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変わってしまう

変わってしまう

 その犬はとにかく悪食だ。

 一番好きな食べ物は零点の答案用紙。目の前に突きつけてやるとヤギでもないのにワシワシと食べる。尻尾はぶんぶん、ウーウー威嚇しながら食べる。誰もそんな残念な点数の紙切れなんぞ欲しがらないというのに。


 近所の子供たちは面白がってその犬にいろいろなものを食べさせる。紙切れはもちろん、アルミホイルやチビた鉛筆、ペットボトルのキャップや千切った布も食べてしまう。

 それでいてお腹をこわしたところを見た子供は一人もいない。その犬の糞を見たことがあるものもいない。食べたものがどうなっているのか、マッタクの謎だった


 子供たちは犬になんでも与えたが『犬が一口で飲み込めないものはやらない』という不文律があった。いつも零点の答案用紙を犬に与えるのび太も、答案用紙は小さく千切ってからやるようにしている。


 のび太というのはもちろんあだ名だ。

 勉強も運動もダメで臆病で大きな眼鏡をかけていて、髪型までのび太にそっくりなのだ。中学に転校してきた最初の日から、あだ名はのび太に決定していた。もはや運命と呼んでも良かった。

 クラスメイトは冗談でのび太のコスプレをしているのだろうと思っていたのだが、日をおうごとに明らかになっていくのび太ののび太らしさに、これはコスプレではなく、この子こそが本物ののび太なのだということがわかってきた。マンガののび太はこの子の前世に違いない。


 そんないきさつがあったからか、いかにもいじめられっ子タイプののび太だったが、誰かに脅かされることはなかった。誰かにかまわれることもまたなかったのだが。


 放課後になるとのび太はほとんど毎日、裏山にいる犬のところに行った。いつでも答案用紙を持っているわけではないので、普段は犬にパンやジャーキーを与えた。犬はジャーキーのにおいをしつこく嗅いで、いかにも嫌そうに、のそのそと噛んだ。


「また犬にまともなものやってるのかよ、のび太」


 声をかけられて振り返ると同じクラスの源がコンビニのビニール袋をぶら下げて歩いてきたところだった。

 源はクラスで唯一、のび太と言葉をかわすことがある男子だ。きれいな顔立ちで目立つタイプの源はなぜか人と距離をとってクラスから浮いていた。


 ビニール袋がガサガサと音をたてると犬は大喜びで源に駆け寄った。源は袋からニクマンを出して口にくわえ、肩にかけていた通学カバンからハサミを取り出すとビニール袋を注意深く一口大に切っていく。犬は振りきれそうなほど強く尻尾を振って源の手元に注目していた。

 源は切った端からビニールを犬に与えた。犬はワシワシとビニールを食べ続けた。


 のび太は犬が食べ残したジャーキーを拾って雑木林の方へ投げ捨てた。犬はそんなこと気づきもしないで源の周りをウロウロと嗅ぎまわっている。


「のび太はさ、のび太なんだからいっつも答案用紙やってりゃいいんじゃないの?」


「そんなに毎日テストないでしょ」


「毎日、ここに来てんの!? どんだけ犬が好きなんだよ」


「いいでしょ、ほっといてよ」


 のび太がカバンを背負って坂道を下りようとすると、源がのび太の腕を引っ張って止めた。


「おい、いいものやるよ」


 そう言ってカバンからチューインガムのボトルを取り出した。中に入っていたのはキャラメルのような形のどぎついピンク色のものだった。のび太が素直に手を出すと、犬が牙を剥き出して源の手元に飛びかかった。


「うわあ!」


 源が取り落としたボトルから大量にピンクのキューブが飛び出した。犬は片っ端からキューブを飲み込んでいく。


「だめだ、一気にそんなに食ったら……!」


 源が犬を止めようと手を伸ばしたが、犬は牙をむきだして低く唸って威嚇した。

 ふと見ると犬の口の端からピンク色の泡が吹きだしており、犬の目は真っ赤に充血していた。


「ねえ、あれ何なの?」


 のび太が源の袖を引っ張って尋ねる。源は犬から目を離さずに「ドラッグだよ」と答えた。


「ドラッグ? 麻薬ってこと?」


「違うよ! 合法なやつだよ、体にも安全なんだ。けど一度にたくさん食べたらダメなんだ」


 犬はお構いなしにピンク色のドラッグを食べ続ける。犬の口から噴き出した泡は地面に水たまりを作っている。

 

「たくさん食べたら、どうなるの?」


「自分じゃなくなるって……」


 辺りに散らばっていたドラッグを犬がすべて飲み込んでしまった。犬はふらふらと足元がおぼつかない様子で今にも倒れそうになっている。


「ねえ、変わりないみたいだよ」


 のび太の声を聞きつけたのか、犬はぎろっとのび太を睨んだ。体を低く構えたかと思うと、避けるひまもなくのび太の喉元に牙をむいて飛びかかってきた。犬の口が大きく開かれ、鼻面には皺が寄り、狂ったような視点が定まらない目は、けれどのび太をしっかりと捉えた。


 噛まれる!


 何もできずにただ目をつぶった。

 けれどどれだけ待っても痛みはやって来なかった。

 そっと目を開けると、そこに犬はいなかった。

 大量のゴミがうず高く積もっていた。


「え……?」


 コンビニのビニール袋、アルミホイルやチビた鉛筆、ペットボトルのキャップや千切った布、それに零点の答案用紙。犬が飲み込んだ色々なものが小山となっていた。


「なに、これ。ねえ、源……」


 のび太は源を振り返った。振り返ったはずだった。

 けれどそこにあったのは血まみれの肉の山だった。その山の一番上に噛み砕かれたニクマンが乗っていた。


「源……、君も食べすぎたんだね」


 肉の山は鮮やかなピンクの泡で覆われていた。

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