んな場所に遊びにいっていた記憶がかすかに蘇ってきた。今の自分の精神を持ったままあの頃に戻れたなら、どれほど楽しかっただろうか。大人になると子供の頃がどれだけ天国だったのかに気付くと聞くけれどまったくその通りだ。何のしがらみもなく無邪気に姉と遊べた自分が心底うらやましい。

 そうして階段を登りきり、姉の部屋に向かおうとしたときだ。姉の足が最後の段差に引っ掛かったのか私の背中にぶつかってきた。

「わ、っとっと」

 こけないように踏ん張りながら壁に手をつく。

「もみじねぇ、大丈――」

 そのまま首だけ振り向こうとして、止まる。

 すぐ目の前に姉の顔があったのだ。私の肩の上にちょうど姉の頭が乗っかっていた。私が壁に手をつき前傾姿勢になったことで、姉をおんぶするような体勢になってしまったようだ。

「ん、ぅ……」

 姉が身じろぎしたせいで更に気付いた。今私の背中に、姉の胸が当たっている。寝間着の下にブラを着けていないのか、私よりも大きいそれの柔らかさが殊更伝わってくる。確かカップはいくつだったか。

「――――」

 これ以上考えてはダメだ。自身の高鳴る鼓動に顔をしかめ、姉を背負ったまま前に進む。

「ほら、部屋着いたよ」

 姉の部屋のドアを開けて背後に呼びかけるが反応がない。小さく息を吐き、このまま寝かせてあげようとベッドの方へ近づく。姉を下ろそうと前かがみになったとき。

「え」

 どん、とベッドの上に押し倒された。

(え、え、え? なに? なに? 待って、これ、え?)

 うつぶせになった私の背中の上に姉が乗っている。それだけでなくもぞもぞと体を動かしているではないか。『まさか』と『何で』の言葉が私の頭の中で渦をまく。これはどういう意味なのだろう。もし姉が何かをしてきたなら私はどうしたらいいんだろう。

私は混乱したまま身を強ばらせ、ぎゅっと目をつむった。1秒、2秒、3秒……1分近く待っても何も起こらない。おそるおそる目を開けて、顔を動かしてみる。

 すぐ横に、姉の寝顔があった。小さく寝息を立てているその顔は安らかで、どこか幸せそうにも見える。

 私は胸中でため息を吐いた。安堵というよりは残念の色が強いことに自分でも驚いた。何を期待していたのだろうか。自分のバカさ加減に嫌気がさしてくる。

 でも――。

(綺麗だなぁ)

 姉の寝顔を眺めているだけで、嫌な感情は消えていき、心の雲間から光が溢れて満ちていくような気がしてくる。

 君は僕の太陽さ、などとキザったらしいセリフではないが、私は姉という太陽さえいれば育つ小さな芽だ。太陽と触れ合うことは決して出来ないが、光の届く場所にさえ居られれば幸せになれる。

(こんなにも近いのに……)

 あまりにも遠い。

 だから、つらい。

(…………)

 いつまでもこうしてはいられない。姉を寝かせて自分の部屋に戻らなくては。

 姉の腕から抜け出そうとしたとき、その唇に目がとまった。ぷっくらと艶のある姉の唇はわずかに開き、小さく呼吸をしている。

(今なら、バレないかな)

 少しだけ、一瞬だけでいい。キスが、したい。

 ゆっくりと躊躇をしながら私は目の前の唇に吸い込まれるように顔を寄せていく。張り裂けんばかりに脈打つ心臓の音がうるさい。顔が、全身がほてって熱い。

 そうして鼻と鼻とが触れ合う距離まで近づいて――。

「…………」

 唇は重なることはなく、私は顔を離した。

 これでいい。これでいいんだ。

 後悔と未練で押し潰されていく心に、必死にそう言い聞かせる。

 私達は姉妹。寝ているところにキスなんてするわけがない。

(アメリカ人だったらもっとおおらかにスキンシップできてたのかもね)

 たらればなんて意味はないが、金髪の外国人になった姉を想像するのは少し楽しかった。

 さて、と一息ついて私は姉の腕からそっと抜け出した。寝ている姉の体の向きを直して、頭の下に枕を敷き、布団をかけてあげる。

 姉は相も変わらずぐっすりと眠っていた。

「こっちの気も知らないで」

 私は呟いて静かに笑った。布団からはみ出ていた姉の腕を中へと入れてあげて、離れる前に姉の寝顔を拝む。

「……このくらいならセーフだよね」

 誰にともなく言い訳をしてから、私は人差し指の先を姉の唇にそっと触れさせた。その人差し指を戻し、自分の唇に軽く押し当てる。

 ……頬が緩む。

 たったこれだけのことのに、私の心はこんなにも幸せに満ちあふれている。

 妹としての幸せなら、これ以上望むべくもない。

 あとどれだけ一緒に居られるかは分からないけど、だったらもらえるだけの幸せをもらってやろうじゃないか。

「おやすみ」

 聞こえるか聞こえないかの声で姉に挨拶をして、私はベッドから離れた。部屋の電気を消してから廊下へと出て静かにドアを閉める。

 隣の自分の部屋へと戻りながら、私は宝物のように人差し指をぎゅっと胸に抱いていた。



    ◆  ◆



『後編 姉もみじの場合』



 私があの子を好きだってことは、絶対に知られてはいけないんだ。


 私、彩歌もみじは、実の妹である彩歌さくらのことが好きである。

 当然そこには家族愛や姉妹愛も含まれているが、その好きという感情はれっきとした恋愛感情によるものだ。

 私はさくらとデートがしたいと思っている。手を繋いで買い物にいったりスイーツを食べにいってお互いに食べさせあったりして唇の端っこについたクリームを指でぬぐってあげて「こんなとこ汚して」なんて言いながら舐めてみせたり、夜景を見ながら肩を寄せ合い不意に目が合ってどちらからともなく顔を寄せて次第に唇と唇が触れ合うようなキスをしてみたい。

 これだけ聞くと私がただの変態かと思われるかもしれないが、私にだって常識や分別というものはある。

 同性というだけならともかく、姉妹という続柄が恋愛には重くのしかかってくる。

 現代において近親相姦は禁忌中の禁忌だ。成人同士の近親相姦が合法の国もある。だがそれでも子供は望まれないだろう。これは近親間の子供は劣性遺伝子の発露により奇形児や障害児になりやすい為というのが通説ではあるが、では私達の場合はどうなるのか。

 女同士で子供は作れない。昨今話題のips細胞とやらは別として、姉妹でというのは生物学的に見てもおよそ繁栄を求める本能とは遠い位置にあるように思える。

 姉妹はたとえ結ばれたとしても、誰も喜ばない。両親には孫を見せることも出来ず、友人たちからは後ろ指をさされることになるだろう。幸せなのは当人ばかりということだ。

 それが分かっているからこそ、私はこの気持ちを封印することにした。

 私が高校を卒業するまであと1年。大学に行けば一人暮らしをする予定だ。妹と距離を置けば自然と気持ちも薄らいでいくだろう。それで大学で新しい恋を探せばいい。男でも女でも構わない。妹でなければ誰だって。


 妹のさくらは高校生になってからますます態度が素っ気なくなった。

 私と同じ高校に来ると分かったときは嬉しかった。登下校で一緒になることもあるだろうし、学校でも会えるかもしれないと。

 でも横に並んで歩くのを嫌がるし、部活も私と同じバスケ部に誘ったのに断るし、何か嫌われるようなことでもしたのかと心配になってくる。反抗期は姉妹間でも有効だったというのか。

 私の妹への恋情はともかくとして、妹に嫌われたくはない。恋人が無理であっても仲のいい姉妹でありたいと思っている。

 神様はその小さな願いすら聞きいれてはくれないというのか。

(自分らはさんざん近親相姦繰り返してるくせにさ)

 神話を持ち出しても詮方ないことだが毒づきたくもなる。もしも私とさくらが北欧の神様だったのなら、間違いなくくどき落として二人で仲良く暮らしていたのに。

 くだらない妄想をやめて、私は目の前のドアに向き直った。

 コンコン、とノックをして呼びかける。

「さーくら、入るよー?」

 中に入るとベッドの上にさくらが横になっていた。軽く頭を持ちあげてこちらに顔を向けている。

 姉ひいきに見てもさくらはかわいいと思う。肩口で揃えられたさらさらの黒髪は私と大違いだし、切れ長な目と引き結んだ口はクールで知性的な雰囲気を感じさせる。

 さくらがぼそりと言い放つ。

「なに?」

「あれ、寝てた?」

「別に横になってただけ。ごはん?」

「そそ。早く下りといでよ」

 軽く手を振ってから私は部屋を後にした。さくらとの会話はいつもこんな感じだ。

(中学あがるまではいつもおねえちゃんおねえちゃんって慕ってくれてたのになぁ。最近は返事も素っ気ないし、笑ってるところも見てないかも。あ、バラエティ観てたまに笑ってるっけ。笑った方がずっとかわいいから普段から笑えばいいのに)

 原因は私の方にもあるかもしれない。

 さくらのことを好きだと自覚して以来、過度なスキンシップは避けるようにしてきた。頭を撫でたり腕や足を揉んだり抱き着いたり、それまでずっと自然に行ってきたことをやめてしまったのだ。その変化がさくらの心境をも変えてしまったのだろうか。

(でも今更べたべたしたって、気持ち悪がられるだけだもんね)

 ネガティブになった思考を振り払い、私は憂鬱な感情をため息とともに吐き出した。


 お風呂から上がり、居間のソファでくつろぎながらテレビのバラエティを見ていた。画面の中ではタレントたちがお取り寄せグルメを食べてレポートをしている。晩ごはんを食べた後だが、おいしそうな料理を見るとどうにも食欲が刺激されてしまう。

(あのスイーツおいしそう。そういやプリンまだ冷蔵庫にあったよね。いやいや、夜にそんなのばっかり食べてちゃすぐお腹まわりに出てくるんだから。あーでも最近部活頑張ってるし、カロリーは消費してるよね。ちょっとくらいいいかな)

 脳内で食欲と自制心がせめぎ合いを始める。だが圧倒的に食欲の方が強く、どんどんと理性が追い詰められていく。

 そのとき、画面にチーズケーキが映った。ホールにナイフが入れられて三角のピースにカットされる。白いレアチーズの層の下にはさくさくのクッキー生地が敷き詰められていた。一目で分かる、これは絶対に美味しいやつだ。

(さくら、チーズケーキ好きだったよね。これ取り寄せたら喜んでくれるかな。はにかみながら『ありがと』なんて言ってくれてさ、ついでに私が食べさせてあげて、私の差し出したフォークに頬を染めながらぱくりと食いついてくれちゃったりして……)

 現金なもので、さくらとのアレコレを考えているうちに食欲はどこかへ行ってしまった。実際にはこんなことは起こり得ないと分かっている。だからこそ、せめて想像の中でだけは許して欲しい。

 ………………。

 何か声が聞こえる。海の底から浮かび上がってくるように、意識が戻ってくる。

「――分かってる」

 さくらの声だ。それもかなり近い。体に直接響いてくるような感じ。

「ん……」

 私は薄目を開けて確認した。正面には斜めになったテレビがある。テレビを見ながら寝てしまったようだ。そして現在、何かにもたれ掛かっているようだが。

「――――」

 眠気が一瞬で飛んでいった。いつの間にかさくらが横にいて、その肩に私がもたれ掛かって寝ているではないか。肩にタオルが掛かっているのでさくらはお風呂から上がったところなのだろう。

「なに? もみじが寝てるの? 高三にもなってこの子は……」

 母の声が後ろから聞こえる。まさかこの状況に不信感を抱かれてはいないだろうかと内心焦るが、母は呆れ声のまま続けた。

「さくら、上に連れてってあげて」

「え」

(え)

 さくらの声と私の心の声が重なる。さくらに連れていってもらえるという嬉しさを感じるともに、今更この歳で妹に寝室に連れていかれるのはどうなのかと冷静に分析する自分もいる。

 起きるべきか寝たフリを続けるべきか。私が悩んでいる間に状況は先へと進んでいく。

「ほら、早くして」

 せかすような母の言葉にさくらが動く。

「わ、分かったって。もみじねぇ、部屋行くよ」

 肩を揺すられ、私は反応を返しながらゆっくりと頭を上げた。さくらが立ち上がり、私の腕を引っ張る。

「ほら、あがるからね」

 さくらの背中を追うように居間を出ていく。

「まったく、どっちがおねえちゃんなんだか」

 母の言葉に私は『ホントにね』と胸中で頷き返した。

 実際、こうやって手を引かれて歩くのは昔の自分たちを思い出させた。小さい頃は私がさくらの手を引いて近所を歩き回ったものだ。途中でこけて泣きだすさくらをあやすのに苦労したなぁ、と懐かしさに頬がゆるむ。

 さくらは私を気遣ってくれているのか、ゆっくりと階段をのぼってくれた。

(別に嫌われてるってわけじゃないのかな)

 もし私のことが嫌いならもっと乱暴に引っ張りあげてもおかしくはない。少なくとも、寝ぼけた姉の面倒をみてくれるくらいには優しさがあるようだ。

 私は目の前の背中を見つめた。寝間着に包まれた体は華奢で、つい抱き締めてしまいたくなる。

 そうして見惚れていたせいだろう。階段の最後の段差につまずいてしまった。

(あ――)

 声も出せないままさくらの背中にぶつかってしまう。しかも咄嗟にしがみついてしまい、後ろから抱きつくような体勢になった。私の頭はさくらの肩の上に乗っかかり、すぐ真横にさくらの顔がきている。

「もみじねぇ、大丈――」

 さくらの振り向く気配を感じて私は慌てて目を瞑り、眠っているアピールをする。

(ぶつかってごめん! 怪我とかないよね? 筋とか痛めてないよね? あぁ~、悪気があったわけじゃないの。ごめん、ごめんね!)

 心の中で何度も何度も謝る。だったら起きて謝ればいいじゃないかという話なのだが、ここで起きても気まずいことになるだけだ。それに私としては一分一秒でも長く、さくらと触れ合っていたかった。

 さくらの背中から伝わってくる体温が心地いい。シャンプーの香りが鼻をくすぐる。同じものを使っているはずなのに、妹から匂ってくるだけでこんなにも別物に感じられる。

「ほら、部屋ついたよ」

 さくらが私に呼びかけてきた。だが私は起きない。起きたくない。もうこんな機会は二度度訪れないかもしれないのだ。そう簡単に離れてたまるものか。

 さくらは諦めたのか私を背負ったままベッドの方へと向かった。あとほんの2mほどでこの至福の時間が終わってしまう。一歩、また一歩と近づくたびに私の心が悲鳴をあげる。きっとこのまま今日を終えたら、何事もなかったかのように変わらない明日がまた始まる。

(そんなのはイヤ!)

 ほとんど衝動的にさくらの背中を押し倒していた。

 やっちゃったと思った。どんなことがあっても手だけは出すまいと決めていたはずなのに。でも、あれだけ妄想のなかで望んでいた愛しい妹の体が、今私の腕の中にある。寝ぼけたフリでもなんでもいい。抱き締めて顔を寄せて、ぬくもりを全身で感じたい。

 私は腕に力を込めてさくらを抱き寄せようとした。

 ――でも出来なかった。

 さくらは顔をうつ伏せにしたまま体を固まらせていた。もしかしたら気付かれたかもしれない。私の邪まな気持ちを察し、身を強ばらせているのかもしれない。

(私って、ホント最っ低……)

 妹を恐がらせるなんて姉失格だ。

 私はフッと力を抜き、目を閉じた。いっそこのまま眠ってしまいたい気分だった。

 しばらくするとさくらが動く気配がした。寝たままの私を見て害意がないことは伝わっただろうか。願わくば寝ぼけて倒れただけだと勘違いしてくれればいいが。

 すぐベッドを抜け出すものと思っていたが、さくらは何故かしばらく私の腕の中にいたままだった。目を開けて確かめたいが寝たフリがバレるわけにもいかない。

 ふとさくらの顔がこちらに近づいてきたように感じた。音や息遣いからなんとなくそう思っただけだが確証はない。だがそれもすぐになくなり、さくらは私の腕からするりと抜け出ていった。

 さくらは丁寧に私の頭に枕を敷き、布団を綺麗に掛けてくれた。特に怒ったり気味悪がっていたりしている様子はないみたいでひとまずホッとする。

「こっちの気も知らないで」

 突然さくらが喋った。小さい呟きだったが、確かにそう聞こえた。だが言葉の後が続くわけではないようだ。さくらは布団からはみ出ていた私の腕をわざわざ布団の中に入れてくれた。

 まったくこの姉は妹の手を焼かせて……という意味だったのだろうか。

「このくらいならセーフだよね」

 再びさくらが呟いた。その言葉の意味を考えあぐねていると、不意に私の唇に何かが触れた。

(な――!)

 表情筋を一切動かさなかった自分を褒めてあげたい。私はあくまで寝たままの姿勢・顔を崩さず、思考をぐるぐると巡らせる。

(今のはさくらの唇? いやいやそんなことないでしょ。唇にしちゃ細かったし、顔が近づいてきた気配もなかったし。じゃあ指? 指で私の口を触った? え? どういうこと? そういえば指二本を横にして唇に当ててキスの練習ができるって友達が言ってたような――)

 だんだんと関係のないことまで考えが飛びかけたとき、「おやすみ」と消え入るような声が聞こえた。

 もうバレてもいい、と私は薄目を開けてさくらを見た。ちょうどさくらは踵を返すところで横顔しか見ることは出来なかった。

 その横顔が、笑っていた。

「――――」

 私は思わず息を呑んだ。

 部屋の電気が消され、ドアが閉められる。さくらの足音が隣の部屋に続いていき、ドアの開閉音が小さく聞こえた。

 暗闇のなかで私は目を開いて天井を見つめていた。そこに映るのは脳裏に焼き付いた妹の顔。あんなに嬉しそうなさくらを見たのは子供の頃以来かもしれない。

 頬が熱い。口角がどんどん上がっていくのが分かる。私は今、人に見せられない顔をしているだろう。嬉しさと喜びでぐちゃぐちゃになったひどい顔を。

「とんだひねくれものに育っちゃって」

 セリフと裏腹に声が弾む。

「ひとのことは言えない、か」

 自嘲を込めて笑う。なんて似たもの姉妹なのだろうか。

 私はこぶしを握り、闇のなかの天井に向かって突き出した。

 決めた。私はもう妹を好きだって気持ちを隠したりしない。言葉で、身体で、めいっぱい気持ちを伝えてやる。もしもそれでさくらが嫌そうにしたら言ってやるんだ。

『あんな嬉しそうな顔を私に見せたのが悪い』って。

 手初めに、明日の朝おはようの挨拶とともに抱きついてみようか。驚くか嫌がるか、それともまたあの顔をしてくれるのか。

 あぁ、こんなにも明日が待ち遠しいなんて。

 早く時間が過ぎますようにと私は布団を被り直した。



                  終

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