上機嫌な妹と、コンピューター室の主
「……さん、兄さん」
「ん、うぅ……」
「兄さん、そろそろ起きないと遅刻するよ?」
「んあ……」
頬に鈍い痛みを感じながら意識が覚醒していく。
目を開けると、呆れたような横向きの瑠璃の顔が……いや、どちらかと言うと横を向いているのは僕か。
「いでっ!」
「もう、やっと起きた。はやく支度しないと遅刻……ぷっ」
言葉の途中で瑠璃が噴き出す。理由をなんとなく察しながら痛みを発する頬を撫でると、そこにはくっきりとキーボードの跡が残っていた。
昨日、というか今日の明け方まで起きていたのは覚えている。それから気絶するように突っ伏して寝ていたから……うん、まあこうなるわな。
「……瑠璃、いま何時?」
「ふふっ、えっとね、もう七時半だよ」
「やべっ! 悪い瑠璃、先に行ってていいぞ」
いくら電車で数駅とはいえ、あまりのんびりしていられる時間ではない。それに、入学したばかりの瑠璃を遅刻させるわけには行かなかった。
「いいよ、待ってる」
「いやでも」
「せっかくだから一緒にいこ? それに兄さんと登校するの、結構楽しみだったんだよ。昨日は入学式があったから別々になっちゃったし」
「いや、でもな」
「ね?」
「……」
そこまで言われると兄としては何も言えず、とにかく一秒でも早く用意する必要があった。
「四十秒で支度するから、下で待っててくれ」
「はーい」
時間はまったくもって危険域なのだが、何故かうちの妹様は上機嫌だった。
※
「はぁーはぁー……ま、間に合った」
「別に走っても良かったのに……」
そんなことをさせたら、僕が親父とおふくろに殺されてしまう。
結局、自転車の後ろに瑠璃を乗っけて駅前の駐輪所まで全力で自転車を漕ぐことで電車に間に合った。ちなみにウチの高校は自転車通学が禁止なので、今からバレないように祈る必要がある。
「まあ私としてはちょっと青春っぽいことが出来て嬉しかったけど」
「……自転車こいでるのがうだつの上がらない兄以外だったら最高だったな」
「またそんなこと言う。いちおう自慢の兄さんなんだから」
「……」
また反応に困ることを言い出したので、視線を車窓の外に向けて僕は逃げることにする。
埼玉県南部にある浅賀市。首都圏のベッドタウンにあたるこの街は、都心へのアクセスの良さと、比較的安い地価でそれなりの発展をみせている。ビル群はないが生活に必要な施設は駅の周辺に一通りそろっている。
そして電車で一駅のところにゲーセンがあるというのが、これからの僕にとって重要なポイントだ。ちょうど通学路の途中にあるので、定期で実質タダで通えるというのは学生の身だと有り難い。
「で、兄さんは夜更かしして何してたのかな?」
と、あくまで逃がさないとばかりに瑠璃が僕の前にひょっこりと顔を出した。同時に二つに結んだシッポのような髪がぴょこんと揺れ、微かにシャンプーの匂いがした。
「……別に、いつも通りネットサーフィン」
「へぇ~画面には『Unlimited Fight』? とか書いてあったけど」
「知ってるのに聞くのは意地が悪くないか?」
「ねね、兄さん。あれってゲームだよね!」
ぶっきらぼうに答える僕とは対照的に、どこか嬉しそうに聞いてくる瑠璃。昨日も言っていたように、やっぱり僕がゲームをプレイすること自体が嬉しいらしい。
「そうだよ、格ゲー」
「格ゲーって、格闘ゲームだよね?」
「昔ちょっとやってたから、久しぶりにな」
「へぇ~兄さんクレーンゲームだけじゃなくて格ゲーもやってたんだね。知らなかった。ね、ゲームセンターは? また行ったりするの?」
「……まあ、そんな日もあるかもしれないな」
「そっかそっかぁ」
ゲーセンに行かないのは自分のせいかと気にしてたくらいだし、今朝からテンションが高かったのはこれが理由かもしれない。まあ少しでも瑠璃の機嫌がよくなるなら、それに越したことはない。
「昨日も修治に誘われたの断ったし、たまにはな」
「うんうん、黄瀬さんもきっと喜ぶと思うよ」
いや、修治も今の瑠璃くらいは喜ばないと思う。それくらい僕の妹の顔は緩んでいた。兄の一挙手一投足に喜んでくれるのは嬉しいけど、お兄ちゃんとしては妹の今後が大変心配になった。
※
で、学校に着いたわけだが、
「おー史人……ってなんだお前、ひどい顔してるな!?」
教室に来るなりいきなり修治からとんでもない罵倒を受けた。出がけに玄関の鏡を見て同じことを思ったので、言い返すこともできない。目の下にはクマができ頬もこけ、しかも顔にはキーボードの型ときたもんだ。髪が跳ねているのはデフォルトだが、もはや正視に堪えないビジュアルになっていた。
「昨日いろいろいじってたんだよ、UFのツールを」
「UFって……まさか『Unlimited Fight』のことか!?」
僕が寝不足の原因を明かすと、修治は若手芸人ばりのリアクションで椅子から立ち上がった。
「まあ、な」
「なんだよー史人やっぱり気になってたんじゃねーか!」
ハイテンションで肩を組んでくる修治を引っぺがしながら、僕は気になっていることを聞いてみる。
「で、どうだったんだよ修治」
「ん、どうって?」
「昨日行ったんだろ、ゲーセン。実際にやってみてどうだったのかって」
「おぉ、そのことか!」
昨日『UF』こと『Unlimited Fight』について自分なりに情報は集めたが、やはり実際に体験してきた人の感想が聞いてみたかったのだ。それに格ゲー初心者である修治がどう感じたのかも個人的には気になっていた。
「んー……俺はストーリーモードしかやってないけど、ストーリー自体はオーソドックな感じかな。ただ難易度的にはちょいムズイと思う。他の格ゲーってストーリーは適当でもけっこう勝てたりするじゃん? チュートリアルはそれで勝てたけど、それ以降は初心者の俺じゃきつかったわ」
「じゃあ昨日はあんま遊べてない感じか……」
「いや、そうでもないぜ」
僕の予想に反して、修治は首を振った。
「そこはさすが蒼梅 拳志。初心者用のモードも用意してあるわけさ」
「初心者用モード? トレーニングモードじゃなくてか?」
「おう。格ゲーの基本的な説明からキャラの特徴、コンボのやり方なんかを説明してくれるモードだ。トレーニングモードもあったんだが、俺みたいな初心者はそっちの方が助かるな」
なるほど、確かにトレーニングモードすら分からない初心者だっているだろう。格ゲー、しかもアーケード版は説明も少なく敷居が高いとされているから、意図してそういうゲーム設計にしているのかもしれない。
「ただまあ、残念ながらオリジナルキャラを作るところまではいかなかったわ。っていうか、俺はてっきりゲーセンで作るとばかり思ってたんだが、キャラ作成ツールは別で配布されてるのな」
そう。僕も昨日調べて知ったのだが、キャラ作成にはUFをリリースしている『株式会社LimiCu』の公式サイトから専用のツールをダウンロードする必要があった。これは無料で公開されており、それをいじくりまわしていて今朝の寝落ちにつながったというわけだ。
しかも調べている途中で『LimiCu』社長がなんとケン兄であることも分かった。製作者であるということは知っていたけど、まさか会社まで作っているとは思わなかった。昔から行動力の塊みたいな人だったから、納得といえば納得なんだけれど。
「何にしても、史人がその気になってよかったぜ。さっそく今日にでもゲーセンに行こうぜ。教えてほしいことも色々あるし」
「ああ、今日は――」
大丈夫、と言おうとしたタイミングで「おらー席着けー。出席取るぞー」とタイミング悪くヤマ先が教室に来てしまい、
「んで、悪いが赤羽は今日も放課後に進路指導室なー」
「……へ?」
予想外の呼び出しに、思わず間抜けな声が口からもれてしまう。
「おい史人、昨日なんかやらかしたのか?」
「いや、そんな覚えはないんだけど……」
そう修治に答えつつも、昨日のことを思い返す。昨日の話は終わったよな? なら一体……? 僕の困惑をよそにヤマ先は普通に出席を取り始め、そのモヤモヤは放課後まで晴れることはなかった。
※
「で、一体何の用ですか?」
「赤羽、いいことを教えてやろう。就職して身に覚えのない用で上司に呼び出されたら、それは解雇か昇進の話かの二択だ」
「極端すぎません? あと、自分学生ですし」
「ま、冗談はおいといてだな……」
放課後、よくわからない冗談で僕を迎えたヤマ先は、どこかつかれた様子だった。
「すまんが、一つ頼まれてほしいことがある」
昨日と同じように向かい合って座った僕に、言葉通り申し訳なさそうに切り出してきた。
「僕にですか?」
「あぁ。教師が生徒に頼み事なんて情けないと自分でも思うんだが、俺……というか、教員全員どうしたものかと頭を悩ませていてな」
「一体僕に何をさせようというんですか……」
「実はな、コンピューター室の主をどうにかしてほしい」
「……はい?」
それは本当に突拍子もない頼み事で。僕はただただ間の抜けた返事をすることしかできなかった。
文章というかシーンのつながりがスカスカなんで、落ち着いたら修正します。
深刻な文章力不足。
前回評価して頂いた方、有難うございました!