File2:微睡みの少女(完)
パトカーのサイレンを耳にしながら、服部はアクセルを全開にした。
SRは凄まじい排気音の呻り上げ、軽々と車と車の間をすり抜けていく。
「ハットリは桜林寺だ」
長谷川は叫んだ。
“微睡みの少女”は今日の夕刻に住職に譲ったのだ。
ハットリがどういう経緯でソレを知ったかは不明だが、ハットリが次に行くのはそこしかない。
人影のない寺から叩き付ける強い風の呻りに単車の排気音が殴り込みをかける。
どうやら警官はまだのようだ。
服部はエンジンを止め一気に寺の長い階段を駆け上がった。
強い風に寺中の戸板が軋んでいる。
「起きろ。じじい」
服部は寺の住職の枕元で息を切らしながらでっぷりと太った坊主を叩き起こした。
ビクッと飛び起きた住職は肉を揺らしながらあちこち見渡し、服部を見つけた。
「ひえ!ド、ド、ド、ドロボー。い、い、い、命だけは、た、た、助けて下さい。ナマンダブ。ナマンダブ」
「テメイの命なんかいらねえよ。絵だ。今日、長谷川から貰った絵を出せ」
住職の襟首を掴んで、思わず服部は凄む。
「これで最後にしてもらうぜ」
住職は、障子からの薄い明かりにシルエットで見える見知らぬ訪問者に脂汗をかきながら声を絞り出した。
「ここにはない…」
ピクリと頬が引きつる。
時刻はすでに深夜零時から15分を回っている。
風の鳴く声とガタガタ騒ぐ障子の音との隙間に、パトカーのサイレンの音を服部の鼓膜が捉えた。
「どこだ?」
「人にやった」
「どいつに?」
服部は、早口で質問をぶつけた。
「エー誰だったかな?…ああ。そう言えば…」
「誰だ?」
「知らない」
「は?」
「知らないんです。句会で知り合ってたまにお茶を飲むようになって。でも、名前聞いてなくて。本当です。本当です」
終わった。
確実に服部はソウ思った。
何人もの男の手に渡りついに行方知れずか。
「そういえば…」
住職は不意に何かを思いだした様に考え込んだ。
服部は期待せずに答えを待った。
「水戸黄門…、」
「水戸黄門だと??」
「そう、昔の少し痩せた水戸黄門に似ていて…」
水戸黄門……か。
がくんと肩を落とした服部は、不意にハッとして住職をもう一度見てから言った。
「それって、痩せて、白髪の顎鬚を持ったジジイってことか?」
住職はこくんと頷いた。
「あのくそジジイ。俺に無駄足踏ませやがって」
中央防波堤最終埋立処分場。
通称、夢の島。
遠い昔、夢の中にいたその住人達は、今はガラクタと呼ばれる代物になっていた。
強い風の泣き声を聞きながらじっと耐えている彼らの上に、一人の男が立っていた。
「ない。ない。ない。どこにあるんだ。粗大ゴミは全部ここに来るんじゃないのか」
アキラは服部に会ってから、ずっとここで一つの物を捜し続けていた。
「バカみたいだ。こんな事をして、見付かるわけない。何やってんだよ。…俺。見付かったとしてもソレでお祖母ちゃんが元に戻る訳でも、俺の罪が消えるわけがないのに…」
一人、座り込んで呟いたアキラの目の前に、突然“微睡みの少女”が現れた。
「これは、あなたの描いた絵ですね」
“微睡みの少女”の絵を見せるように立つ人物をアキラは見上げた。
白い顎髭が印象的なその老人は優しく淋しい瞳でアキラを見下げた。
「6年前、あなたがお祖母さんから盗んだ本物の“微睡みの少女”の代わりに描いた絵ですね」
冷たい海の風がアキラの頬にぶつかり、髪を僅かに揺らす。
「知らなかったんだ。あの絵が、そんな有名人の描いた絵だったなんて…、だから質屋では1万円にもならなかった。その後すぐテレビで知った。その少し前に死んだ画家の作品で、もの凄い値段だったな」
ポツリ、ポツリとアキラは自分の描いた“微睡みの少女”を見つめながら喋った。
「高校生の時、画家になりたかったんだ。でも、父親に相手にもされなかった。結局、それで簡単に諦められたんだ。それ程の強い夢でもなかったんだろう」
「でも、これは素晴らしい絵ですよ。これを見た何人もの人々が本物ではないと知りながら欲しがりました。おかげで随分手間取りました」
「俺も2年かかった。自分の絵を見つけるのに。持ち主の息子に近づき、絵を取り戻すため、息子のドラッグパーティにまで参加し、もう少しのところでハットリに持ってかれた」
「それは苦労した様だね」
老人はゆっくり答えた。
「本物の絵が無くなった頃から、ばあちゃん元気なくなって、俺の事、責めなかったけど、責任感じて、絵を取り戻したかったけど、金もないし、それでできるだけ思い出して描いたんだ。その時、ばあちゃん、すごく喜んでくれて。でも、2年前、親父の奴、何も知らずに誰かにやったんだ。アイツはどうせ本当に家族の事なんか心配してないからな。大事なモノが見えてない。それから、だから、…ばあちゃんが呆けたの。…結局、それって、俺のせいだろ?」
「違います。あなたのせいではありません。丁度その頃、あなたのお母様もお亡くなりになられておりますね」
「…そうだな。すげ〜仲悪かったから…、どうなのかな…?」
「お祖母さんは、若い頃の正太郎氏との時間より遙かに長い時間をあなたのお母様やアキラさんと過ごしておられます」
「それって…?」
「おばあさんにとって、池畑氏が描いた絵、そして、アナタが描いた絵。どちらが、本物なのでしょうか…」
「…そうか。だから本物より、俺の絵だったんだ。間違って描いた桜が背景の、…この絵なんだ」
アキラの瞳に桜の中で幸せそうに微睡む少女が写っている。
「アキラさん。三番瀬と言う名の干潟をご存じですか?人々に翻弄された浅瀬です。ゴミの廃棄場として次々と埋め立てられました。美しい自然をガラクタで潰し、三番瀬の自然は永遠に夢の住人になる。しかし、人々は夢の島のように潰した夢の住人を再び起こそうとする。必死で夢にしない夢を見る。愚かですが、美しい夢だとは思いませんか?」
「夢にしない夢?」
「彼らの夢は眠っていては、見られない夢です」
「起きていなければ、みられない夢…」
アキラは自分で描いた微睡み続ける少女に、昔見た自分の夢を見る。
「…でも、眠っているからこそ美しい夢が見られるのかもしれませんが…」
老人は深い皺を眉間によせる。少しだけ目をつむって、再び優しい目を開いた。
「ところで、アキラさんは本物がどこにあるか知っているんですか?」
東の空がうっすらと白み始め、アキラは凶暴に吹き付けていた風が、いつの間にか穏やかな優しさを含みつつあるように感じた。
「2年前からずっと老人ホームのばあちゃんが寝てるベッドの側に飾られているよ」
ガラクタ達が徐々に色づき始め、夢の島にゆっくりと穏やかな朝が訪れようとしていた。
「昨日の風で桜全部散っちゃったわねぇ」
ロビンがビルの外に投げていた視線を部屋に戻す。
視線の先で服部が事務所のパソコンを何やら弄っている。
服部の指の速さに感心しつつ、画面を肩越しに覗く。
「何やってるの?って、コレ、ってウイルス?」
「そ。微睡みの少女を起こさないように例の霊媒師さんに頼もうとね」
かなりの速さで画面を流れていく英数字にロビンは顔を顰めた。
「…ハットリって、結構イヤな奴?」
「そう?イエローカードみたいなモンだから、お手柔らかなのを選んで上げようと思っているんだけど」
「このウイルスメールがお手柔らか?」
霊媒師のアクセス制限つきのホームページをなんなく突き止めた服部であったが、それ以上の手がかりはつかめなかった。
理真と霊媒師の関係もはっきりしていない。
「ちょっと、これに手を加えて…」
ホームページを眺めながら、キーを打ち続ける服部はやけに楽しそうだった。
それをそばで見ていたロビンは、コイツだけは敵には回したくないと思いながら、呟いた。
「こういう、嫌がらせって地球の裏にいても関係ないのよね」
その真下。
「あら、池畑正太郎に関するメールが届いているわ」
と、絵里が麻美の愛用パソコンであるマルチャンを触ろうとする。
調度部屋に入ってきた麻美が、すかさず画面を覗き、サッと顔色を変える。
「お姉さま。止めて…」
が、遅い。
メールは開かれてしまった。
麻美が頭を抱える。
「何?どうしたの?」
「ウィルスボム…」
何やらマルチャンが楽しげにサイレンを鳴らし始め、画面の中に救急車が走り始める。
そして、次はアメリカ版正義のヒーローが画面を走りまくる。
絵里はコンピューターウイルスが忍ばせてあったメールを開いたのだ。
「お姉さまが不用意にマルチャンで情報を集めようとするからです。池畑正太郎のファイルで送ってきたと言うことは、こっちにこれ以上、関わるな、と警告しているんでしょう。きっと、お姉さまが見境なく池畑正太郎の情報を集めたので、こっちの情報をつかんだのでしょう」
「誰なのよ。相手は」
「こんなコトするのに、無防備に名前を教えてくれるわけありません。このネット社会では、世界の裏側からでも攻撃できます。きっと、相手はプロでしょう。たとえ、私でも相手を突き止めるなんて…」
「あ。怪盗ハットリ…?」
後ろからいつの間にか画面を覗いていた理真が呟いた。
「何言っているんですか?どうして、怪盗ハットリがこんなコト…」
ピーと煩い警告音の後に現れた文字に3人は呆気に取られた。
『怪盗ハットリ参上』
そして、画面に青い忍者衣装を纏ったアニメチックな忍者が現れ、立てた人差し指をもう片方の手で握るというお決まりの忍者のポーズを取る。
そして、
『忍法隠れ身の術!』
と、画面に出ると共に煙を貼ったように画面が潰れていった。
マルチャンに入っている情報が破壊されていく。
麻美は、なすすべもなく大きな溜息をついた。
絵里は、今回の失敗のフォローを計算し、次の作戦を考えている。
理真は、嬉しそうに画面を眺めた。
木漏れ日の光る老人ホームの庭で、お婆さんは、幸せそうに微笑えんでいた。
「その絵はどうなさったんですか?」
後ろから介護士が話しかけた。
「孫が持ってきてくれたの。私の宝物ですよ」
「まあ。綺麗な絵ですね」
お婆さんは目を細めて頷く。
穏やかな風が、緑色に輝く桜の葉をさらさらと揺らし、微かに介護士の髪を靡かせた。
そして、お婆さんの手の中では、満開の桜に囲まれ、幸せそうに一人の少女がいつまでも微睡んでいる。