それでは問題です
それでは問題です
死んでしまった。ついうっかり。
満員のエレベーターに乗るときにネクタイを挟んでしまったのだ。エレベーターはそのまま高層階目指して急上昇を始めた。必死にネクタイを引き出そうとしたが、どこかに引っかかってしまったようで抜け出せない。それからはあっという間だった。エレベーターは上昇し、ネクタイは一階にくぎ付けになっている。俺は挟まったままのネクタイに引っ張られて床に倒れこんだ。それでもエレベーターは止まらずネクタイが俺の首に食い込み、首からゴキっと嫌な音がした。
今思うとあの音は首の骨が折れた音だったのだろう。その後、首はどうなっただろうか。ネクタイで切断されたりしていないだろうか。エレベーターに乗り合わせた人に生首を見せるなどという失礼なことになっていなければいいのだが。
死んだという実感はあるのだが、自分がどこにいるのか分からない。周り一面が霧でおおわれ、1メートル以上先は見えない。足の下には地面がある。踏み固められた土の道だ。たぶん、死人はこの道を歩くようになっているのだろう。行くべき道だという気がする。
その思いに従って歩いていくと、霧の向こうに人影が見えた。足が止まった。死後の世界にいるものなんて碌なものじゃないだろう。しかし、行かなければならないという思いはだんだん強まってくる。鬼が出るか蛇が出るか、勢いをつけて歩き出した。
そこにいたのは、純白の羽をもつ天使と、薄絹の羽衣を羽織った天女と、お揚げさんをくわえた狐だった。
「私たちは神のお使いです」
狐が言った。
「あなたを天国に導きましょう」
天使が言った。
「けれどただでは通しません」
天女が言った。
ぼったくりバーに来た気分になった。死んでまで尻の毛をむしられるような出費があるとは。
「お金の話ではありません」
狐が言った。
「もっと高潔な話です」
天使が言った。
「頭が悪い人は極楽には入れないの」
天女が言った。
暗におバカさんねと言われたようだ。
「この道をずっと行くと、道が二手に分かれます。その分かれ道にそれぞれ人が立っています」
狐が言った。
「人の姿をしたそれは、まったく同じ風貌で、まったく同じ声です。けれど片方は天使、片方は悪魔です」
天使が言った。
「天使は天国から来て、悪魔は地獄から来たの。あなたはどちらかを選んで共に進まなきゃいけないの」
天女が言った。
選ぶなら、もちろん天使に決まっている。
「けれど、二人は同じ姿だから、どちらが天国に続く道か見ただけでは分かりません」
狐が言った。
「あなたは一つだけ彼らに質問することができます」
天使が言った。
「一人に一つ聞けるわけじゃなくて、二人に一回だけ聞けるの」
天女が言った。
どうして二人と一匹で分けてしゃべるんだろう。
「「「あなたに与えられた機会はその一回きりです」」」
二人と一匹が唱和した。ぞくりと寒気がした。俺は本当に死んでしまったのだ、もう戻れないのだ。
「天使は本当のことだけを話します」
狐が言った。
「悪魔は嘘しか口にしません」
天使が言った。
「つまり、あなたは人間ですか? と聞いたら天使は「いいえ」、悪魔は「はい」って答えるの」
天女が言った。
つまりこれは、とんちなのだな。一休さんのように屁理屈こねて正しい道を見つけなければならないのだな。
「あなたに教えられるのはこれだけです」
狐が言った。
「ここから先は言葉を口にしないよう」
天使が言った。
「独り言でも天使と悪魔が聞きつけたら返事が返ってきちゃうからね」
天女が言った。
「「「では、正しき道を選ぶように」」」
厳かな唱和に送られて俺はまた歩き出した。
歩きながら考える。天国に行きたいのだから「天使はどっちですか」と聞きたい。けれど、天使は正直に自分が天使だというだろう。だが、悪魔は嘘をついて自分が天使だというだろう。つまり、二人は同じ答えを同時に答えることになる。これは、まいったな。
天国はどっちですか。これだって同じ答えだ。
地獄はどっち……、いや、もちろん同じだ。
神様は不細工ですか。これは主観の問題だし、俺は神様を見たことがないから判断のしようがない。それより、激怒した天使に二度目の死を与えられかねない。
どうしたものだろう。腕組みして歩きながら頭をひねる。そうして何時間歩いただろうか。歩いても歩いても霧の中だから時間の感覚がない。いや、死人にはそもそも時間なんかないのかもしれない。歩いても全然疲れるということがないし。
いろいろなパターンの問題を考え続け、突然、あ! と思った。うっかり、あっ! と声をあげそうになり慌てて自分の口をふさいだ。
その時、急に霧が晴れた。俺の目の前に分かれ道があった。それぞれの道には、なるほどまったく同じ風貌の人が立っていた。
その人たちはバカボンのパパのような服装だった。ねじり鉢巻きでステテコに腹巻、白い上着。ひげそり跡が青々と濃かった。俺はあっけにとられてしばらく呆然と立ちすくんだ。バカボンのパパたちは興味なさそうな顔で俺を見ていた。言葉を発する気はないようだった。俺が質問しないと、何千年でも立ち続けるのだろう。俺は彼らを楽にしてやるために、先ほど分かった質問を口にした。
有名な問題なのでご存知の方も多いかと思いますが、もしご存じなければ暇つぶしに考えてみてください。