000 屋上の男
23:55:00
「地上から見える景色などたかが知れている。」「東京の空は狭く感じる。」
東京という都市の利便さを棚に上げて、この都市から見える本当の景色を見ようとしないのは上京したことがない田舎者のセリフだ。
なぜなら、地上から見える景色が最高で、東京の空を狭く感じさせないそんな場所があるのだから。
「これが今の日本か・・・」
ここは超高層ビルの屋上。
真っ黒のシングルスーツに紺色のワイシャツ、赤を基調とした白色のドッドのネクタイ。
腕にしている日本製の高級腕時計は、時間を見るだけに使うものとしては高級すぎる代物で、その男自身の財力を顕現していた。。
男の名は大和司。身長約176cm、体重65kg、21歳独身だ。
彼は今、高層ビルの屋上の淵に座り、自国を案じているようだった。
そう、この男がなぜこれほどまでに購入な腕時計をしているのか。
それは彼の特殊すぎる職業に起因していた。
―――スパイ。
彼の職業は、スパイ。
スパイといっても企業スパイのような生温いものではなく、国に務める特殊特別国家公務員である。本人は二流スパイだと自称しているが、その実力は常人のそれを逸している。
2001年、我が国日本では、対外的な脅威に備えるべく、外務省の管轄の元、諜報部門が秘密裏に組織された。
この組織は、我が国の憲法の知る権利をも退き、組織の人間及び内閣総理大臣、外務省の大臣以外の法人や個人、マスメディア等がこの諜報部について関知することは許されておらず、この組織自体が超法規的処置の範囲に該当する。
その諜報活動の内容は主に要人守護、犯罪組織への潜入、日本国政府の最重要機密事項の保守などが該当する。
また、この組織の人間、所謂諜報部員は、秘密国際条約によって国内、そして国外での犯罪行為が、戦争状態でない場合でも許可されている。殺人もその例外ではない。
ツカサはその組織に所属する諜報部員の一人だ。
ツカサは今まで数々の任務を遂行し、我が国を救ってきた。しかしながらマスメディアや個人が関知することは許されていないため、それらの事件のほとんどは闇に葬り去られている。
秋初頭の生温い風が、ツカサの体を通る。
ジャケットのボタンは全開で、ネクタイもすっかり緩まっており、場所が場所じゃなかったら、大卒新入社員の仕事帰りにしか見えないその格好であるが、風に揺らめくジャケットの内側からは、我々の生活とは縁がない物がチラリと顔をのぞかせた。
ワルサーPPK、32口径、装弾数7発。
脇下のホルスターにしっかりと収まり、銀色に煌くそのドイツ製の拳銃を、我が国日本でお目にかかれる機会などそうそうない。この男は例のとおり、超法規的処置の存在そのものであり、いつ起きるかわからない有事に備えて、拳銃を所持が許されているのだ。
しかし、この男、先日のミッションで失態を犯してしまった。総理大臣官邸から盗まれた極秘資料が国外のテロ組織に渡ってしまい、その奪還任務に就いていたのだが、自分のミスでその極秘資料をテロ組織の基地ごと爆破してしまった。幸いにも、その極秘資料は処分する予定だったため、エージェント・ツカサの処遇は軽く済んだのだが、責任感のあるツカサは自分から少しの休暇をもらって現在にここに至る
『その男が何故休暇中に高層ビルの屋上へ?』
「外の風にあたりたかったから」、「ここからの景色を見たかったから」。
理由などいくらでも後付けできる。彼がここにいるのは、我々では知りえないストレスの発散場所として最適だからだろう。
それにしてもこのビルは高い。とても高い。常人であればその高さに竦み上がり、そこに座ろうという考えにすら至らないのだが、この男はどうやら違うらしい。
あらゆる場所や、時間に適応することを指導され、鬼のような訓練をこなしてきたこの男にとって、高層ビルの屋上の淵など日常と一変に過ぎないのだ。
むしろこちら側が日常であり、ツカサにとって我々の『日常』こそ『非日常』であった。
そう、ツカサにとっての『日常』とは、クマと体一つで戦ったり、テロ組織に侵入し10人の男と対峙したり、飛行機の墜落を救ったりした時がそれに該当する。
これらの経験に比べたら、ビルの淵に座ることなど恐るるに足らぬということだ。
あぁ、綺麗だ。月が沈み、完全に街の光だけの夜景は、インターネットや雑誌等で紹介されている夜景スポットなど目じゃないほど絶景なはずだ。
それでも、ツカサはそんな景色を意識の片隅にほっぽりだし、自分の生き方について深く考えていた。
何故生きているのか。何故、俺がこの仕事をしなければならないのか
このように自問自答を繰り返すようになったのは最近だ。
ツカサは十六の頃から我が国のために諜報活動の任務について、様々な国を渡り歩き、我が国の脅威となる『モノ』を排除してきた。そのような境遇の彼は青春というものを知らない。
青春を『日常』という諜報活動に費やし青春という『非日常』を経験していないのだから。
彼は、自分の人生なのに自分の好きなように生きることを許されなかったのだ。
しかし、これから起こる壮大な物語はツカサの価値観、人生を大きく変えるものとなる。
時は西暦20XX年 事の始まりは我が国では珍しくない自然現象だった。
「―――地震か。」
その揺れを感知しながらも落下を危惧するほどではないと理解したのか。
例え小さな揺れでもビルの屋上となれば相当な揺れのはずなのに、ツカサの肝の座り具合には尊敬の念すら覚える。
実際に地震は十秒程で収まった。
街の景色も大して変わらず、我が国特有の“大したことなかったね”が発動されている。
「さて、と・・・。」
地震がキッカケとなったのか。そろそろ時間もいい頃だしということでツカサは、その場所を後にしようと立ち上がった。
妙だ、とツカサが感じたのも束の間。そのビルを、ツカサが今までに経験したことのないほどの大きな揺れが襲った。
ツカサの鍛え抜かれた体幹でさえバランスを崩すほどの大きな揺れ。それもそのはず、この揺れ自体が地震のそれとは全く違う原因で発生したのだから。
その揺れのせいでツカサは不幸にもビルの端から外側の方へと落下してしまう。
精一杯手を回したり羽ばたかせたりするも、ツカサはそれが無意味なことを知っていた。
しかし、こんな状況でも冷静でいられるのはツカサがツカサであるからである。
なぜなら、過去にドバイのブルジュ・ハリファという超高層ビルから落下したことがあり、見事生還してみせたという経験が彼にはあるのだから。
地上600mの部屋で犯罪組織の人間と取っ組み合いにあり、相手の道ずれ覚悟の突進で窓ガラスを突き破り、落下した十七歳のあの時は落下初経験ということで冷静ではいられなかったという。
だが、今は違う。数々の経験を積んだ彼にとってここから飛び降りることなど日常の一片に過ぎない。
任務の際はいつも着用しているベルトには、MI6(現SIS)と合同で発明されたある特殊な仕掛けが施されている。そのベルトにはフックショットが内蔵してあり、ベルトのスイッチを押すとフックショットが放たれ、壁にぶら下がれるというわけだ。
そのベルトがなかったらドバイの超高層ビルから落下した時も助からなかったのだから。
ベルトがあれば落ちても平気なのだ。
「あ、休暇中だからベルトは…」
残念なことにベルトは返却していた。なんせそのベルトは特殊な細工が施されているため管理も厳重にしておかなくてはならない。だから、任務の時以外は持ち出し禁止なのだ。
しかし、ツカサにはまだ手があった。
なぜなら過去に東京の電波塔から落下した際、不幸にもフックショット内蔵ベルトが破損し機能しない状態であったにも関わらず生還したことがあるのだから。
展望台の上の台座でテロ組織と取っ組み合いになり、膝蹴りによってベルトが故障。ローキックによってバランスを崩し落下したときは、二回目であれど18歳の少年ツカサにとってはさすがに死を覚悟したという。
だが、ツカサは助かったのだ。CIAと合同で制作した粘着グローブがあったから。
その粘着グローブを装着しては壁に手を添えれば壁に吸盤し、さらに落下スピードに合わせて徐々に摩擦をかけていく仕組みになっているため、肩が外れることもなく落下を防ぐことが出来るのだ。
東京の電波塔の展望台に張り付いた時に観覧客がみせたあの顔は今でも忘れられない。
「休暇中」
残念なことに今は休暇中だった。
つまり今のところツカサが助かる手段は、突如強風にあおられビルの窓ガラスを破り中に避難する方法か、五点着地しかないというわけだ。
真っ逆さまに落ちるツカサは何を考えているのか。とてもクールな顔だった。
彼の心情を代弁させてもらうと「もういいや」だ。
彼はもうこの人生に嫌気がさしており、恩師を失った今生きる気力も目標も何もかもがなくなっていたのだ。先の任務の失敗も、そういう雑念があったから起こったのかもしれない。
だからツカサは幸せだった。この人生に一片の悔いはない。もう誰にも縛られることがなくなるのだから。
考えてみるとツカサの人生はひどいものだった。 親に捨てられ、国に拾われ、辛い訓練を強いられ、唯一の支えであった恩師でさえ死んでしまったのだから。
だからこの生活を強いられてきたツカサにとって「死」とは唯一の逃げ道で、屋上の淵にいたのは風にあたるためでも景色を見るためでもなく、あそこから飛び降りるためだったのかもしれない。
だがそんな不幸でかわいそうなツカサに、神様はほんの少しの長い休暇を与えた。
ツカサは目を閉じると、途端に声をあげてしまうほど激しい頭痛が襲った。
「ぐあっ・・・」
短い悲鳴とともに視界が歪み眩んだ。
頭が割れるような頭痛と、上か下かわからなくなるような気持ち悪さ。
同時に、ツカサの意識の中に様々なイメージが流れてきた。それらは、この世界で知られているオーパーツ呼ばれる不思議なものや、世界遺産と呼ばれる建造物であり、これから起こりうる物語に何かしら影響を与えるものだと考えていいのだろう。
ツカサがそれを始めて見たのは中南米任務である遺跡の中を通った時だった。
水晶どくろ。と呼ばれるこのどくろは現在世界に数個存在している。作成されたと推定される当時の技術では加工不可能とされており、そのうちの一つがツカサの部屋に飾ってある。税関はスルーした。
意味不明な言葉が羅列された手稿。この手稿は筆者、内容共に不明で。未だ解読不可能とされている。
ツカサはこの手稿と似たような字で書かれた壁画を、ローマの地下神殿で見かけたという。
ストーンヘンジと言えば、巨人のベンチの様な形の岩でとても神秘的だ。
ピラミッド。言わずと知れたエジプトにある世界遺産である。一時期政権が安定しないことにより、観光客が著しく低下したが、それでも1000万人という驚異的な数字を維持している。いつか行ってみたい。
モアイ像といえば、絶海の孤島に浮かぶイースター島の謎の建造物である。今まではそのチャーミングな顔が一般的に知られていたが、最近ではその胴体も発掘されており、モアイファンを賑わせていた。
真っ白の神殿のような建物といえば、アテネのパルテノン神殿。とイメージしがちだが、実際にはボロボロで真っ白とは言い難い。当時は堂々と建っていたのだろう。
雪山の内部の迷宮。以前ツカサ見たのはテロ組織が基地にしていた南極大陸の迷宮である。
これらのイメージが流れてきた後、プロビデンスの目のような一つの瞳に吸い込まれるように、ツカサの意識は深い闇に落ちた。
いつの間にか紹介していたこれらの建造物やイメージが、これからの物語にどのように影響していくのかは、ツカサ次第である。
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