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モダンタイムス

モダンタイムス

 どうやら大正ロマンが流行っているらしい。雅道の受持ちゼミの女子大生達が中振袖に袴というレトロな服装で通学してくる。鞄ではなく風呂敷に本を包んでかかえ、おしとやかに歩く。長い髪を編み上げてリボンで結んで、あらわになったうなじがなかなか良いと、雅道は口に出せばセクハラになるようなことを考えながら、密かに目の保養と楽しんでいる。


 この流行はどうやら雅道が勤める大学だけのものではないようで、駅で、バス停で、街で、カフェで同じような服装の女の子たちを見かける。華やかな花模様やシックな無地の中振袖と、軽いものから渋い色味の袴の取り合わせにも様々あるようで見ていて見飽きることがない。


 不思議なことにこの服装をテレビ画面の中で見ることがない。女優やタレントはみんな洋装だし、ショートカットの人もいる。男性で袴やなんやを身につけている人もいない。

 どういう流行なのだろうかと興味を持った雅道は女子学生に突撃インタビューしてみることにした。


「その服装は、ずいぶん流行ってるみたいだね」


 ゼミが終わって講義室に残っておしゃべりしていた女子三人に聞いてみた。彼女たちは一瞬きょとんとしたが、すぐに三人顔を合わせてくすくすと笑いだした。


「先生が女性の服装に興味があるなんて思いませんでした」


「いや、興味というほどでもないんだが、街を歩いていてみんなその恰好だろう。不思議に思ってね」


「不思議って、何がですか?」


「ずいぶん古風な出で立ちだし、買いそろえるのも大変だろう」


 三人はまた顔を見合わせた。今度は首をかしげて怪訝な表情になる。


「ええ、まあ、ファッションにお金がかかるのは当たり前ですから」


「しかし、正絹ともなると効果だろう」


「ショウケンって何ですか?」


「ああ、絹のことだよ。絹の織物を正絹の織物というんだ」


 三人はまたくすくすと笑った。


「いやだ先生。シルクなんて、そんな高価な服買いませんよ」


「これ、シフォンだけどポリエステルですよ」


「へえ」


 シフォンが何なのか分からなかったが、雅道は適当に相槌を打った。


「今は安くてもいい生地がたくさんありますから、シルクにこだわらなくてもいいんです」


「そうか。じゃあ、その袴もポリなのかな」


「はかま?」


「うん。君たちの袴」


 三人はまた顔を見合わせ、眉を寄せた怪訝な表情になった。


「袴って、卒業式のですか? 私たちまだ卒業式の衣装なんて決めてないですよ」


「いや、式の時のではなくて今君たちが着ている……」


 雅道は女子学生の足元を指さした。指された女子学生は自分の足を見おろしてますます変な顔をした。


「先生、これ袴じゃなくてガウチョっていうんですよ」


「ガウチョって、あの南米地方の民族のことかい?」


「えーと、それは詳しく知らないんですけど、この形をガウチョパンツって言うんです」


「へえ。じゃあ、振袖に見える上着も、他の名前のものなんだね」


 三人の顔は怪訝というより警戒心を感じさせた。


「先生? 私たち、普通のTシャツしか着てないですよ。振袖に見えます?」


「え……」


 雅道は目をしばたたいた。目の前の三人の服はどうみてもTシャツではない。絹でないとしても振袖にしか見えない。雅道は目をごしごしとこすった。そうしてみても、彼女たちの服はどう見ても振袖だった。


「冗談を言ってるのか?」


「先生こそ、何を言ってるんですか? 私たちをからかってるんですか」


 彼女たちは雅道を睨むように見据えている。どうやら冗談を言っているわけでもないらしい。雅道は質問を変えてみることにした。


「木村君。君の今日の服装は、ファッション用語で言うと、どういう組み合わせになるのかな」


 まだ警戒は解いていないものの、木村は質問に答えた。


「Tシャツとジーンズですけど」


「馬渡君は?」


「ロングTシャツとトレンカです」


「相良君は?」


「ティーシャツとガウチョパンツ、それとロングジレです」


「そうか、ありがとう。女性の服はいろいろあるんだな」


「先生、私たちそろそろ、次の講義があるんで……」


「ああ、ありがとう。参考になったよ」


 三人は雅道をちらりちらりと見ながら講義室から出て行った。雅道は頭を抱えた。今どきのファッション用語など分からないから彼女たちが言ったものが想像できなかったが、どれも振袖と袴でないことは確かだった。


「俺の目はどうかしてるのか……?」


 ぱちぱちと何度も瞬きをした。目をぐるぐると動かしてみた。それから窓の側に立って外を歩く女子学生たちを眺めた。

 彼女たちはやはり振袖と袴を身につけていた。彼女たちに聞いてもやはりジーンズやTシャツを着ていると言うのだろうか。雅道が見ているものはいったいなんだというのか。

 雅道は足早に講義室を後にすると自分の研究室に戻りテレビをつけた。昼下がりのワイドショーでは、よく見知ったタレントたちがずらりと座っている。半分以上が女性だが、その中の誰も振袖など身につけていない。雅道は次の講義を休講にして大学を後にした。


 テレビ局のサテライトスタジオにやってくると、スタジオとガラスで仕切られた見学ブースには何人もの女性が立ち生放送を見ていた。高齢の女性が多いが、その誰もが振袖と袴姿だ。

 ガラスの向こうにいる女性タレントも同じく袴姿だったが、見学ブースに置かれたテレビに映っている彼女は上品なピンクのスーツを身につけていた。

 雅道は何度もガラスの向こうとテレビの画面を見比べた。女性タレントはどう見ても同じ人物だし、テレビに映る番組は今現在放送されている生番組で間違いない。

 雅道の目には袴姿に見えるのに、画面を通すと洋服姿にしか見えないのだ。


「いったい、何が起こってるんだ……」


 茫然と立ち尽くしている間に番組は終わりを迎えた。最後にサテライトスタジオの見学者の姿をカメラがとらえた。テレビ画面に映し出された周囲の女性はみんな当たり前のように洋服を着ていた。雅道の顔色は蝋のように白かった。


 大学に戻る気力もなく雅道は家へ帰った。玄関のドアが開いた音を聞きつけた妻が居間から出て廊下を歩いてきた。やはり彼女も袴姿だ。


「おかえりなさい、早かったのね」


「なあ、お前、どうしてそんな格好してるんだ?」


「え? そんなって?」


「なんで袴姿なんだよ」


「ああ、これ。言ってなかったっけ。吟剣詩舞っていうのを始めたのよ。詩吟に合わせて舞うのよ。かっこいいんだから」


 雅道はぽかんと口を開けた。


「袴は?」


「うん、袴を履いて舞うのよ」


「お前、袴を着てるのか?」


「何言ってるの。目の前にいるんだから見えるでしょ? あ、勝手に袴買ったから怒ってる?」


「いや、いいや、怒ったりするもんか。ありがとう! ありがとう、幸子!」


「わ、ちょっと……」


 廊下に駆けあがり妻にすがりついて雅道は声をあげて泣き出した。

 その晩、雅道は高熱を出した。三日間寝付いたが、急にけろりと起きだして何事もなかったかのように食卓につき、もりもりと朝食をとった。


「びっくりしたわよ。お医者様に診てもらってもどこも悪くないって言われるし。いい年して知恵熱?」


「そうかもしれん」


 答えながら雅道は窓の外を通り過ぎる女子高校生を眺めた。彼女は紺色のブレザーを着ていた。


「悪い夢を見ていたみたいだ」


「そう。病気が見せた夢でしょ、きっと」


 妻の言葉に雅道は満足げにうなずいた。


 珍しく早朝に起きたのでそのまま早い時間に大学に行くことにした。通勤電車でも歩道を歩いていても女性はみんな洋装だ。雅道は取り戻した日常に満足して深く息を吐いた。


 大学構内に入って、ぎくりと足を止めた。

 袴だ。

 振袖に袴姿の女学生が三人歩いている。

 また見てはならないものが見えだしたのだろうか。

 いや、もしかしたら学校に吟剣詩舞のサークルが出来たのかもしれないじゃないか。


 雅道は足早に三人に近づくと、彼女たちの前に回って立ちはだかった。


「先生!? びっくりした。どうしたんですか、急に」


 三人は雅道のゼミの木村、馬渡、相良だった。


「君、きみたち……、今日の服装はなんだ!?」


「ああ、これですか」


 木村が嬉しそうな笑顔で振袖の袖口をつまんでくるりと回ってみせた。


「先日、先生が言ってたからレンタルショップに行ってみたんですよ。袴を見に。そうしたらすごくかわいくて安いし、気に入って買っちゃったんです」


「……三人とも袴を履いているのか?」


「そうなんです。三人とも気に入っちゃって。かわいいでしょ?」


 雅道はため息をついてしゃがみこんだ。


「やだ、先生、どうしたんですか!?」


 雅道はしゃがんだままボタボタと涙をこぼした。何が現実で何が妄想なのかもう分からない。誰を信じればいいのか分からない。本当に袴を履いているのか本当は妄想なのかどうやって知ればいい? 一人一人に聞いて回るのか? そんなこと出来るわけがない。ああ、いっそ何も見ずに過ごせたら、いっそ何も見なければ……。


「先生!?」


 雅道は固く目をつぶって校門を飛び出した。走ってきていた自動車の前に飛び出して跳ね飛ばされて地面に強く体を打ち付けられた。衝撃で彼は目を開けてしまった。

 彼を撥ねた車の運転手は振り袖姿の女性だった。

 ああ、どっちだ、彼女は。妄想か、現実か。


 それを知ることなく雅道の意識は暗い闇の底へ消えた。

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