第三十四話 「再戦準備」
見れば、エルの頬には涙が伝っていた。
それは、桃太郎たちがこれまで見たことのない表情だった。
「良いことをしているから何だ!! 十の善行で一の悪行を打ち消せるものか!! 我がアイツにどれだけのことをされたと思っている!! アイツがどれだけ良いことをしても、我がアイツを許すわけにはいかないッ!!」
歯を食いしばって悔しさに耐えても、涙を止めることはできない。
彼女は王妃を心底 憎んでいる。
自分の幸せを奪ったことを、彼女は恨んでいる。
怒りは時間とともに消えていくが、恨みは時間とともに募っていく。確かに、王妃がどんなことをしても、エルにとって彼女はただひたすらに敵でしかないのだ。
「……それくらいのことは分かってますよ。エルさん。別に某たちも王妃が『シンデレラ』の名前を奪ったことを許すつもりもないです。ただ、単に嫌な奴が敵になるよりもタチが悪いってだけです」
興奮していたのか、荒く呼吸していたエルは桃太郎に声をかけられて落ち着いたのか胸に手を当てて深呼吸してから答えた。
「タチ……?」
「ええ、嫌な奴は味方も少ないから倒しやすいんですけどね。なまじ良い奴ってのは仲間が多いから敵に回ると厄介なんです。でも、だからと言って某だって戦わないつもりはないですよ」
桃太郎は拳を鳴らし、口元に引き裂けるような笑みを浮かべた。
それは瑚白も同じだった。
これまでも二人が何度か似たような笑みを浮かべているのは見てきたが、ここまで好戦的な様子を露にしているのは初めてのことだった。
「別に某たちは悪いことをしたわけじゃない。なのに喧嘩を売られたら買わざるを得んでしょう。先に抜いたのはあちらさんだ。一度は負けたが、もう負けない。負けてたまるものかよ」
「ま、そういうことですなー。だからエルさん。安心していいですぞー。王妃に対してはきちんと殴り返しますのでなー」
「……それを聞いて安心したよ」
二人の言葉にエルは涙をぬぐった。
そう、この戦の火ぶたを切ったのは王妃の方だ。エルはともかく、桃太郎たちは積極的に王妃を倒す理由は特になかったが、殺しに来るというのなら彼らは全力で抗う。
とはいえ。
「そんなこと言っても、どうするんだよ。俺様は戦う能力はないし、お前らも一度 負けた相手だろう。どうやって勝つ気だ?」
ハンプティダンプティの言う通りである。
古来より戦況を変えてきたのは、戦士の数と質と戦術だ。
しかし、それくらいのことは桃太郎たちもよくわかっている。いや、彼らだからこそよく知っている。
「安心しろ。もう某が負けることはない。あいつの手の内は分かった。瑚白の方は?」
「ボクの方はエルさん次第ですなー」
「え? 我か?」
「うん、ちょっと策があるんですぞー」
「じゃあ、そっちのことはそっちに任せるわ。某は寝る」
「ね、寝るのかよ お前ッ!! いつアイツらが俺様達の居場所を突き止めて攻めてくるかわからないんだぞ!!」
「何を言ってるんだ。だから今 寝るんだよ。腹が減っては戦もできんし、睡眠不足じゃ喧嘩もできん」
桃太郎はそう言って、またしてもベッドの上にごろりと横になった。彼の態度に瑚白は慣れた様子で、特に気にせずにエルと何やら作戦会議のような話を始めた。
一人残ったハンプティダンプティは所在なさげに近くの椅子に座ったが、すると桃太郎は寝転がったまま尋ねた。
「なあ、ハンプティダンプティ。お前は何でこの事件に首を突っ込んだんだ? 王妃は根っからの悪人ってわけじゃないし、苛政を敷いているわけでもないんだろ? ぶっちゃけ、お前はそんなに王妃と関係ないんじゃねえの?」
「……別に、大した話じゃない。王妃が貴族のパワーバランスを乱したせいで、ある下級貴族が離散しちまったんだよ。そこの当主は、最初に俺様をテーラーとして認めてくれた人だった。気難しいが、悪い人間じゃなかった。そういう人間を気が付きもせずに踏みつぶすようなこの国の頂点に、疑問を持っただけだ」
拗ねたような口調だが、きっとハンプティダンプティはその当主とやらを慕っていたのだろう。
固く握りしめられた拳が、ハンプティダンプティの内に秘められた思いを示していた。
「そうか……。まあ安心しろ。お前には助けてもらったからな。恩返し程度には働くさ」
と、いい終えると桃太郎はすぐに目を閉じて寝息を立て始めた。
ハンプティダンプティは桃太郎のあまりの寝つきの良さに苦笑し、「そうしてくれたら助かるよ」と独り言のように返すと、彼もまた眠りについた。




