File2:微睡みの少女(3)
「ほほ〜。絵を取り損ねた」
「やっぱり、私がいないとだめね」
古ぼけた4階建てビルの4階の一室。
ドアには『日本占い師協会本部』の文字。
「うるさい。取り返せばいいんだろ。ソレより、その“微睡みの少女”ってのは、なんなんだよ」
服部は、いつものように老人から大した説明を受けていない。
「ハットリ、知らないの?6年前に死んだ有名な画家が描いた絵よ。その画家の絵には1億円以上する絵もごろごろあるんだから。“微睡みの少女”は、彼がまだ売れていない頃の作品で、確か彼が死んでから発見されたのよ。で、2年前に盗難されているわ」
ロビンがざっと説明し、ズイと服部に詰め寄る。
「どうやって取り返すのよ。もしかして、誰に取られたかわかっているとか?」
「いや。別に…」
何となくごまかす服部である。
「偽物ですって?私はお姉ちゃんの言うとおりの所から盗ってきたのよ」
理真は持ってきた絵を見下ろした。
「どうせアンタが間違えたんでしょ」
姉も負けてはいない。
「絵里お姉さまも、理真お姉さまも落ち着いて下さい。ソレは偽物ではありません」
「ちょっと。麻美が本物じゃないって言ったんでしょ」
と、長女の絵里は、怒鳴る。
「本物ならいいじゃん」
と、次女の理真は、ムッとする。
「本物ではありません」
一番末の妹の麻美は落ち着いて言った。
「じゃあ、何なのよ」
絵里と理真はイライラして麻美を睨み付ける。
「偽物以前の問題です。そもそも絵が違うんです。ほらよく見て下さい」
麻美が本物の絵の写真と理真が盗ってきた絵を並べて説明し始めた。
「中央の少女は同じですが、背景が全然違います」
理真は盗ってきた絵と写真を見比べた。
「あ。ホントだ。本物は赤いや。紅葉かな」
「そして、こっちはピンク色です。絵のタッチもよく見ると違います」
自分の盗ってきた絵を眺め、理真は呟いた。
「このピンクって、桜みたい」
「で、本物はどこにあるのよ」
絵里はムッとしながら麻美に訊く。
「知りません。確かこの情報は絵里お姉さまのモノでしたね。どこで手に入れたんですか?このいい加減な情報」
「インターネット。おかしいと思ったわよ、あんなビルにこんな高価な絵があるなんて。でも、他に情報がなかったんだもん」
「まさか、私のマルチャン使ったんですか?」
マルチャンというのは、麻美愛用のパソコンの事らしい。
麻美は自分のパソコンを使われることを嫌がるのだ。
ほんの少し難しい顔でマルチャンを眺めている。
理真はそんな麻美を無視して絵里に突っかかる。
「そんないい加減な情報でいちいち私を動かさないでよ」
「この仕事いくらになると思っているのよ。あの絵は1億よ」
「絵里お姉さま。それはバブル期だと仮定した場合の値段です。今はせいぜい二千万ぐらいですわ」
美術年鑑を見ながら、麻美がすかさず、訂正する。
「でも、池畑正太郎マニアには、1億の価値があるの」
「お姉ちゃん。こんな仕事やめようよ。ドロボーまでする羽目になるなんて」
理真は情けない声で言った。
絵里はきっと理真を睨み付けた。
「仕方ないでしょ。今夜までに私が霊視した場所にそれがないと、この仕事もだめになるの。私達姉妹が路頭に迷ってもいいの」
「でも、違う絵を置いたら、結局、偽霊能力者ってばれちゃうじゃないの」
「はぁ〜。とりあえず、これで時間稼ぎするしかないわね」
絵里は、ピンクの中の幸せそうにの中で寝ぼけている少女を一睨みした。
古ぼけた4階建てのビルの3階の一室。
扉には『全国霊能力協会本部』とある。
4階の『日本占い師協会』も3階の『全国霊能力協会』も実在の団体とは関係がない。
川岸の桜並木が続く道を次々に、ジャージ姿の学生達が走り過ぎていく。
もちろんトップを行くのは長谷川鉄郎だ。
一方、服部はぼんやりと桜を眺めながら走っていた。
「どうしたものか。一度あげたものを返せというわけにはいかないし、そもそも理真に直接訊くわけにもなぁ〜」
あの絵を取り戻したいが、でも、何故理真があの絵を欲しがったのか分からない。
大体理真は何者なのだろうか。
普通の女子高生が夜中に、泥棒まがいの事をするわけがない。
と、普通の男子高生ではない服部が呟く。
あっ。
理真だ。
男子より先にスタートしていた女子の中で、やる気なさそうに足を進めている。
服部はギクリとした。
不意に理真が振り返ったのだ。
「や、やあ」
理真のジッと服部を見る目に、どぎまぎしてしまいきまりの悪い挨拶をして、理真に近づいた。
「どうせ、テツが先頭だろうな。少しは陸上部の立場を考えてあげればいいのに」
服部は昨日の理真の胸の感触を思い出して、理真を見られないまま、無意味な会話を始めようとした。
それを無視し理真が呟く。
「声が似てる」
「え?」
「えっと。その、昨日の夜、何してた?」
「テツみたいなこと訊くなよ。昨日は家に居たよ。お父さんもお母さんも居たし…」
「お父さんにお母さん…。どんな人?」
「普通だよ。サラリーマンと主婦」
「普通だね。そうだよね。アンタが、…なわけないものね」
桜がさらさらと揺れる。
ピンクに染まった花びらが風に合わせてながれ、川面にそっと着陸し、今度は川の流れに身を任せる。
ゆっくりと理真の足が止まった。
「私、ハットリ、嫌い」
「僕のこと?」
理真は首を横に振り、ピンクに染まった川を見やった。
「ドロボーのほう。自信過剰で、きっと何でもできると思ってんのよ。世の中そんな甘くないのよ。早く捕まっちゃえばいいのよ」
「…どうして、そんな風に思うんだよ」
二人の横を次々に学生達が通り過ぎていく。
「昨日ね、ハットリにあったの。信じられる?予告状を出さない仕事もしてるんだよ。怪盗ハットリって。知らなかったなぁ」
「嘘だろう…。模倣犯ってヤツじゃねぇか」
服部の言葉は理真の耳には入っていない。
「どうして、あんなに自信過剰なんだろうね…」
勝ち気な瞳が翳る。
理真は怪盗ハットリと名前が同じ自分に何となく話しているだけかも知れない。
しかし、服部はハットリだ。
理真は知らない。
どうして、彼は自分に絵を譲ったのか。
そして、服部も知らない。
何故自分は理真に絵を譲ったのか。
今日の理真はいつもと何か違う。
「私ね、小さい頃、怖いものなんて何もなかったの。何でもできると思っていた。でも、大人になるにつれ、できるものと、できないものがあるって分かってきた。叶う夢と叶わない夢。必要なもの、不必要なもの。打算的になって、他人にも、自分自身にも受け入れられるよう、猫を被ったり、ピエロになったり」
「…そんな風に見えないよ。僕には理真の猫もピエロも見えない」
「嫌いだから。そんなの自分じゃないから」
「無理して強がってたいの?でも、猫も道化師も理真の一部だろ。気にする事なんて…」
「誰でもソウなんだって、自分を納得させるのも嫌い」
「『誰でも』じゃない。『自分が』だよ。猫と道化師で演技と嘘を続けるのも、やっぱり自分なんだよ。それでいいじゃないか」
ソウ思わないとやっていけない。
どうしてそんなこと訊くんだよ。
しかし、理真は服部の言葉を無視するように言葉を重ねる。
まるで服部がハットリであるように。
「だから、嫌い。ハットリは何でもできるって思ってる」
違う。
ソウじゃない。
私は、ハットリが嫌いなわけじゃない。
ただ、ハットリみたいに為れない自分が嫌い。
違う。
ソウじゃない。
オレは何でもできる訳じゃない。
淋しそうな理真の横顔に服部は耐えられなくなった。
「似合わない。全然。何シリアスになってんだよ」
ハッとしたように理真が服部を振り返る。
「ばっかみたい。どうして、こんな事アンタになんか話したんだろ」
いつもの理真の憎まれ口にホッとした服部は、自分たちがマラソン大会の途中だったことを思い出した。
走りだそうとした服部を車のクラクションが止めた。
「は〜い」
軽く陽気なその声。
真っ赤なフェラーリの窓からロビンが現れた。
「なんだよ。こんな所に来るなっていつも言ってるだろ」
慌ててロビンに近づく服部とモデル並の顔とプロポーションの女を見て、理真は言葉を失った。
ロビンが理真を見てクスッと笑った。
理真は、何故か自分が恥ずかしくなった。
「私、先行くから」
服部は溜息を一つ吐いて、走り去る理真を見た。
「何しに、来たんだよ」
「あら。お言葉ね。“微睡みの少女”の場所を教えに来たのに」
「あ!」
理真に探りを入れようと思っていたのに、思わぬ彼女の反応に、服部はその事をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「で、どこだ?」
「それが、すごく面白い話があるの」
ロビンの微笑みが、冴えるほどにろくな事にはならないと経験で知っている服部はゲンナリと桜を眺めた。