冬のある日
冬のある日
時雨続きだったこのごろにはめずらしい晴天になった。克彦は窓を大きく開けると、胸いっぱい深呼吸した。雨に洗われたからか、冷たい空気はみょうにすがすがしく澄んでいる。
散歩にでも行ってみようか。ふっくらと目立ち始めた中年太りの腹を、ぽんと叩いて外へ出た。
いつの間にこんなに寒くなったのだろう。今年は秋がなかったな。薄手のジャケットだけで出てきたことを少し後悔した。
まあ、いい。後悔しても仕方ない。歩いていれば暖まるだろう。克彦は大股に歩きだした。
川べりに向かう角を曲がるとどこからか甘酸っぱい花の香りがする。陽のあたたかさと一緒にじわりと身体に染み渡る。久しぶりに気持ちがほぐれていく。
夏からこちら、仕事と家事に追われ、季節を感じる余裕もなかった。ようやく最近、一人で暮らすリズムに慣れた。
梅雨の終わりごろ、ゲリラ豪雨の最中に、百合子は出て行った。
百合子はドアを開けたまま振り返り、克彦を見つめた。せめて雨がやむまで待てばいいだろう、と克彦は思った。だが口から言葉は出なかった。百合子は黙って出て行った。
川の水がキラキラかがやいている。鴨がつがいで、すうっとすべるように泳ぐ。オスが先を行き、ときおりメスを振り返る。何も言わずとも気遣かっているのがわかる。
「あなたはいつも何も言ってくれない」
そう言う百合子に克彦はやはり、何も言うことができなかった。克彦の中には何もなかった。からっぽ。白紙。それが克彦自身だった。
「あなたと一緒にいると私は壁にでもなった気持ちになるの」
鴨は岸辺に休んで羽繕いしている。二羽ならんで満足げに、ふっくらとして。
「なあ、言葉はそんなに必要か?」
克彦の問いに鴨たちは無言を返した。
ゆっくりと路地を進む。道端に年賀状販売中と書いた赤いノボリが立っている。百合子に年賀状を出してみようか? 白紙の年賀状を見たら彼女は怒るだろうか。
チラと口の端だけで笑うと克彦はポケットに手を突っ込み、背中を丸めて黙って歩いて行った




