母のもにもに
母のもにもに
祖母の三回忌があった。
亡くなってから二年なのだから、二回忌ではないかと思うのだが冠婚葬祭用語は難しい。
葬儀の時にはみんなワンワンと泣き悲壮感が漂っていたが、二年もたてば笑顔で集まることになる。
葬儀を行った会場を借りて宴会になった。
三回忌だからだろう。なまぐさものも存分にあって酒が進んだ。
酔いながら話が向かうのが、墓の後継者問題である。うちの家系は結婚適齢期を越えた、もう若者とは言えないものばかりで、既婚者にも子供はなく、未婚者ばかりが、うぞっとそろっている。まあ、私もその有象無象のうちの一人だが。
現在、墓の管理をしている伯父が墓を潰して納骨堂を買うと話している。
墓のことを丸々伯父に任せていた親族に否やはなく、墓はなくなることになった。
さて、我が家は墓やら納骨堂やらを買う甲斐性のあるものはなし。誰か死んだら散骨だなと腹の中で算段した。
「納骨堂になったら、ナマモノのお供えは出来んよ」
伯母が言うと、母は首をひねった。
「生物がだめなら、何が置けるとね」
「缶ビールとかやね」
「父さんはそれでよかろうが、母さんはお酒は飲まんかったし」
「そうねえ。おばあちゃんは甘いものばっかりだったわね」
その時、母が満面に笑みを浮かべて宣言した。
「トイレットペーパーがいいがね!」
どや顔の母に、意味がわからないと言うと
「母さんは施設に見舞いにいったら、いつもポケットにトイレットペーパー入れてたでしょ」
たしかに、介護施設に入所していた祖母は、鼻をかむためにトイレットペーパーを持ち歩いていた。
「あの世で鼻をたらしてたらカッコ悪いもんねえ」
あの世でまでカッコつけなくても良さそうなものだが、母は思い付きに満足してうまそうにビールを飲んでいた。
後日、納骨堂にお骨が移動した日、母は本当にトイレットペーパーを仏前にそなえた。
一定期間過ぎるとお供えは納骨堂の方が始末してくれるそうだが、その時の係の人の当惑を思うとなかなか愉快だ。
さて。
我が家では順でいけば母が一番に散骨の対象になるわけで、その時の供え物は、まあ、ビールでいいだろうと考えていたのだが
母がいつも持ち歩いている水素イオンウォーターの方が、あの世でカッコつけることができるだろうか。
それがこの世の最期の親孝行になるのだ。油断なく考えねば。
だが、今はまだ。
まだもう少し。
母の喪のことは忘れていられるようにと
トイレットペーパーに頭を下げた。