File1:偽りのダイアモンド(1)
「あのヤロー。また、やりやがったな!」
服部太一は暗闇の中、呟いた。
パトカーのサイレン、キビキビとした警察官達の声を耳に、大きな溜息をつく。
彼の顔を覆っているのは某アニメの主人公のお面である。
祭りで見かける安物のお面だ。
服部が親指でそれをクイッと持ち上げると、彼の素顔がパトカーの赤い光に揺れた。
「まだ見つからんのか!」
いらいらした調子で長谷川宣雄は、部下に怒鳴りつけた。
「はっ。只今全力でこの付近一帯を捜索しておりますが、それらしい気配は見あたりません。 おそらく午前零時に来るのではないでしょうか?警部」
ぴくりと長谷川の眉が動くのを見て、まだ若いこの部下はびびりまくり、汗をだらだらと流し始めた。
「ばっっっっかもん!当たり前だ。これで何回目だと思っているんだ」
「はっ。5回目であります」
この部下は律儀に答えた。
「そうだ、3ヶ月の間に5回だ。よりによってヤツは、毎回毎回ご丁寧に、盗む場所と、盗むモノと、盗む時間を予告してきやがる。もちろん今回もだ。ふざけた名前で、何が“怪盗ハットリ”だ」
「ったく。何が“怪盗ハットリ”だ」
と、怪盗ハットリこと服部太一は今回の仕事場である趣味の悪い洋館を見上げ、深い溜息を吐いた。
泥棒は勿論、悪党といった言葉の類からはかけ離れた容貌。
短い黒髪に僅かに幼さの残るその小柄な少年からは、近所の中学生といったイメージしか受けない。
敢えて言うなら、ちょっとジャニーズ系で、まぁまぁ年増好みの男の子といった感じである。
服装は黒いショートのダッフルコートに濃いめのジーンズ。
至って普通。
服部は腕のGショックをチラリと覗き、脳裏に開いた屋敷の見取り図を確認する。
未だかつて彼のメモリは彼を裏切ったことはない。
「さて、と」
ボーン。ボーン。ボーン。ボーン。。。。。。
12回響く。
つまり、午前零時を知らせる時計の重い音が近所迷惑を考えず鳴り響く。
「おいっ。ハットリは現れたか?」
門外に駐車した覆面パトカー備え付けの無線マイクを握りしめ、長谷川が怒鳴り散らしている。
ギリギリとマイクを握りしめ、遂にバキッと音を立てて壊れた。
「クッソー。ごうつくばりのくそジジイめ!俺達を中に入れやがれ」
門を閉ざした金田邸を苦々しく見ながら、唾を吐いた。
パッと唾を避けた部下が長谷川を宥めるように言った。
「それにしても、怪盗ハットリは毎回毎回つまらないモノばかり盗みますよね。今回もダイヤモンドの指輪って言っても、偽物らしいですよ。だから、ここのくそジジイ…金田さんも警察は必要ないと判断したんでしょうね」
「けっ。どうだかな。警察には見せられないヤマシイものがどっさりあるんだろうよ。だがな、警察に予告状が届いた以上、来ないわけには行かん。被害者宅じゃ、捜査令状で無理やり押し込むわけにはいかんし、…しかし、よりによってこんな所に来ることになろうとは」
「警部?」
「いや。なんでもない。それよりヤツは現れたのか?」
「警部。たいへんです!」
部下が何かを握りしめ走ってくる。
「来たか?」
「こ、これを…」
そう言って、部下は何やらカードのようなモノを長谷川に渡した。
裏庭に面する屋敷の屋根に一瞬、影が過ぎる。
警官達は慎重に辺りを見渡しているようだが誰一人としてその影には気付かない。
暗闇の中、その影は無造作に手をポケットへ突っ込み、剥き出しのままの指輪を指で転がす。
服部の口元がゆっくりと弧を描き、音もなく屋根を蹴る。
冷たい風が僅かに頬を撫で、月明かりに“ハットリ君”が微笑む。
降り立った裏庭には警官の姿はない。
予定通りだ。
彼のパートナーの仕業である。
服部は静かに庭を走り抜け、暗闇の中、軽々と塀を飛び越える。
飛び降りた先に予定外の警官が現れた。
そこは金田邸の塀の外だ。
想定の範囲内。
驚いた警官が声を発する前に服部は走り寄る。
誰もが知っているトレードマーク、“怪盗ハットリ”のお面が近付き、我を忘れた警官は銃を抜いた。
警官は平常心を失っている。
約670グラムのリボルバーを震える手で服部に向ける。
真正面である。
しかし、服部はそれが見えていないかのように警官に走り寄る。
銃口から僅か1メートルの距離で乾いた音が響く。
外しようがない距離。
が、服部の足は止まらない。
弾倉が回転し、二発目が銃口から放たれる前に、服部の手刀が警官の銃を叩き落とし、素早く相手の背後に回り込んだ。
後ろからアームロックをかけ、反対の手で白い布を力任せに警官の鼻から口にかけて押し当てる。
「ヤダなー。忘れちゃったの?お巡りさん。一発目は空砲でしょ」
警官は膝を付き、服部の前で気を失う。
「取り出すな。指を入れるな。向けるな人に、でしょ?」
服部は日本の警察が掲げる拳銃事故防止三大鉄則をボソリと呟いた。
日本の警官が持つ銃は、一般に暴発事故を防ぐ為に一発目は空砲である。
犯人と撃ち合う可能性より暴発の可能性の方が高い日本らしい策。
服部はお面をポケットにしまい腕時計を眺めやる。
「そろそろだな」
と、歩きだそうとした所で、足下に何か引っかかる。
「あっ?」
眉を顰めた服部に、引っかかったモノがムクリと立ち上がり深々と頭を下げる。
「これは失礼いたしました」
「いえいえ、こちらこそ…」
丁寧な挨拶に服部もつられてペコリと頭を下げる。
しっかりした、でも、幼い声。
沈黙。
暗闇に慣れた服部の視線と、推定年齢7歳の女の子の視線が数秒間、固まる。
「失礼」
服部はくるりと右に回った。
子供?
想定の範囲外。
どこまで見られた?
そこは塀の外だ。
顔は暗闇でどこまで見えたか?
いや、相手はガキだ、ガキ。
あー。でもなー。
今まで顔は勿論、年齢も性別も全てバレてなかったのに、ヤバイかなぁ。
ま、いっか〜。
何とかなるか?
「ハットリ。こっち、こっち」
そう呼んでいるのは別の警官である。
服部は迷わず、その警官に導かれる。
その他の警官は既に倒れている。
眠らされているのだ。
服部は警官の後に続く。
暫く走ると目立たないように、目立つ車が止めてある。
二人は素早く真っ赤なフェラーリに乗り込んだ。
「ロビン!何だ!このクソ目立つ車は!ふざけんな。それに、また予告状なんか、出しやがって。仕事がやりにくくて仕方ないじゃねえか!」
「あら。だって、つまんないじゃない。フツーに盗んだって。ハットリもそう思うでしょ?」
そう微笑むのは、深いルージュの唇、長い艶やかな睫毛、長い黒髪、まさに計算されて作り上げられたような美貌に、すらりと伸びた二本の脚を持つ、さっきまで警官姿をした男だった男だ。
女ではない。
通称、ロビン。
服部のパートナーであり、変装と声帯模写の天才である。
そして、“怪盗ハットリ”の名付け親でもある。
服部はロビンの質問には答えず自分の質問を投げる。
「ロビン、まさかまた“アレ”を置いてきたんじゃないだろうな」
ニッコリと微笑むロビンは派手な顔がさらに華やかになる。
「だって。鬼平ってば、かわいいんだもん」
ぐぐぐー。
長谷川宣雄の握りしめた手の中で、“アレ”が潰れていた。
「長谷川警部、悔しそうですね…」
長谷川の後ろでこそこそと部下達の会話がする。
「また、盗られたからな〜。しかも例のカードが残されていたらしいな」
「ああ…アレな」
“Dear オニヘーちゃん
ダイヤモンドはイタダキきました。
From 怪盗ハットリ ”
「何か完全にコケにされてますね〜」
泣く子も黙る警視庁捜査1課長『鬼平』こと長谷川宣雄は、寒い冬にも関わらずプルプルと熱い怒りに燃えていた。
古ボケたビルの一室。
古ボケたドア。
その古ボケたネームプレートには手書きで、
『日本占い師協会本部』
と、書かれている。
作務衣を着た占い師らしき老人がまじまじと虫眼鏡で指輪を見てから言った。
「偽物じゃ」
「はぁ〜?偽物?テメイの指示通りのトコロから盗って来たんだぞ」
「ワシが言った通り?そこにあったのか?この指輪は」
「…いや。本当はじいさんが指示した金田の奥さんの部屋には行かなかった」
ロビンは、その事実を初めて聞いた。
「じゃあ、どこにあったの?依頼の品は確か『奥さんが結婚する前から持っていた唯一の指輪』の筈よね。じいさんの指示は、『奥さんの部屋』でしょ?予告状出したから場所変えたのかしら?まぁ、当然よね」
服部は納得いかないように続けた。
「普通、そうだろ?だから、その指輪はあの屋敷の中で一番警備が厚かったところから盗ってきたんだ。まぁ、子供騙しみたいなモンだったけどね」
「私が調べたセキュリティーシステムと違っていたの?」
「外はロビンが調べたとおりだった。ただ、屋敷の中には急いで作ったようなトラップがかなりあったよ。まぁ、だから、絶対、それが本物だと思ったんだけどなぁ」
ロビンは黙って服部を見た。
服部は屋敷に入り子供騙しのトラップを見た瞬間に経路を変えたのだ。
そして、敢えて警備の厳しい方へと向かいこの指輪を奪取してきた。
しかも、ロビンとの待ち合わせに遅れることなく。
「あのトラップ、囮だったのか。あのジジイが、そんなに頭の切れる奴だったとは計算外だ」
老人は白髪の見事な顎髭を撫でながらチラリと服部を見て笑った。
「ホ、ホ、ホ。偽物が本物なのじゃよ」
「っんだよ。それは」
服部はムッとしたように口をとがらせた。
その表情はかなり子供っぽい。
「フ〜ン。つまり、私達に偽物を盗ませた訳ね」
ロビンは偽ダイヤモンドを手に取り、照明の光にかざした。
「ホント。偽物ね。つまり、金田はこの指輪が偽物だとは知らなかったってことかしら?」
「知らないってわけないだろう?知っていたが、オレ達と遊びたかったんじゃね〜か?意味分かんねぇ」
服部はもう興味無さそうにクシャクシャと髪を掻き上げる。
老人はニッと笑って服部に向かい、何かを投げた。
服部はそれを右手で受け取り、目を落とす。
五百円硬貨だ。
「何?これ」
「今回の報酬じゃ」
「へ?五百円?」
「そ」
事も無げに老人は言った。
服部はパシッと五百円を弾く。
「ま、いっか。金が目当てじゃねえしな」
それを見て、ニッとロビンは笑う。
そして、後ろから服部に抱きつき、耳に息を吹き込むように囁いた。
「へ〜。お金じゃないなら、ハットリは何が目的なの?」
「何がって…。退屈しのぎだよ」
面白くなさそうにブツブツと言って、服部は力尽くでロビンの顔を遠ざける。