表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/44

File3:永遠の瞳(完)

 服部とロビンはナースステーションを避け、院長が特別に用意した手術室に向かいベッドを引いている。

 ベッドには、自ら瞼を開くことのない沙里奈が横たわっている。

 服部の斜め前を、看護婦姿のロビンが規則正しい足音を立て歩いている。

「ロビン。どうするつもりだ?今から大道グループ会長の一人息子なんて盗めるわけがない。今、沙里奈を手術しても涼子が応じなければ意味がない。ロビンがあんな風に時間稼ぎしても無意味だ。…結局、オレ達は意味のないモノを盗もうとしているのか?」

「…そうね」

 服部の視線は、開かれる筈のない瞼に注がれている。

 輝くことを今にも忘れそうな瞳が、その奥にはある。

「オレが盗むのは、何だ…。人が大切にしているモノ…?オレは、…何者だ?」


 ドーン

 蒼い光が服部の顔を蒼く浮き立たせた後、遠くに雷鳴が響く。

「オレは、人を不幸にしているのか…」

 ロビンは薄暗い闇の中で濡れたように光る黒い瞳を、僅かに服部に向けた。

 珍しく大人しめの色をした形の良い唇は、何も語る事はなく結ばれたままだった。

「…当たり前か。犯罪者だからな」

 夜の廊下に途切れることなく響く深い雨の音は、カラカラとベッドを引く音を掻き消す。

「ハットリ。忘れたの?私は声帯模写の天才よ」

「え?」

「目の見えない涼子を騙すなんて簡単だわ」

「大道グループ会長の息子になりすますのか?でも、声なんて知らないだろう?」

 ロビンの顔が稲光に光った。



 沙里奈のいない病室には、既にベッドが引きずられる音は聞こえない。

 ただ、激しい雨の音だけは未だに病室に響いている。

「分かんないよ。一人残さないでよ」

 頭に沙里奈の声が蘇る。

 目が見えるようになったら何が見たい?

「バカ。私は沙里奈が見たかったの。言ったじゃない」

 無理ね。

 沙里奈の笑ったような答え。

「そっか。だから、無理だったんだね。…助けて…。誰か。誰でもいい…。助けて」

 それは静かな足音だった。

 床に座り込んだ涼子の下でピタリと止まる。

「涼子さん」

 聞き覚えのある声に涼子は見えない目を向けた。

 目の見える頃の習慣である。

「お願いだから、手術受けて下さい。本心から謝ります。僕のせいで事故に遭ったんでしょう?」

「虎之介さん?どうして、ここに?」

「沙里奈さんは優しい死に顔だったよ。それは、君が作った優しい顔だ」

 足音は涼子の元から去ろうとした。

「待って」

 その声は激しい雷鳴に押し潰され、聞こえる事はなかった。

 耳から聞こえた声は幻だったのだろうか。

 沙里奈以外は誰も知るはずのない恋の相手。

 どんなに優れた泥棒でも盗めるはずがない。

 だから、幻。

 沙里奈が私に残したメッセージ。


 沙里奈…

 覚えている?

 あの事故の時、暗闇に突き落とされた私の耳にあなたの声が届いたの。

 何度も、何度も、あなたは倒れている私を揺すって繰り返したわ。

 助けて。助けてって。

 それは、あなたが周りの人に怪我した私の助けを求める声だったのだろうけど、私には、あなたが私に助けを求めているように聞こえたの。

 助けて、独りぼっちにしないで、って。

 その叫びは、私と同じくらい一人に思えたの。

 だから、強く願った。

 一緒にいたい。

 友達になりたいって…。

 涼子はゆっくりと立ち上がる。




 今年、最後の蝉の声が絶え間なく響く。

 透き通るような青空は光に満ちあふれ、どこまでも続いている。

「久しぶり!元気だったかーー」

 耳元でテツの声が炸裂した。

 服部は今では学校中にその名を知らない者はない人物を見て、つい溜息を吐く。

 夏休みが終わってこうまで元気なのはコイツぐらいだ。

「どうして、テツはそんなに元気なんだ?」

「どうして、服部は元気じゃないんだ?」

 本当に不思議そうにテツは服部の顔を覗き込む。

 その顔は日に焼けて、真っ黒だ。

「服部、夏休み何していたんだよ。携帯に全然でないし」

「そうだっけ?」

「何だよ。隠すなよ。友達だろ」

 テツの口から白い歯が覗き、服部の耳には未だに校庭の桜の木で騒いでいる蝉の声が残った。



 青い空よりも青い瞳が遠くの空のさらに遠くを見つめる。

 太陽から与えられた光を髪に掻き集め、そのブロンドはさらに輝きを増す。

「お久しぶりです。ミスター」

 聞き覚えのある綺麗な日本語に老人は足を止めた。

 目の前にはニッコリと微笑むイギリス人がいた。

「…久しぶりじゃな。アル」

「相変わらず、元気そうですね」

 真昼の太陽の下、アルの瞳が翳る。

「タイチに逢いました。例の仕事をさせたそうですね」

 人通りの少ない路地を老人は何も答えず、一度止めた足を進める。

「あの仕事に特にタイチは必要があるように思えません。あなた一人で十分でしょう」

 流暢な日本語が淡々と続く。

「本当にあなたは残酷です」

 答えは返らない。

「1年前、私に命の短い少女の話をしました。その瞳の綺麗な少女は、その時、まだもう一人の少女の光を奪ってもいませんでした」

「ワシは手相見じゃ。僅かに外に表れる人の運命を見る。しかし、それは絶対ではない。時には、運命は流れを変える」

「貴方は怖い人だ。運命を変えるのは楽しいですか?他人の人生を弄ぶのは楽しいですか?私には貴方があの少女が死ぬ時間さえも知っているように思えました」

「分からない事の方が遙かに多い」

 肯定にも似た返答を返し、熱い太陽の光を、老人は涼しい顔で受け止める。

「16年間、私はあなたの元にいましたが、結局、私にはあなたの仕事を理解できなくなり、日本から去りました」

「藤井には会ったのか?」

「いえ。彼は好き嫌いの激しい完全主義者です。盗みに魅力を感じつつ、それを認めない」

「16年前と少しも変わっとらんな」

「私には貴方も藤井も理解できません。盗みはビジネスです。貴方のやり方は残酷です」

「では、何故、日本に戻ってきた?」

「もちろんビジネスです」

 不意に風がアルの髪を撫で、青々と茂る木々の葉をさらさらと揺さぶる。

 アルは眩しそうに太陽を眺めた。

 その瞳は優しく太陽の光を反射する。

「私は服部太一の命を盗みに来ました」


 ジジ…

 一匹の蝉がうるさい音を立て飛び立つ。

 老人は足を止め、暫く飛び立った蝉の行く手を見ていた。

 その額から僅かに汗が滲み出た。



 病院の自動ドアが開くと、真っ青な空が涼子を迎えた。

「もうすぐ、夏が終わりますね」

 眩しそうに指の隙間から太陽を眺め、涼子は大きな深呼吸をした。

 横を歩いていた中年の女性が噴水の前で足を止める。

「そうね。涼子ちゃんは明日から学校?」

 優しい微笑みで涼子を振り返ったのは、沙里奈の母だった。

 その手には娘からの最後の手紙が優しく握られている。

「はい。…光が戻った日、母が言いました。ボランティアは自分の為にするものだと。自分の時間とお金を少しあげる代わりに笑顔と感謝の言葉を貰って自分が幸せになる。上も下もない対等な物々交換みたいなモノだって。おばさん。教えて下さい。沙里奈がくれたこの光の分、私は沙里奈を幸せにしてあげられたでしょうか?」

「勿論よ。沙里奈は幸せだった。涼子ちゃんを見ていると分かるわ。人が人を幸せにするのは案外簡単なのかも知れない。ねぇ、教えて。沙里奈があげた光は、どのくらい涼子ちゃんを幸せにしてくれるかしら?」

 そして、涼子はハッキリと言った。

「永遠にです」

 噴水から湧き出る水は光を反射し、キラキラと輝いた。

 光に揺れる水面を涼子が見下ろすと、静かな微笑みを浮かべる自分がいる。

 そして、水面の瞳にはさらに自分が写る。

 涼子を見つめて、幸せそうに微笑む沙里奈の瞳がキラキラと輝いている。 

 涼子は飽きることなくその澄んだ沙里奈の瞳を見ていた。

長い連載をお読みいただき、ありがとうございます。もうしばらくお付き合いくださいm(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ