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ぶらぶらと

ぶらぶらと

 創立記念日でやすみ、なんてことがマンガ以外にあることを紅葉は高校に入学してはじめて知った。私立の学校ならではの休みに嬉しくなり、この学校を選んだ自分をほめてやった。

 試験もまだまだ先だし、宿題もない。気分が浮いてじっとしているのがもったいなくて朝から外へ飛び出した。

 これといって行くあてもないし、どこか店に入る金もない。けれど心はウキウキして、軽い足取りで散歩を始めた。五分ほど歩いて川に出た。土手を歩いていくと散歩中の犬と行き合った。大人のゴールデンレトリバー。赤い首輪をつけて赤いリードを自分でくわえている。飼い主の姿はない。紅葉は辺りを見回したが、見晴らしの良い土手の上、どこにも人はいない。

 立ち止まってしまった紅葉の横を犬はお行儀よく通りすぎた。紅葉はにんまり笑うと犬の後ろについていった。なんて面白いものを見つけてしまったことか! 見逃すわけにはいかない!


 犬は紅葉のことなど気にもとめずまっすぐ前を見て歩いていく。五分ほど歩くと土手を下りて住宅地に向かった。

 何度も角を曲がり複雑な町並みをすいすいと歩いていく。途中、すれ違う人もいない。犬は気ままに歩いて一軒のレストランの前で立ち止まり腰をおろした。住宅街の真ん中にぽつんと一軒だけあるレストランはレンガ張りの二階建てで、その二階の窓に一匹の黒猫がすまして座り、犬を見下ろしていた。犬はパタパタとしっぽを振って猫を見つめている。

 ころんころんとかわいらしいベルの音と共にドアが開き、エプロン姿の女性が出てきた。犬の頭をなでてやってから紅葉にたずねた。


「この子の飼い主さんですか?」


 紅葉はあわてて手を振った。


「いえ、違うんです。私はついてきただけで」


 女性は「そう」と言って犬の前にしゃがみかこんで、本格的に犬をなでまわしはじめた。


「お前のおうちはどこでしょうねー」


「この子、いつもこんな感じなんですか?」


「ああ、リードのこと? そう。いつも自分でくわえてるよ。自己管理ができていてすごいよね」


 紅葉は小さく笑った。


「ずっと猫を見てるみたいですよ」


「なんかね、この子好きみたい、うちの猫が。かなわぬ恋かな」


 二人で窓を見上げると、猫はふいっと顔を背けてどこかへ行ってしまった。


「行っちゃいましたね」


「いつもつれないのよねー。あなた、まだこの子の後についていくの?」


「はい、どこへ行くのか確かめようと思います」


「ちょっと待ってて」

 

 女性は一端、店に戻ると小さな紙袋を二つ持って戻ってきた。


「これ、この子の飼い主に会えたら渡してくれる? うちで焼いてるクッキーなの」


「わかりました! あずかります」


「一つはあなたのね」


「え、いいんですか?」


「うん。そのかわり、いつかうちに食事に来てね」


 犬がのそりと腰を上げた。紅葉は女性と約束を交わして手を振ると、犬の後について歩きだした。

 それからも犬は色々なところに立ち寄った。花屋、八百屋、何軒かの民家、そのたびに飼い主宛に預かった紅葉の荷物は増えていった。犬もドッグフードをもらったり、水を飲ませてもらったりと、ちょこちょこ休憩をはさみながら歩いていく。みんなこの犬のことが好きで、飼い主のことを知りたくてたまらないようだった。


 紅葉と犬の散歩が三時間をこえたころ、犬はまた一軒の民家に入って行った。庭は荒れて雑草がはびこり、家はどこかくすんだ感じがした。どうやら空き家のようだった。

 犬はそんなことには頓着せず、庭のすみにある空っぽの犬小屋に入り、くわえていたリードを離した。


「あなたの家はここなの?」


犬に話しかけてみたが、犬は関心ないようで後ろ足で耳の後ろを掻いていた。


「あんた!」


 突然の怒鳴り声に驚いて紅葉が振り返ると、六十代くらいのおばちゃんが紅葉を睨み付けていた。しばらく二人は見つめあった。おばちゃんの表情が怪訝そうに変わり、それからやわらかくなっていった。


「あら、この家の子じゃないね」


「あ。すみません、勝手に入って」


「いや、それはいいんだけどさ。あんた、この家の人間がどこに行ったか知らない?」


「いえ、ぜんぜん知らない家です。犬についてきただけで」


「ああ、この犬もかわいそうだよ、置いていかれてさ」


「家の人は引っ越しちゃったんですか?」


「夜逃げだよ。家賃を踏み倒されるわ、犬はおしつけられるわ、散々だよ」


「この子、飼ってらっしゃるんですか?」


「いいや、自分のことは自分でできる犬だから。放ってる。犬小屋だけは置いていてやるけど、犬は家賃を払ってくれないからねえ。新しく住人をいれることもできないし。あんた、この犬を引き取ってくれない?」


 紅葉は犬を見た。犬も紅葉を見上げた。


「来る?」


 聞いてみると、犬はふいっと顔を背けた。


「来ないみたいです」


「困ったもんだ」


 ため息をつくおばちゃんに、道々で貰ってきた色々を渡すと、「犬からの家賃だね」と嬉しそうに笑った。


 歩き回って空腹な紅葉は家に帰ることにした。が、庭から道に出て、途方にくれた。ここがどこやら分からない。ぼうっと立っていると犬がリードをくわえて出てきて歩きだした。紅葉はまた後についていった。


 犬は来たときと逆の方向に歩いていった。五分もせずに紅葉と犬が出会った土手についた。犬はくるりと回れ右して帰っていく。


「送ってくれたの?」


 犬は聞こえたのやら、いないやら、すたすたと帰っていく。


「ありがとー」


 犬の背中に呼びかけて、家に向かった。今度の休みには今日会った人たちのところを回って犬のことを教えてあげよう。


「あ」


 紅葉はくるりと振り返ったが、犬の姿はすでになかった。


「一人じゃ道が分からないよ……」


 また犬に会えるといいんだけどと思いつつ土手を歩いて帰っていった。

 

 

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