File5:ホシノヒカリ(13)
アスファルトに散らばった宝石を、一人の男が見つめ、ふと空を見上げる。
空から、雪と共にハットリ君のお面が降ってくる。
男はそれを受け止めた。
「服部ぃーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
テツの叫び声が遠くに聞こえる。
何だよ。
結局、落ちるのはオレだけか。
服部の目の前に、全てがスローモーションのように、雪と共に舞い降ちる。
…ちらつく白い雪。
あの夜、確かに感じた手の温もり。
闇に放たれたダイヤモンドの輝き。
蒼い瞳に浮かぶ月。
…眩しく輝く、美雪の笑顔。
雪の如く舞い散る桜の中で、微睡む少女。
少女に秘められた印象的な瞳。
ロビンの極上の笑み。
天辺の星。
温もり。
父の笑顔。
母の優しい声。
一人、雪の中。
白い髭のお爺さん。
不確かな偶然。
全てが、
全てが…
『起きろ』
全てが、
『ハットリ』
ボクの偶然。
今夜の雪も…全て。
冷たい雪が服部の頬を撫でる。
頬の冷たさを確かに感じ、服部は目を見開く。
…生きているのか?
十階から落ちて生きているのか?
もし、生きているとしたら、ソイツは、
「悪魔、か…」
嗤おうとした服部は脇腹からの激しい痛みを感じた。
脇腹を押さえた掌に血が滲む。
服部は白い息を吐く。
「痛ってぇぞ〜」
どこか朦朧とする視界の片隅に雪の白さに鮮やかな色彩が混じる。
服部の周りから解き放れたように上へ上へと、色とりどりの丸い風船が天に向かいゆっくりと昇っていく。
服部が落ちたのは、トラックの幌の上だった。
服部が幌の中央に落ちた為にシートを繋いでいたひもが切れ、服部の重みに引きずられたシートの隙間から大型トラックに詰められていた風船が、幾つも幾つも服部の瞳に写っては暗闇へと吸い込まれていく。
「何か盗れたか?」
唐突に聞こえた声に服部は見向きもせずに答えた。
「アンタが悪魔か」
地獄に向かうべき自分を迎えに来たのか。
初めて聞く声に服部はどこか虚ろに訪ねる。
「悪魔?それは何だ?」
落ち着いた低い声だった。
「物を盗むヤツか?人を傷つけるヤツか?法を破るヤツか?周りに嫌われるヤツか?人と違うヤツか?」
「分からない…」
服部は血の付いた両手の甲で両目を覆う。
「分からないから、知りたいんだ」
「オレは悪魔だ。オレの言う悪魔は、傷つけたくないモノを傷つけるヤツだ。それはオレが言う悪魔だ。お前はオレじゃない。ホントの事など始めから無いんだ。真実はお前が決めろ。捜すんじゃない。知るんでもない。決めるんだ。自分で決めるんだ。真理」
服部は指の隙間から空を見つめる。
色とりどりの風船は徐々に遠退き、やがて消える。
鮮やかな色彩に奪われていた瞳は改めて白に気付く。
暗闇から幾つもの白い欠片が大きさを増しながら服部の瞳に向かう。
「お前の中に在るモノの中から真実を決めろ」
真実が知りたかった。
本当の事が知りたかった。
自分が何者か知りたかった。
自分の中に在るモノ?
何が在るんだ?
「早く医者に行った方がいい」
それだけ言うと声の主は消えた。
服部は落ちた状態のまま仰向けで、手を広げた。
まるで、空に広がる闇を抱き占めるように。
闇から次々と生み出される白い欠片。
それは、今は見えない月からのメッセージなのだろうか。
月にいる誰かからの…
綺麗だ。
雪はこんなにも綺麗だったのか。
あぁ、全然知らなかった。
脇を抱えながら、降りしきる雪の中を服部は歩き出した。
どんなに押さえても血は止まらなかった。
白い雪に赤い血が点々と跡を付ける。
おもちゃ屋からのこの道は、13年前に、通った道。
降り止まない雪。
お爺さんに逢った十字路。そして、西に5分歩くと偶然…、
「太一!」
ほら、新しいお父さんとお母さんだ。
バシッ
服部は殴られた左の頬を押さえて、父さんの怒った顔を初めて見た。
「心配掛けるな。病院行くぞ」
「救急車、呼んだほうがいいわ」
母さんの声だ。
脇腹から流れる血に戸惑いながら、父さんがコートを脱ぎ重傷の息子に掛ける。
その拍子に父のポケットから、あるモノが落ちた。
ハットリのお面だった。
服部の父が落ちたお面を拾い上げ、ほんの少し微笑んだ。
「さっき、道で変な人に会ってな。クリスマスプレゼントだと言って渡された」
救急車のサイレンが耳を打つ。
「そうね。変なこと言っていたわ。盗まれないように、気を付けて下さいって」
サイレンの音はさらに音量を増し、やがて激しい赤い光が迫ってきた。
服部の瞳にゆらゆらと赤い光が点滅していた。
「逮捕しないのか」
テツは残された赤い血を見つめながら父親に言った。
病院に連絡を入れ、服部の無事を確認した後だった。
「誰を?」
無表情な父親の顔に、思わずホッとしそうになる顔をテツは隠した。
長谷川は残された服部の血をジッと見た。
「…別に怪盗ハットリはここに来るとは言っておらん」
テツは弾かれたように父親を見て、そして、その背をポンッと叩いた。
「なぁ。親父はどうしてここに来た?」
「お前。何やら考え込んでいたと思ったら、予告状を投げて、『ツリーだ』と叫びながら飛び出して言っただろ」
「そうだっけ?」
「それにしても…、ここのオーナーにさっき電話したんだが、彼はお客様です。不法侵入ではありません。と言われたよ」
おもちゃ屋の向かいにそびえるビルから、二人を見下ろす中年の男がいた。
垂れ目で小柄な男はゆっくりと受話器を下ろした。
「これで、いいですか?」
そう言って、隣に立つ老人に笑いかける。
「ありがとうございます」
「いえ。私には何故あなたがこのような頼み事をされたり、ツリーの片付けを一日延ばして欲しいと頼まれたかは分かりませんが、訊こうとは思いません」
垂れ目の男はさらに目尻を下げた。
年老いた手相見の深い瞳に空から降る雪が次々と通り過ぎていく。
次回、最終回です。