むす
むす
お盆が過ぎると、暑さの中にも秋らしさが感じられるようになる。
吹く風はどこか涼しく、もうはや秋はすぐそこ……。
なんて勘違いをしそうだったここ数日、クーラーなしでも安眠できていたのだが
今朝から久しぶりの雨と思ったら夕方にはやんで、途端に蒸しだした。
まるで梅雨時に戻ったかのような湿気。そのうえ気温も高い。やられた。何にやられたのかは不明だが、やられた。
今夜はクーラーのお世話にならねばなるまい。
湿気があると汗が乾かず肌がべたつく。満員電車に乗るのが嫌になる。そんなもんで帰宅は帰宅ラッシュを避けていつもより一本遅い電車にした。
座れはしないが人と肌が触れあうことはない。安心して吊革につかまっていた。
むわっと、汗臭さに襲われた。隣に立った青年の臭いのようだ。
やや小太りで濃い紺色のポロシャツを来ている。シャツの色が濃いので、本当に彼が汗だくなのか判断つきかねる。だが、臭いは彼の方から漂ってくる。
彼の向こう側に立っているのは白いワンピースを着た女性で、どうも彼女が汗臭いようには感じられない。
そのまた向こうは枯れ木のように痩せたおじいちゃんだ。この汗臭さはないだろう。
しかし、これは、尋常じゃない汗臭さだ。体臭やワキガではなく、ただただ汗臭いだけなのだが、それがよくある汗臭さの四十倍ほどはある。
四十人の汗だくの力士に迫られているような感じだ。
とてもじゃないががまんできない。息を吸うのがつらい。
だが、満員ではないと言っても手すりも吊り革も見渡す限りには空いているものはない。
体幹がヘニャヘニャらしく、どこかに掴まっていないと倒れてしまう。
だが、どこかへ避難せねば、どうにも無理だ。汗臭い。臭い。
その時、電車が駅についた。
目的の駅はまだまだ遥か先だが構わず駆け降りた。
ホームで思いきり深呼吸した。
汗臭い!
咳き込みながら振り返ると、紺色のポロシャツの青年が立っていた。
「すみません」
話しかけられたが息を止めているため返事が出来ない。
「ドームに行くにはどちらの改札から出たらいいですか?」
返事など出来ようはずもない。首を振って逃げ出そうとしたが青年が早足に追ってくる。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
息をギリギリまで我慢しているのだ。きっと赤紫な顔色になっているだろう。
「ちょっと休んだ方がいいですよ」
そう言って青年がもう一歩近づいた。限界が来て思いきり息を吸ってしまった。
「汗臭い!」
叫んだとたん、あまりの汗臭さのせいで気を失った。
気がつくと堅いベッドに寝かされていた。駅務室のようだ。
体を起こすと、机に向かっていた駅員が振り返った。
「ああ、気がつきましたか。もうすぐ救急車が来るから、念のために乗っていって」
「はあ」
「蒸し暑いと倒れる人多いんだよね、熱中症なのか。そうだ、それ、あんたの? そうじゃなかったら、あんたを運んでくれた人の落とし物だと思うんだけど」
ベッドの枕元には新品のデオドラント成分配合のボディーシートがあった。忘れ物というよりは、わざわざ置いてあるようだった。
失敬して一枚取りだし首回りを拭いてみた。冷たい感触に頭がしゃっきりとした。
すると、汗臭さをまた感じた。駅員さんとはわりと距離がある。彼の臭いではなさそうだ。ではこの臭いは……。
恐る恐る今使ったボディーシートを臭ってみた。
「くっさ!」
あまりの汗臭さに再び倒れる。
気を失うまでの一瞬、臭かったのは自分だったのだと受け入れがたい現実にうちひしがれたのだった。