やる気濃度
やる気濃度
やる気がない日もある。それはもちろん当然のことだ。にんげんだもの。と言った人がいるわけだが、もちろんそうだ。猫ならばパソコンで日本語を書かない。
日本語は書かないが猫はキーボードを押す。書きかけの文章をそのままに飲み物を取りに行ったりすると、戻った時には猫が記した暗号がディスプレイに輝いていることがある。
「おまえ、俺に言いたいことがあるなら口で言え」
そう言ってみても猫は知らん顔ですうっと部屋から出て行くのだ。あの口の堅さは、きっとどこか寒い国の秘密諜報員に違いないと睨んでいる。
春を超えてから猫はまるまると太った。冬の初めにガリガリに痩せてうちの軒先で震えていたのが嘘のようだ。あの日、猫舌用に温めたミルクをゆっくり舐めていたのが今でも思い出されるのに、猫はもうミルクなんぞに見向きもしない。一度高級ネコ缶をおごってやったら味を占めて一時はそれでないと口をつけようとしなかった。
もちろん高級ネコ缶を毎日買い与える甲斐性などないから猫がなんと訴えようとも猫まんま、ご飯にカツブシをかけたやつだけど、それをやり続けたら諦めたようで安いネコ缶に変えた時には喜んで食べるようになった。やれやれだ。
やる気の話だった。
そもそも文章を書くときに何かを口にするクセをつけてしまったのが運のツキだ。最初は時間がなかったせいで食事をとりながらキーボードをカチカチ言わせていたのだが、それが常になると口を動かしていないと集中できないようになっていた。
なのでいつも食事中に仕事をするようになってしまったのだが、食事時間だけで仕事が終わるはずもなく汚れた食器をパソコンの脇に置いたまま仕事を続ける。すぐに口さみしくなって皿に残っていたネギなど箸先でつまんで口に入れたりする。そのうち本当に集中力が切れて皿洗いのついでに台所からお菓子を持ってきたりするようになった。
結果、むくむくと太った。それはもう、ふっくらした。これはまずいと間食を断つことにしたわけだが。
やる気が出ない。
分かっている。これは自業自得だと。だがもうどうしようもない、遅すぎたのだ、気付くのが。どこまでも太り続けるか、やる気のないまま苦痛の中で仕事をするか、どちらかだ。
苦悩している私を慰めようとしているかのように猫がやって来て私の膝に乗った。にゅっと机の上に顔を出してキーボードをちょいちょいと前足の先でつついている。ああ、猫が私の代わりに仕事をしてくれたなら。
そんなことがあり得るはずもないのは百も承知だ。が、本当に心底そう思うほどにやる気がない。
そうだ。
私は猫を膝から下ろして立ち上がった。
仕事は代わってくれなくても、間食は代わってくれるんじゃないか?
台所から猫用のささみジャーキーを取って来てパソコンの前に戻ると猫が慌てて膝に飛び乗ってきた。目をぎらぎらと光らせて私の手元に集中している。
出来るだけ長い時間食べ続けてもらわなければならない。私はもったいぶってほんの少しだけ小さく小さくジャーキーをちぎって猫の鼻先に突き出した。猫は興奮して私の手も一緒に口に入れて咀嚼した。
「いったあ!」
牙を立てられて慌てて猫の口から指を引き抜いた。猫はろくに噛みもせずあっという間にジャーキーを飲み込んでしまった。まだくれ、まだくれ、と私の手に爪を立てる。あまりに目論見と違う状況に頭を抱えた私の手に猫が牙を突きたてる。仕方なくジャーキーを一本まるまる部屋の隅に放り投げてやり、ゆっくりと頭を抱えなおした。
猫は私の苦悩などこれっぽっちも知らないでガツガツとジャーキーを食う。そんなにうまいものかと興味がわいた。
ジャーキーの袋を開いて鼻を突っ込んでみる。思ったより生臭くはなく乾燥肉特有の旨みが凝縮された匂いがする。横目で猫を見る。まだ夢中でジャーキーと格闘している。
私は猫の目を盗んでささみジャーキーを小さく小さくちぎって口に入れた。噛むとじんわりと旨みが広がる。パサパサすることもなく噛みごたえがあり、長く噛んでいられる。
人体に有害なものは入っていないか原材料を見ようと袋を裏返すと、そこには100グラム当たりたったの23キロカロリーと書いてあった。破格の低カロリーだ。私の目が猫のようにギラリと光った、ような気がする。
それ以来、私は仕事の合間に猫用ささみジャーキーを噛んでいる。体重増加も止まり、仕事も進み、言うことはない。
いや、たった一つ。猫がいつでも私の膝に乗り私の口元を前足でぺちぺち叩きジャーキーを催促するのだけがちょっと困ったものだ。
猫の肉球が気持ちよくて思わず仕事そっちのけで猫をかまいたくなってしまう。
やる気がない日が増えた気がしなくもない今日この頃である。




