メメント・モリ
メメント・モリ
和子の父親が亡くなったと知ったのは年の暮れ、灰色を基調にしたハガキが届いた時だった。ハガキの隅に印刷されたユリの花の絵が妙に美しかった。
私と和子と安江は中学から高校まで、一貫教育の学校の同級生で、和子の父親にはずいぶんよくしてもらった。和子の家に遊びに行って遅くなると必ず車で家まで送ってくれた。台風なのに登校したときも、和子は休んでいたのに私と安江を心配してわざわざ和子と一緒に学校まで迎えに来てくれた。こんな人がお父さんだったら幸せだったろうなと私と安江はよく話していた。
そのお父さんが亡くなった。ぼんやりとした不安が胸にわく。私たちも五十の坂を下っているのだから、親が老けていくのは仕方のないことだ。いつかはその時がくるのだと分かってはいる。ただ、実感が伴わないだけだ。そのことを想像するのが怖くて仕方がないのだ。
和江は一番先に『その時』を経験してしまった。あのお父さんを亡くしてどれだけ悲しんでいるだろう。そう思うと気楽に連絡することもできず、かといって無視することもできず、私と安江は駅前の喫茶店で落ち合った。
「久しぶり。どれくらいぶりだっけ」
「たしか前あったのは和子のとこの一平君が就職したっていう報告会だったよね」
「ええ? それって二年も前じゃない」
「いやね、年をとると時間があっという間に過ぎて」
「一平君は元気かな」
「どうだろうね。和子ともずっと会ってないし」
「連絡も間延びになってるしねえ」
ふっと会話が途切れた。これから話さなければならないことが喉にひっかかってうまく出てこない。簡単な言葉なのに。『ハガキ来た?』たったそれだけ。答えだって分かってる。『来たよ』。
和子はどんな気持ちであのハガキに宛名を書いたのだろう。私たちに葬儀を知らせなかったのは遠慮だろうか。顔を合わせなくなって二年はたっている。気まずい思いもあるだろう。私も和子の父親の葬儀を知らされて葬儀に参列しようという気持ちになったかどうか分からない。あんなに恩を受けたのに、薄情だとは思う。けれど人の生き死にに関わるのはかなりのエネルギーを使うものだ。
「ねえ、今日ね。私ロザリオ持ってきた」
安江がカバンから木製の丸い球が連なって十字架に続いていく、カトリックの数珠を取り出した。私たちが通ったのはカトリックの学校で、生徒の大半はクリスチャンだった。安江も和子も日曜日には家族で教会に通っていた。私の家には仏壇があるのだが、なんどか和子の家族について教会のミサに列席したことがある。ステンドグラスから差し込む七色の光に照らされたキリスト像は、どこか和子の父親に似ていた。
「お墓参りに行かない?」
安江に言われて、私はためらいがちにうなずいた。
お墓の場所は和子にメールで聞いた。久しぶりの連絡がこんなことだなんて、ずいぶんと薄情な友人関係のような気もする。けれど年を重ねていろいろなものを抱え込むと、十代のころのように互いの心の中にやすやすと踏み込むわけにはいかない。私たちはもう自分だけの人生を歩んではいないのだ。夫、子供、仕事、家事、その他もろもろの雑事でくるまれた、それが今の私なのだ。
『ありがとう。父によろしく』
和子からのメールはそう締めくくられていた。
電車で二駅離れた町に和子の父親のお墓はあった。高台の、海が見える墓地の中。仏教式の角ばったお墓の中に、一つだけ十字架型の墓石があった。私たちは提げてきたユリを供えて両手を組んでお祈りをした。私にとっては卒業以来の祈りだった。
「天にましますわれらの父よ、願わくば御名の尊まれんことを。御国の来たらんことを……」
何十年ぶりなのに、祈りの言葉はすらすらと出てきた。気持ちの底に眠っていた清冽な感情が一緒になって戻ってきた。あのころ私は、この祈りの中に未来を、夢を、希望を見ていたのだった。それはどこまでも澄んで虹のように輝き、優しい面差しのキリスト像に見守られて、私たちは素顔で生きていられたのだった。今、その素顔をさらけ出した私たちは知らぬ間に涙を流していた。悲しみではない。同情でもない。思い出に浸った感傷でもない。私たちは純粋な祈りのために泣いていた。
安江は祈りの言葉と共にロザリオの球を一粒一粒繰っていた。その最後の球を指でおくり、十字架にたどりついたとき、私たちの中には何もなくなっていた。この世のしがらみはずべて消えて、透明な悲しみだけが残っていた。
和子も何度となくこんな気持ちを味わったのだろうか。私はこれから先、大切な人を亡くした時に、こんな気持ちになれるだろうか。
「あーあ」
安江が大きく伸びをした。
「帰りますか、うるさい舅が待ってるからね」
いつもなら吐き捨てるように言う安江の言葉が、今日はどこか優しかった。死は人を優しくする。死が人を愛する原動力なのではないかと、ふと思う。
メメントモリ、汝、死を思え。女学生にはただの警句だった言葉が、老けた私の身に染みる。自身の死を考えることなどいつもはしない。見ないようにしている。恐いから。恐くて仕方がないから。
けれど人のために祈った今、死は自分に寄り添う優しい救いのような気がしている。和子もきっとこんな気持ちを味わったのだろう。あのハガキの宛名の文字には、何の迷いも恐れも不幸も感じられなかった。ただ、ただ、純粋な悲しみだけを胸に抱いて筆をとったのだろう。
汝、死を思え。
必ずやって来るその時を、透明な悲しみで彩るために。