踏み切り
踏み切り
その噂を聞いたのはもう何十年も前のこと。私が中学生のころだ。当時、世の中は週休二日が珍しく、学校や企業は半ドンのところが多かった。半ドンというのは、土曜日の午後が休みであることで、学校は昼で終わり、空腹を抱えて家に帰っていたのだった。
バスで通学していたのだが、通学路に魔の踏み切りがあった。一度閉まるとなかなか開かないのだ。
今では高架になった路線だが、当時、電車はゆっくりゆっくり地べたを走っていた。踏み切りは電車が来るはるか前に閉まり、電車が過ぎたはるか後に開いた。なぜそんなにも時間をかけるのかと空腹の腹の虫と戦いながらイライラするのが土曜日の常だった。
「人身事故があったんだって。昔」
だからそれ以来ゆっくり時間をかけて開閉するのだという話だった。話はそこで終わりではない。
「時々、その死んだ人が踏み切りの向こうに立っていて、電車が通りすぎる間に消えちゃうんだって」
さも怖そうに話して聞かせる友人に調子を合わせて怖がるふりをした。けれどどう考えたって、踏み切りの向こうの人は待ち疲れて別の道を行っただけだろう。
たまたまバスの一番前の座席に座るかとがあった。遅刻ギリギリで踏み切りに引っ掛かり、やきもきして道の先を睨んでいた。踏み切りの向こうには一人の女性がたっていた。その人はぼんやりしているように見える。気が急いている私は、その人ののんびり具合に腹が立った。仕事も学校もない人はのんきでいいわよね、と投げやりに思った。やっと電車がやって来て通りすぎた。完全に遅刻だった。イライラはピークに達して私はのんびりとした女性を睨んで鬱憤を晴らそうとその人を探した。どこへ行ってしまったのか、踏み切りの向こうには誰も立ってはいなかった。
私は怠惰な質なので、たびたびそういうことがあった。そのたび女性は踏み切り待ちをしていて、踏み切りが開いたら消えていた。何のために踏み切り待ちをしているのか、さっぱり分からない。いつも手ぶらだから、ただ電車を見物に来ているのかもしれない。それくらいに考えていた。
またギリギリでバスに乗った日、案の定バスは踏み切りに引っ掛かった。その日は頭痛がひどく、それが遅刻の言い訳にもなるのでイライラもせず、ぼんやり車窓を眺めていた。
ああ、いるな、と踏み切りの向こうの女性を見るともなく見ていた。電車がくる直前、女性の姿が唐突に消えた。直後、電車が通り、ゆっくり踏み切りが開いた。女性の姿はもちろんない。どういうことなのかとバスの窓から後ろを眺めてみた。女性がいた。踏み切りの真ん中でバラバラに千切れた体を横たえて。
踏み切りを渡る人は誰も女性に気づかない。女性はただぼんやりと千切れた手足を投げ出して倒れ伏していた。
バスが遠く離れるまで、私は彼女から目をはなせなかった。
話はこれで終わりだ。私は遅刻をしなくなったし、それからすぐ踏み切りは高架に変わった。だが今でもあの場所に、彼女は千切れたまま横たわり続けているのではないかという気がする。今はもう電車は来ず轢かれることもなくなったというのに。
もうそれは何十年も昔の話だ。