ハナミチ
ハナミチ
舞台はナマモノだ。イキが良けりゃ客は大満足だが、イキが悪けりゃ鼻つまみものだ。悪いウワサはどんどん広がって客足は遠退くばっかりだ。
世の中にウワサは多いが、その大部分は悪いウワサだ。少しでもイキが悪いと人に話したくなるもんだ。
だがイイもんは、よほどイキが良くないと人にはすすめねえ。
「ウマかったぜ」
と話して
「なんだ、この程度か」
なんて思われちゃ話した甲斐がねえし、なにより自分が目利きができねえ人間だと思われやしないかって不安がデカイ。
だから芝居なんかやってるヤツはみんな、いつも世間様にイキがってみせて胃の皮が分厚くなるんだ。ツラの皮と一緒にな。そんでもって胃痛なんか起きなくなった頃にはナマグサイ世界じゃなけりゃ満足できなくなるのさ。
俺たちの劇団はしみったれたチンケな田舎劇団だ。芝居だけじゃ食っていけねえ。みんな何がしか他のことでメシを食ってる。俺は西日しか射さないツブレかけたバーで酒を作ってる。飲みにくるのはクダ巻くおっちゃんばっかりで飲むモンなんて焼酎か安ウイスキー。水割りかロックかストレートか。その六種類しかねえんだからバーテンなんて名乗ることもできやしない。
それでも一応は銭をもらってるんだ、半端なモンは出せねえ。俺なりに一番ウマいと思える味に仕上げてるつもりだ。
ある晩、見慣れない客が来た。この辺りじゃ見かけねえパリっとした高そうなコートの三十代後半くらいの小男だ。若いのに額がかなり広くなっている。それでいて目はパッチリ、頬っぺたは真っ赤、まるで中学生みたいなもんだからチグハグすぎてお笑い芸人みたいだった。
「ウイスキーを水割りで」
キーの高い声でさらに面白味が増した。内心で思っていることが漏れないように仏頂面で、俺のとっときの水割りを出してやった。
そいつはぺろりと水割りをなめた。丸い目をもっと大きく丸く開いて、そうっと一口飲み込んだ。それから目を細めて「ほうっ」とため息をついた。
一杯の水割りを氷が溶けすぎる手前でゆっくりと飲み切って、そいつは俺に話しかけた。
「君はどこで修業を積んだんですか」
君、だなんてインテリゲンチャが使う言葉にむずがゆさを覚えて、俺は顔をしかめた。
「修行なんかしたことはありません。しがない場末のバーテンですから」
「独学なの?」
「学んだと言えるようなことはしてないですよ。ただ、繰り返してるだけです」
俺の言葉にいちいちうなずきながら、そいつは「素晴らしい」と合いの手を入れる。
「君はきっと人生経験が豊富なんだろうねえ。水割りの味には人生が出ると僕は思うんですよ」
なんと言っていいやら思いつかなかったんで、グラスを磨きながらうなずいておくことにした。
「最近は人生を生きている人が少なくなった」
水割りのお代わりをゆっくりと、楽しむようにゆっくりゆっくりと飲んで、そいつは席を立った。
会計を済ませたそいつを見送りに出て行くと、ドアの側に貼っている張り紙にそいつが気付いた。俺たちの劇団がやる次回公演のチラシだ。
チラシの中央に写っている俺の顔を見て、そいつはまた目を丸くした。
「君は俳優でしたか。どうりで濃い人生を送っているはずだ」
俺の顔を見上げてそいつは名刺を差し出した。そこには有名な芸能プロダクションの名前が印刷されていた。
「水割りの味を僕が忘れないうちに電話をください」
そう言って出て行こうとした男を俺は呼び止めた。
「俺は」
男が振り返る。
「いつもここにいますから、忘れそうになったらまた飲みに来てください」
不思議そうな顔をした男は俺にたずねた。
「君は都会で芝居をやりたくないのかい」
俺は答えた。
「俺がやりたい芝居はナマグサくて、泥臭くて、どんくさくて、臭くて臭くてたまんねえようなヤツなんですよ」
男は嬉しそうな顔でうなずくと、壁のチラシを剥がしてコートのポケットに入れた。
「また来るよ」
ヒョコヒョコとブリキのおもちゃみたいな歩き方で男が去ってから二か月後、俺たちの劇団が都会に招かれて公演を行い、演劇大賞にノミネートされるなんてことはこの時の俺にはわかりゃしねえことで。
俺は店に戻って人生の疲れをクダ巻くことで慰めているおやじたちのために水割りをいれた。




