おどる、おどる 「6」
おどる、おどる 「6」
翌日から毎朝、バス通学が始まった。乗り換え無しで高校にいけるので30分ほどの通学時間だ。俺がM高校を選んだのは一番近くの公立高校だというのも一つの理由だった。
たくさんの変化があって毎日がアッという間に過ぎていく。クラスの中は初対面の連中ばかりだし、校内を歩くとオッサンか?と思う3年生や、やけに色っぽいお姉さんがいたりする。授業ごとにユニークな先生が入れ替わり立ち替わり現れる。校内に食堂もあった。パンを売るオバサンが階段下にいて朝から菓子パンを売っている。休み時間に弁当やパンを食べる連中もいる。授業以外はかなり自由な雰囲気だ。放課後、校庭に出るとサッカー、野球、テニス、ハンドボールなど様々な部活動が行われているし、格技場やプールもある。ちょっと覗いていると「1年生かー?ウチの部に入らないか?」声をかけられる。隣の校舎から歌声やピアノの音も響いてくる。毎日が新鮮な体験だ。
クラスの中にも少しずつ友達ができてきた。なかでも岩下竜二という奴は今まで俺の友達にいなかったタイプの男だった。大学生の兄貴がいるということでバイクに夢中なようだ。「泉は何月生まれ?オレは6月生まれだから6月になったら、すぐにバイクの免許取るつもりなんだ。兄貴がバイク持ってて、免許取ったら乗らせてくれるって言ってるんだ。もちろんオレも小さいバイク買ってもらうつもりなんだー」自転車とバスで大体用事はすむからバイクなんて考えてもいなかった俺は「10月生まれだけど免許なんて取ろうと思ったことなかったなー」「何言ってるんだよ、俺は大倉山に住んでるんだけど坂が多くてなー、バイクならどんな坂道でもスイスイだぜ。横浜だって江ノ島だってその気になれば、すぐ行けるんだぜ」岩下は夢中になって話し続ける。「兄貴の買ったバイクの雑誌をイロイロ見て思ったんだ。高校の夏休みや冬休みを使って日本中バイクで廻ろうって決めたんだ。北は知床岬から南は鹿児島、新潟や高知も行きたいなぁ。これも兄貴の本で知ったんだけどオレは50ccのホンダスーパーカブが欲しいんだ。世界中で一番耐久性が高いって評判なんだって。でかいバイクなら誰でも日本中走り回れるけど原付で行くのがかっこいいだろー?」俺が「スーパーカブって新聞配達のバイクだろ?」と聞くと「新聞屋だけじゃないぞ。郵便配達やオマワリだって使ってるさ、加速は良く無いだろうし、コーナーだってスムーズに回れないだろうけど、修理はしやすいって書いてあった。こういうバイクで行くのが男のロマンってもんだよ」俺は分からなくはないが急に言われてもピンとこない。岩下は「まあ、とりあえず免許を取るのが先決だから6月が楽しみだよ」なるほど、こんな熱いこと考えている奴もいるんだーと俺は思った。
5月になって俺は黒田という奴に誘われて新聞部に入部した。何となくみんなに思ったことを自分で書いて知ってもらいたいという気持ちもあったが、それより面白い先輩がいて色々と興味深い話が聞けるというのに惹かれた。不定期にM校新聞を発行しているという。おもしろそうだが発行前に必ず顧問の先生に読んでもらう事になっているらしい。つまり検閲ってやつだろう。3年生にはかなり過激な考えを持つ人もいるし、大学生に混じってデモ行進に参加している人もいた。先輩に話を聞くと(日米安全保障条約)だとか(沖縄米軍基地返還)だとか聞いたことはあるが考えた事もない言葉がポンポン出てくる。俺はいきなり記事を書くなんて、とても無理な話だと気がついた。ときどき描いているいたずら書きみたいな俺の絵を先輩が見つけて「お前の絵は面白そうだから記事の横に入れる挿し絵みたいなものを描いてみたら?」と言われた。まぁ新入りだからそんなもんでも真面目にやってみよう、と思った。
6月の終わり頃になって岩下が得意そうに「見ろよ、オレの運転免許証だぜ。すごいだろ、これで兄貴のバイクに隠れて乗らなくてすむようになったぞ。今度学校の近くまで乗ってくるから泉、お前にも乗らせてやるよ」と言う。もちろん学校はバイク通学禁止だが近くの林の中にでも隠しておけば見つからない。免許を取るのは禁止されているわけではないので俺も少し免許を取りたくなった。
弓子とは別のクラスになったし、中学に比べて生徒数が多いので話をする機会は減った。それでも帰りのバス停で出会ったりすると「どう?」、「どうよ?」などと訳の分からない挨拶から話が始まる。まれに気が向くとわざわざバスで横浜駅に出て、電車に乗って、またバスに乗って遠回りするなどと2時間以上もかかる行程で帰宅することもあった。当時は貰っている小遣いも少なく、また喫茶店に入ってお茶を飲みながら話をする、などという気のきいたことも知らなかった。
7月になって弓子が「ユウジくん、聞いて欲しい事があるけど放課後あいてる?」と聞いてきた。俺は新聞部に行くつもりだったがどうでも良い日だったので「特別な用事はないけど何?」弓子が「よかった、じゃ校庭の段々になってる所にいるから来て」どう言う訳か校庭は校舎より一段ひくい所にあってグランドに降りるところが幅の広い階段状になっている。そこを段々と言うのだが、そこに腰を下ろして野球やサッカーの練習を見ている生徒達がいることがよくあった。
放課後俺は新聞部に顔を出してから校庭に向かった。弓子はもう階段に腰を下ろしていた。「おまたせ、待ったかな?」隣に並んで座った。弓子は「ううん、ちょっと前に来たところ。野球の練習見てた」「で、何?話って?」うつむいたまま弓子が話し始めた「うちのクラスにテニス部の村山正太郎くんって人がいるんだけど知ってる?」「いや、知らないけど」「私、4月に同じクラスになってすぐに あっ、ステキな人って思ったの。それで見てたら友達と話してるときの笑顔がいいなって思って、授業中はちょっと恐い顔をするときもあるけど、それもいいなって思ってたから、おととい思い切って声をかけたの。そしたら」弓子はここで急に言葉を詰まらせた。少しして「そしたら、何?あんた風間弓子だっけ?オレあんたみたいな子、嫌いなんだよ、絶対もう話しかけないでくれよ。ブスのくせに、、、言われちゃったの、もう悲しくてショックで」続きが話せなくなってしまったようだ。スカートにポトリ、ポトリと涙が落ちる。俺は弓子がこんなに悲しそうに泣くのを見るのは初めてだったのでうろたえてしまった。あわてて尻のポケットからクシャクシャのハンカチを取り出した。大体、毎週月曜日に入れ替えているがあまり綺麗ではない。これしか無いから仕方なく両手で広げて弓子のスカートの上にそっと置いた。弓子はさらに頭を小さく一つ下げてハンカチを掴んで顔に当てた。こんな経験をしたことのない俺はどうしていいか分からない。テニスコートに行って村山って奴を見つけて胸ぐらをつかんでぶん殴ってやろうか、と思うがよく考えれば俺は弓子の兄弟でも恋人でもないからそんな事をする権利はないかも知れない。だいたい腕力に自信がある訳でもない。ひいき目に見なくてもまぁ弓子は可愛い方だと思うが、村山って奴が何を考えているのかも分からない。俺はうまい言葉もみつからず長い時間黙っていたが、弓子は少しずつ落ち着いてきたようで横を向いて「ごめんね、ユウジくんにこんな話してもどうしようもないよね、でも話したらすこしスッキリした。ありがとう、帰ろうか?」鞄を掴んで二人で立ち上がり校門に向かった。
何日かして弓子が俺の所にやって来た「ユウジくん、こないだはありがとう。新しいハンカチ持ってきたからコレ使って!」青い新しいハンカチを差し出した。俺は「何だよ、この前のハンカチ洗って返してくれればいいのに」と言うと「いいの、あのハンカチは私がお守り代わりに持ってることにしたの。いいでしょ?」俺は「あんなの持ってても御利益なんかないぞ」「いいの!私がお守りにする事に決めたんだから」おかしな奴だ、俺にはサッパリ弓子の気持ちが分からなかった。