第八話 「彼女の顔は」
「頼みがある。……教えてくれ。何で某を狙ったんだ? 某は最近 この国に来たばかりだ。誰かの恨みを買うようなことはしていないはずだ」
桃太郎がそう言うと、女は若干 思考の間を置いてから「それもそうだな」と一度 銃を下ろした。
「確かに、我はお前を恨んでいるわけではない。そう意味では、お前には申し訳なく思う。我が本当に殺したいのはお前ではなく……、あそこにいる連中だ」
襤褸布の女が そう言って目を向けたのは、遠く離れた貧民街からでもよく見える王城であった。
「王城の連中……? まさか、王と王妃を!?」
「ああ、そうだ。我が討つのはッ!! この我を裏切ったあの連中だッ!! あいつらに復讐を果たす為ならばッ!! 我は何を犠牲にしてでも突き進んで見せるッ!!」
怒声を上げる襤褸布の女は、決して嘘を吐いているようにも ふざけているようにも見えなかった。この女は本当に、国の頂点に立つ人間達を殺そうとしているのだ。
これは桃太郎が思っていた以上に何かある。迂闊に動いたのは、本当に軽率だった。もしも赤華なり養父なりがいれば呆れられるか叱られているところだ。
「そうか、そうなのか……。そんなにも恨むってことは、余程のことがあったんだな。余程のことをされたんだな」
「ああ、そうだ。我は絶対に、あの者らを許しはしない」
「でもさぁ~、お前も結構クズじゃね? ハハッ」
桃太郎はそれまでとは打って変わって、実に調子の軽い口調でそんなことを言ってのけた。口元に浮かべる笑みもそれまでの虚勢を張るようなものではなく、軽薄な印象を受ける笑みであった。
「何だと……? お前、自分の状況が分かっているのか?」
「ああ、分かってんよ。いきなり現れた脳みそナイナイおばさんに銃で撃たれて痛くて泣きそうになっている状況だ」
「だ、誰が脳みそナイナイおばさんだ!! 我はそのような年ではない! 確かにお主と比べれば幾ばくか年上ではあるが……」
「やっぱ おばさんじゃん」
「断じて違う! 私はまだ二十代だ! ええい、喧しい男だ! 黙らんと撃つぞ!!」
「あぁ? 撃ってみろよ? 人を撃ったこともねえくせに、偉そうなことを言うなよ」
激昂する襤褸布の女に対し、桃太郎は挑発するような笑みを浮かべて そう言った。
しかし桃太郎の言葉に女は言葉を詰まらせ、銃口だけを桃太郎に向けたまま何も言えずに押し黙った。
その反応に桃太郎は笑い声を漏らしつつ、地面から体を起こしてゆっくりと立ち上がった。右足の傷口から垂れる血液で血だまりが出来ているが、彼はそんなことを意に介さず両脚を広げて立ってみせた。
「最初から、なーんか違和感はあったんだよなあ。本気で殺す気ならもっと殺り様はあっただろ? それこそ飛び道具なら離れたところから撃てよ。わざわざ距離を詰めずにさぁ。お前、そうでもしないと撃てなかったんだろ? やるか やられるか、そういう状況じゃないと撃てなかったんだろ?」
「……そ、そんなことは?」
「実際、ビビったろ? 某の脚を潰したアンタは、もう某が逃げられないと思った。ここで撃ったら確実に殺せる。殺してしまうと、そう思ったろ?」
「……ッ!!」
女は襤褸布の下で歯ぎしりしていた。
事実、その通りであった。彼女はまだ人を殺したことがなかった。だから、わざと相手が攻撃を避ける可能性のある状況に持ってきた。自分が負ける可能性もある状況に持ってきた。
そして桃太郎にとって、彼女が人殺しに対して臆病であると分かれば もう怖くはない。
「さて、と。じゃあ結構 本気で怪我は痛いし、君をさっくり倒して瑚白のとこに帰ることにするわ。あんまり遅くなると怒られるからな」
桃太郎は自分の右肩をぐるぐると回すと、襤褸布の女を見据えた。先ほどまでの弱り切った様子とは大きく異なる彼の態度に、女はたじろいだ。
「な、なんだ! 動くな、止まれ!! 本当に撃つ――」
「遅ぇよ」
桃太郎の固く握りしめられた右拳に、淡い桃色の燐光が煌めいた。そして燐光を纏った拳を桃太郎は地面に叩きつけた。
拳が地面に叩きこまれた瞬間、大地が大きく揺れた。
周囲に激しく砂塵が舞い上がり 衝撃音が襤褸布の女の鼓膜を突き抜け、彼女は咄嗟に両手をクロスさせて顔を覆った。
「……ッ!? 今の衝撃は何ッ!?」
慌てて目を凝らして桃太郎の影を探すが、しかし彼女の視界には誰も映らない。ところが、ふと。太陽が翳ったように、暗くなった。
「上かッ!?」
咄嗟に銃口を上に向けるが 桃太郎は既に眼前まで迫っており、彼の逞しい右腕が襤褸布の女の持っていた銃を奪い取り、更には落ちていく自分の体重を乗せた膝蹴りが彼女の顔を打ち抜いた。
「かはッ!?」
「へーい、形勢逆転だなあ。三発分『溜めてた』からな。これくらいはイケるぜ」
桃太郎はそのまま彼女を地面に押し倒すと、奪い取った銃を適当に放り投げた後、右手で彼女の首元を抑えつつ 馬乗りになった。
それまでは気にならなかったが、近くに寄ってみると浮浪者特有の饐えたような匂いが鼻につく。
「やれやれ、風呂入って服ぐらい着替えろよ。別に某には 関係ないけどな。さて、じゃあ何はともあれ。……顔 見せろ」
「や、やめ……!!」
女は必死に抵抗したが、今更 逃れるすべはない。桃太郎は躊躇うことなく襤褸布をまくり、彼女の顔を晒した。
「気にするなよ。別に裸に剥くわけでもないし。……って。お前、何だその顔?」
「……ッ!!」
女の素顔を見た桃太郎は驚愕を露わにした。
彼女の顔は右頬から顎にかけて大きなやけどの跡があり、更に額から左頬にかけて切り傷の後があり、瞼は閉じられたままになっている。
ひどく痛々しい傷跡である。
だが桃太郎が気になったのは、彼女の顔の傷ではない。大きな怪我をした人間を見る機会は日本でもあった。桃太郎が見た中には、眼窩から眼球がはみ出たものや、顔はおろか全身が焼け爛れた人間もいた。
そういう人々と比べれば、彼女は未だ傷は大したものではない。桃太郎自身、顔にはないが背中や脇腹に戦闘による傷跡くらいは残っている。
故に、彼が目を引かれたのは 傷跡ではなく彼女の顔そのものだ。
アメジストのような紫色の瞳に落ち着いた美しさのダークブロンドの髪、切れ長の目に紫水晶のような紫色の瞳、すらりと通った鼻筋と長く美しいまつげと、それは見覚えのある顔立ちだった。
もっと言うなら、ほんの少し前に見た顔立ちだった。
「王妃様……ッ!?」
そう、彼女はこのフェアリーテイルの王妃 シンデレラと瓜二つだったのである。