第二十六話 「怪物」
またしても、紫電が弾けると同時に襤褸布の男が視界から一瞬 消え、直後に男の右ストレートが鼻先を掠める。
桃太郎は咄嗟に頭を振ってかわすが、小指が僅かに掠めただけで頬が浅く切れ、鮮血が舞う。
「ッの野郎!!」
襤褸布の下の顔面を目掛けて放った桃太郎の左ジャブは しかし容易く空を切り、男は気付いた時には十歩以上も離れた場所に立っている。
最初の殴り合い以降、桃太郎と襤褸布の男は互いにクリーンヒットがない。
というのも、男の移動速度が速すぎるのだ。
どういう理屈なのかは分からないが、紫電が弾けると同時に男の姿が桃太郎の視界から消え、目の前に現れたり 逆に離れた位置に姿を現すのだ。
桃太郎の目でも捉えきれない程の速さで移動し、なおかつ彼も桃太郎を警戒しているのか距離を詰めて拳を出しては離れ、離れては距離を詰めてを繰り返すヒットアンドアウェイで攻めてきているため、桃太郎の攻撃も当たらない。
だが、膠着状態も長くは続かないだろう。
「……お前、雷撃か何かを使った能力みたいだけど、マジで速いな。分かってるよ、お前と某の方なら某の方が不利だ。何せ某はギリギリで攻撃を回避してるが、そっちには余裕がある。一発でも某がクリーンヒットを喰らえばそれで終いだ」
そう、この状況を一番深く理解しているのは桃太郎だ。
一見 二人は拮抗しているように見えて、桃太郎の方がスピードに劣る。
パワーに関しては互いにそれほどの差はないため、速さで負けている桃太郎の方が劣勢にあるのは当然だろう。
「でも、それくらいならやり様はあるさ」
しかし、桃太郎は不敵に笑う。
彼は右足を大きく掲げると、相撲の四股のようにして地面に振り下ろす。
ズンッ!! と重たい地響きのような音が鳴るが、それだけだ。当然のことながら、この震脚によって地震が起きることも、衝撃によって離れた位置に立つ襤褸布の男にダメージが行くようなこともない。
「何をしたいんだ、貴様?」
思わず襤褸布の男がそう尋ねるが、しかし桃太郎は何も答えず 同じような震脚を繰り返した。
二発目の震脚によって、地面に桃太郎の靴の跡がくっきりと残るが やはり何かが起きたようには見えない。
何らかの罠かと警戒していたが、しかし何かが起きる気配はない。
ならば あのような大きい動作は隙でしかなく、襤褸布の男は拳を握り直して桃太郎を見据える。
「なあ、デカいの。お前、結構ボンヤリしてるんだな」
桃太郎にそう声を掛けられた男は、一体どういうことかと眉をしかめる。しかし彼はその時 気が付いた。
桃太郎の脚が、何やら淡い燐光を纏っていることに。
不味い、何かが不味い、よく分からんがあのまま好きにさせてはいけない。
直観的にそう判断した男は、桃太郎が足を振り上げかけたその瞬間に、紫電を煌めかせて殴りかかった。
「――ッ!?」
「残念、焦り過ぎだ」
しかし、それは桃太郎の仕掛けたフェイントだった。
桃太郎は足を振り上げようとして見せただけであり、彼は男が攻撃してくるのを待ち構えていたのである。
襤褸布の男の体重を乗せた鋭い鉄拳は、しかし大きく身体を屈めた桃太郎に容易く回避され、更に男の耳朶を桃太郎の開いた手の平が撃ちぬいた。
握り拳ではなく、開いた手の平による一撃は一見すると攻撃力が低いように思えるだろう。しかし開いた拳による攻撃は非常に危険なものであり、ボクシングなどの格闘技ではオープンブローと呼ばれる反則打となる。
何故ならばオープンブローとは、手の平で耳を叩くことにより内部の鼓膜にまで衝撃を与え、破壊することもできる技だからである。
「四木々流 冬の型ッ!! 徹砲ッ!!」
「ぎぃあッ!?」
襤褸布の上からでも 桃太郎は男の耳を正確に打ち抜き、彼の左耳の聴力を破壊した。
鼓膜が破壊されたことで男は悶絶し、動きを止めた。
その隙に桃太郎は、今度こそ右足を振り上げ地面に叩きつけた。
「セイヤァあアアアアアアッ!!」
雄叫びとともに振り下ろされた震脚は、先ほどとは段違いの威力であった。
地面の土がサイコロ状に砕かれて舞い上がり、衝撃波によって男の巨躯は下から突き上げられ、空高く吹き飛ばされる。
「うおおおあッ!? 何だコレは!?」
「――四木々流 冬の型ッ!!」
動揺する男に対し、桃太郎は淡々とした様子で仕留めにかかる。彼は地面を蹴って助走の勢いをつけると、ダッシュの力と自分の全体重をかけた一撃を襤褸布の男に放った。
慌てて男は両手をクロスさせて防御の姿勢を取るが、しかし最早 桃太郎にとってその程度のガードは気に留める必要もない。
「破城墜ィイイイイイイ!!」
弧を描くような軌道で振り下ろされた桃太郎の拳は、襤褸布の男を殴り抜き、男は地面に陥没するほどの勢いで叩きつけられた。
「がはぁッ!?」
その衝撃のあまりに男の肺からすべての酸素が叩きだされ、彼の行動が静止した。
ただその代わりに、彼の顔を隠していた襤褸布がはらりと落ち、男の素顔が露わになった。
「……は? お前、何だ? お前は……何なんだ?」
桃太郎は冷や汗を垂らしながら、そう尋ねた。
地面に倒れ込んだ男の顔は、まるで死んだように真っ青で 顔面は何人もの顔を継ぎ足して作っているかのようにバランスが悪く、左右で目の大きさも異なる。
そして何よりも酷いのは、男の顔面は爛れて溶けたようにグチャグチャな造形をしていた。
よく見れば襤褸布の隙間から見える身体には、ツギハギの痕が見える。エルも傷の多い身体をしていたが、この男はエルの比ではないレベルで傷がある。
桃太郎の質問に、男はドブ川の底のように濁った眼で返した。
「俺は『怪物』。ヴィクター・フランケンシュタインという科学者が、人間を創り出すという下らん野心で生み出した、人殺しの化け物だ」
怪物は吐き捨てるようにそう答えた。




