とろけちゃったらミルクセーキ
とろけちゃったらミルクセーキ
太郎がお菓子作りにそそぐ愛情は執着と言えるほどの熱量だ。休日は朝から多種類のお菓子を作るのはもちろん、平日も仕事から帰ったらお菓子を作らないと落ち着かず寝ることも出来ない。作るのは大好きだが食欲は人並みで作り上げたお菓子も少ししか食べられない。大部分のお菓子は職場に持っていき同僚に振る舞うことになるのだった。
コールセンターのバックオフィスが太郎の職場だ。一日中ずっとパソコンの前に張り付きっぱなしで一秒でも早く案件をこなすことを要求される。データだけを見つめ人と話すこともない。社員には人と交わることを嫌う人間が多い。けれどそんな人嫌いな社員たちともお菓子を通じて心を通わせられる気がして、太郎はお菓子を運び続けた。
「日野さん、お菓子ごちそうさまでした」
昼休み、休憩室で一人昼食を取っていた太郎に同期の華子が話しかけた。
「今日もすごく美味しかった。転職してパティシエになっちゃえばいいのに」
太郎は嬉しさ半分、困惑半分の笑いを浮かべる。
「お菓子作りは趣味で楽しむだけの方がいいよ。仕事にしちゃったら、ただ楽しいってだけじゃなくなっちゃうからね。それに、当分は転職する気もないんだ」
「でもここのお給料じゃ、正直なところ生活苦しくない? 今は未婚だからいいけどお嫁さんを養うなら……」
二人の会話に後ろからキツい声が割り込んできた。
「養われる女なんて今時いるの? ああ、神田さんがそうなのか。いいですよね、ご主人の稼ぎをあてにしてのんびりして」
声の主、後輩の一条真理は言いたいことだけ言い捨てるとさっさと休憩室を出て行った。
「何あれ! まるで私が仕事してないみたいに聞こえるんだけど!」
真理の言葉には棘があったが言っていることは正しかった。華子の仕事に対する姿勢はどこか甘い。いつでも仕事なんか辞めてもいいんだということも度々口にする。憤慨する華子に同意できなくて、慰めてやることもなく太郎は苦笑を浮かべた。
早々に昼食を終え、華子から逃げ出してロッカールームに退散すると真理が部屋の隅でスマホをいじっていた。
「一条さん」
声をかけても真理は顔を上げない。
「お菓子、食べてくれたかな」
「私、お菓子嫌いなんで」
「全然? 一口も? 塩気のものも全部?」
真理は迷惑そうにちらりと太郎を見やり、またすぐに視線をスマホに落とした。
「なんでそんなにお菓子を食べさせたがるんですか」
「お菓子を食べた人が幸せそうな顔をするからだよ。一条さんはいつも昼食を食べてないよね。ダイエット?」
真理は今度はしっかりと太郎を正面から見据えて返事をした。
「私、アイスクリームしか食べないんですよ」
「アイスクリーム?」
「三食、アイスクリーム。超偏食なんです。気持ち悪いでしょ」
「そんなことないよ」
太郎は気持ち悪がるどころか嬉しそうにしている。真理はそんな太郎を不審げに見やった。
「食事代わりになる栄養があるアイスクリーム、作ってくるから食べてよ」
「……いいですけど」
真理はぷいっと横を向いてスマホをしまうと太郎の脇をすり抜けて出て行った。
その晩、太郎はさっそくアイスクリームを作った。
卵を卵黄と卵白にわけ、卵白に砂糖を加えてツノが立つまで泡立てる。卵黄に牛乳と青汁を注ぎ入れ滑らかになるまで混ぜたら何度か濾して、泡立てた卵白と合わせて泡を潰さないように混ぜる。耐熱容器に入れて冷凍庫へ。凍っていく間に何度か取り出して撹拌する。出来上がったアイスクリームをスプーンですくってなめてみると味は上々だった。
翌日、保冷バッグにアイスクリームを詰めて出社した太郎は真っ先に休憩室の冷蔵庫にアイスクリームを入れた。
昼休み、太郎は自分の大失敗に気付いた。アイスクリームを冷凍庫ではなく冷蔵庫にしまっていたのだ。でろでろに溶けきった緑色の物体は見るからに不気味だった。
「うわ、なにそれ」
華子が太郎の手元を覗き込む。
「失敗作だよ……」
「気持ちわるっ。そんなもの誰が食べるの。エイリアン?」
嘲笑する華子の肩越しに真理の声がした。
「私ですけど、何か」
太郎が振り向くより早く真理が耐熱容器を太郎の手から奪い取り、中身を一気に飲み干した。
「一条さん! いいよ、無理しなくて。溶けたものなんかアイスクリームじゃないんだから」
慌てる太郎に真理は容器を押し返した。
「悪くなかったです、青汁セーキ。私、溶けたアイスも好きなんで」
そう言うと真理はちらりと頬に笑みを浮かべて去っていった。
「なにあれ、ムカつく」
華子が同意を得ようと太郎にうったえたが返事はない。真理の背中から視線を外すことが出来ない太郎の頭の中は、次なる栄養価の高いアイスクリームの構想でいっぱいだった。いつか真理を美味しいと破顔させたい、その笑顔が見たい、そう思って。