真白 御弥
ヤマ先の話をまとめるとこうだった。
今年入学した新入生に、少し特殊な女子生徒がいるらしい。
彼女はどうやら先日の入学式からコンピューター室にこもり、下校時間まで出てこなかったそうだ。そしてどうやら、学校のPCを使用しゲームをしているという。
「ゲーム……ね」
恐らく僕に白羽の矢が立ったのはこの部分なんだろう。だけど他にもゲームに詳しい奴なんて山ほどいそうだし、正直ゲーセンにあるの以外だったら専門外というしかない。
それに、どうにも腑に落ちない。
教師に隠れてゲームをしている生徒なんて今までにもいたし、そのたびにヤマ先が愛の説教を行って取り締まってきたはずだ。ぶっちゃけ今回もその方法でなんの問題もないと思うのだが、女子生徒だからやりにくいのだろうか?
当のヤマ先からは、まかり間違っても説得に行ったけどすげなくあしらわれたとか、その結果ベテランの教師たちから嫌味っぽいこと言われて俺の胃がもたねぇとか、そういう訳では決してないとの旨を念を押して言い方変えて三回くらい聞かされた。
つまるところ――
「何とかしてくれってことか」
コンピューター室の前まで来てはみたけど、暗幕がかかっていて中の様子は見えない。少し迷ったが、扉に手をかけるとカギはかかっておらず、少しだけ開いてみる。で、暗幕の下からスパイ映画の主役のごとくひっそりと中の様子をうかがってみると、
「……っ」
息をのんだ。それは中にいる彼女にばれないようにというわけではなく、単純な反応だった。
背中まで伸びた、艶やかな長い黒髪。意志の強そうな真っ直ぐな瞳。日光の存在を真っ向から否定するように白く、柔らかそうな肌。制服からほっそりと伸びた、腕と足。
そして何より目を引いたのは、彼女が座っている椅子だった。
昨日の瑠璃の話を思い出しながらも、教師が扱いにくいとはそういうことかと納得する。
パッと見で分かるほど頑丈そうなフレーム。自転車に近い大きさを持つ車輪。乗り手を考慮されたシートと、足や手を置くために設けられたギミック。そして、乗り手以外が動かすことを考え、後部に付けられたハンドル……いわゆる、車いす。
彼女はそれに深く腰掛け、真剣なまなざしでPCに向かっていた。
その姿はとても凛としていて、日常風景の中ではかなり浮いているようにも感じられた。
彼女のまとう独特の雰囲気に、さてどうやって声をかけたものかと考える。
ファーストコンタクトは重要だ。格ゲーでも最初の動きで試合の流れが大きく変わってしまう。とりあえず、まずは相手の動きをよく観察しようと思ったその時だった。
「あ」
彼女がこっちを向いた。目と目がばっちりくっきり合った。
そして僕は暗幕の下から除くように彼女を見ている。対して彼女は車いすの上から不審者を見るみたいな視線で見ている。当たり前だ。逆の立場だったら僕も相手を完全に不審者だと思うだろう。
まずい、完全に出鼻をくじかれた。これはズルズルと1ラウンド取られるパターン。
どうする……ここからの立て直しは極めて困難。体が完全に硬直し、永遠にも思えるこの間をどう打開しようか考えていると、
「誰?」
と彼女の方から口を開いた。
これは助かった。尋ねられたら答えるしかない。なんとか流れを取り戻そうと、慌てて口を開く。
「えっと、僕は二年の赤羽 史人だ」
「ふぅん。赤羽……どっかで聞いたような……」
「あっ、たぶん妹が同じクラスにいると思う」
「あぁ、どうりで」
それだけ答えると、彼女は再びPCの画面へと視線を戻してしまう。
あれ、それだけ? 他になんかもっとこう、「何でここにいるの?」みたいな反応はないものか。
そんな僕の淡い期待をむなしく、彼女はもうこちらに興味をなくしたようだ。ただこちらもそのまま帰る訳にはいかず、意を決してヤマ先に聞いたことを尋ねてみる。
「なあ、何してるんだ?」
「……ゲームよ」
「あ、やっぱりゲームなんだ」
というか、普通に答えてくれたことにびっくりした。さっきの様子からてっきり無視されるものとばかり思っていたけど。
「やっぱりって、なに?」
「うっ……」
どこか不機嫌な様子で再びこちらに向き直った彼女に、僕は一瞬たじろいでしまう。
「昨日やけに説教くさい先生がきたけど、先輩もそのクチ?」
「いや、僕は……」
説教くさい教師とはもしかしなくてもヤマ先だろう。で、僕も彼女を咎めるためにここに来たのだと思われているらしい。まあ教師に頼まれてきてるから、間違ってはいないのだけど。
「確かにゲームやってるって聞いてきたけど、キミを説教しに来たわけじゃない」
「あっ、そう」
どうでもいいという感じで、彼女は再びPCに向かう。ただそんな態度をとられても、不思議と腹が立つことはなかった。
さっきも思ったけど声をかけたらちゃんと返してくれるし、それに雰囲気がどことなく昔の瑠璃に似ていて、どこか放っておけない感じがしたのだ。
「なあ、なんのゲームやってるんだ?」
「別に、先輩には関係ないでしょ?」
「僕もゲーム好きだから、ちょっと気になってさ」
「そ」
「えーっと、そっちに行ってもいいか?」
「ダメ」
少しでも距離を縮めようとお伺いをたててみたが、どうやらダメらしい。物理的にも精神的にも距離を縮めるのはコミュニケーションの基本だが、なかなか警戒されている。
ただ、こちらも昔の瑠璃を相手にしていたのでこの手の反応は慣れている。物理的に近づけないなら、やはり会話して少しでも警戒心を解いてもらうしかない。
「なあ、何で学校でゲームしてるんだ?」
「やっぱり説教じゃない」
うん、やはり答えてはくれる。多分、根は悪い子ではないのだろう。だったら、攻め手はある。限られた選択肢の中で適切な行動をする。これも格ゲーの基本。
「責める気はないよ。ただ、純粋にどうして学校でゲームしてるのか気になったんだ」
「……だって、家だと一人だもん」
家だと一人……か。
うんうん、確かに一人でゲームっていうのも味気ないよな、それは理解できる。
「じゃあ、キミはここで誰かと一緒にゲームしてるの?」
「……今はまだ一人」
今はまだ、ね。なるほど。彼女がどうしてこんな事をしているのかだんだん見えてきた気がする。
「つまり、ゆくゆくは誰かとゲームしてみたいってこと?」
「悪い?」
「悪くないよ。誰かとゲームするのは楽しい。それは僕もよく分かってる」
「だったらほっといてよ」
「でも、キミは教室でもあまり他の子と話さないでしょ? それって気持ちと行動が矛盾してない?」
「……っ、誰に聞いたの!? 妹? それともあの先生?」
どちらにも直接的には聞いていない。ただ瑠璃が上手く話せないという子が、ほかのクラスメイトと円滑に会話出来ているともあまり思えない。
「いや、これは僕の想像。でも、その様子だとあたりっぽいね」
「何なの、先輩は何が言いたいの!?」
そこでようやく彼女はPCから視線を外し、こちらに向いた。例えそれが敵意だとしても、こちらに意識を向けられた。なら、あとはもう一つの予想が当たってくれることを祈るしかない。そんな希望的観測を持ちつつも、僕は彼女にある提案を持ちかけてみる。
「だったらさ、ゲーセンに行かないか?」
「え……?」
意表を突かれたように、怒りに染まっていた彼女の表情が緩む。
おそらく彼女はここでゲームをすることにこだわりなんてない。もちろん教師を困らせたいわけでもなければ、校則やぶって悪ぶりたいわけでもないだろう。
彼女はきっと、誰かにかまって欲しかったのだ。自分を腫れもの扱いするんじゃなくて、普通の生徒として。それできっと、彼女自身も言った通り誰かと遊びたかったんだと思う。
ただその表現の仕方が間違っていたというだけだ。おそらく彼女自身も自分が間違ったことをしているという自覚もあったのだと思う。
「ゲーセン行こうぜ。こんなとこに一人でこもってないでさ。人もいっぱいいるし、きっとゲーム仲間も見つかるさ!」
「……そんなとこ行けないわよ。だってこんなの、邪魔になるじゃない!」
そう彼女は忌々し気に自分の乗る車いすを見た。なるほど、彼女を縛っていたのは『それ』か。確かに一人じゃ色々きついものがあるだろう。
「だったら僕が連れてくさ。そんなにゲームが好きなのに、ゲーセンを知らないなんてもったいない!」
「でも……」
「これでも昔は毎日ゲーセン通ってたんだぜ? 大丈夫、何とかしてみせる。あ、でもプレイしてるのRPGとか? それだったらゲーセンにはないか。ちょっと待って、今考える」
「ちょ、ちょっと待って、先輩!?」
「あぁ、ごめんごめん。ゲーセンのこととなるとつい」
「……先輩が重度のゲーム、というかゲーセンバカだってことはわかったわ」
「ゲーセンバカって、ひどいな」
間違ってはいないけど。でも彼女もゲームが好きならば何か手助けはしてあげたい。
「もし良かったら、プレイしてたゲームのジャンルだけ教えてくれないか?」
「……正確にいうとゲームじゃないの、わたしがやってるの」
「えっ!」
まさかの展開だ。前提条件が崩れてしまった。これはどうしたものかと考えていると、彼女が「こっちに来て」というので近寄らせてもらい、プレイしている画面を見せてもらう。そこには、
「これUF……の、キャラ作成ツール!?」
「知ってるの?」
「知ってるもなにも……」
なんという偶然だろうか。昨日UFのキャラ作成ツールをいじり始めた僕の前に、同じようにキャラ作成ツールをいじっている女の子が現れるなんて。
「先輩、知ってると思うけどゲーセンではこの作業はできないの」
「確かに、これはゲーセンではできないけど」
「そう、だから」
「なら、実際にUFをやってみよう!!」
「……え?」
僕の言葉にあっけにとられる彼女。だが、僕は彼女がいじっていた作成ツールから目が離せなかった。
「すごい出来だよ、これ。実際に動かしてみようぜ!」
そう、画面に映されているのは一体のキャラ。おそらく今はCPU操作によって自動で動かしているんだろうが、昨日僕が遊び半分で作ったものとは比較にならないほどしっかりとしたキャラクターだった。
「もちろんキミさえよければ、だけど。できればこのキャラを使ってみたい」
「ほんと!?」
「あぁ、僕も作成ツールをいじってはみたんだけど、正直全然バランスが取れない。格ゲーは人並みにできるし、バランスなんかもある程度分かっていたはずだけど、プレイするのと作るのは違うんだって実感させられたよ」
「そう、そっか……」
そこで彼女は初めて笑みを浮かべた。
「先輩、わたし真白。真白 御弥」
「えっと、キミの名前?」
「そう。真白でも御弥でも好きに呼んで」
「あぁ、分かった」
「あと、残念だけど今日はもう遅いし帰るわ。それに、先輩が使うならキャラも調整しなきゃいけないし」
「ここでやっていかないのか?」
「うぅん、もういい。ダメなことしてるのは、わかってたし。先生にも謝らなきゃね」
そういう彼女の表情は、どこかすっきりしていた。やはり自分でも分かっていたのだろう。
さて、これでヤマ先に頼まれたミッションは完了したわけだけど、新たにやることが増えてしまった。でも、それはとてもワクワクすることだ。今から楽しみで仕方ない。
「で、ゲーセンはいつ行く?」
「じゃあ明後日の金曜日で良いかしら? 週末だし、少し長めに遊んでいられると思うし」
「そうだなぁ……」
正直にいうと、週末は真白と同じ考えの人が多くゲーセンも混みやすい。だが――
「ダメ、かしら……?」
先ほどまでとは打って変わり弱気に訪ねてくる真白を見ると、そんなことはどうでもよくなった。いざとなれば僕が頑張れば済む話だし、ゲーセンも場所を選べば空いているところもあるだろう。
「いや、大丈夫。じゃあ金曜の放課後に迎えに行くから」
「えっと、大丈夫かな? 下級生の教室に来ることになるけど」
「なーに、瑠璃もいるから大丈夫だろ。いちおう瑠璃にも確認取っとかないとな」
「そっか、妹さんがいるんだもんね。でも、確認って?」
「あいつも昔けっこう病弱でさ。今は平気だけど、ほっとくと家のこと何でも自分でやりたがるから心配なるんだよ」
「そう、だったんだ。わたしこの前話しかけられたとき素っ気なくしちゃったし、悪いことしちゃったな……」
「いや、あいつも気にしてなかったよ。瑠璃も昔はあんな感じだったから、ほっとけなかったんだろ」
「それなら良かったけど……」
「どうしても気になるなら、明日にでも話してやってくれ。あいつも真白のことを気にしてたみたいだしぜったい喜ぶと思う」
「うん、わかった。じゃあ、わたしはそろそろ帰ろうかな。先輩はどうする?」
「僕も帰るから校門まで送るよ。車いす、押した方がいいかな?」
本来ならここは黙って押してあげた方が男らしいのかもしれないが、昔テレビか何かで急に車いすを押すと乗っている人に不安を与えると聞いたことがあるので念のため確認してみる。
「ん……じゃあ、お願いします」
「お願いされました」
了承を得たのでハンドルを握って力を入れる。すると、人が乗っている重さをほとんど感じさせず車いすが動き出す。女子は軽いものというのは男子の幻想だと思ってたけど、よもや事実だったとは。
「ねぇ、先輩」
「ん?」
「ありがと、ね」
「……どういたしまして」
ヤマ先に押し付けられるような形で引き受けたことだったけど、今日のこの出会いは本当に幸運だった。
同じゲームを一緒にプレイする人がいるっていうのは、とても安心する。昔の僕にとって、鈴羽がそうだったように。だから、たとえ偶然であってもこの出会いは大切にしたいと、そう思わずにはいられなかった。