第十話 「魔法使いの老婆」
それからさらに数年。
顔に火傷を負った少女 シンデレラは、傷跡を残したまま成長した。いつの日か継母たちに認めてもらう日を目指していたシンデレラも、今はただ淡々と仕事をこなしつつ 自分がいつの日か糸の切れた人形のように死ぬ日があるのだろうか、そうなれば楽になるのだろうなあと思いながら、日々を過ごしていた。
そんな彼女に転機が訪れたのは、このフェアリーテイルの王子がお妃を探すために国を挙げての舞踏会を開く、という知らせが届いた時であった。
シンデレラの父は貴族ではないが元々 豪商であり、父なき後にも大きな財力と発言力を有しており、特別にその舞踏会に誘われたのである。
継母と義姉たちは大喜びで舞踏会に参加する支度を始めると、ああでもないこうでもないと騒ぎ立てながらドレスを試していた。もしも王に見初められるようなことがあれば、そうでなくとも貴族の誰かを射止めることが出来れば万々歳だと、彼女たちは大層 気合を入れていた。
やがて継母たちは満足のいくドレスを見つけると、舞踏会に向かった。
しかしシンデレラは、継母たちから当然のように舞踏会の参加を禁止され、そして着るドレスも何もない灰被りの彼女は、薄暗い家の裏から街の中心に聳え立つ王城を見つめていた。
「もしも、王子様が素敵な人で。そして私が綺麗なドレスを着て、顔にこんな傷が無かったなら。……私も王子様に選んでもらって、幸せになれたりするのかなあ」
それは何となく口を突いて出た言葉で、たったそれだけのことではあったが それでもシンデレラが自分の生涯を振り返り、後悔するには十分な火力を持っていた。
「ッ……ああ、うああッ!!」
シンデレラは泣き崩れ、膝から地面に堕ちた。
何もない。何もなかった。
自分の人生を振り返った時、シンデレラに見えたものは火傷と灰だけだった。それ以外には何もない。幸せだった記憶も何も、なかった。
胸を締め付けるような慟哭と共に彼女が抱いたのは、「幸せになりたい」という実に当たり前な思いだけだった。
「幸せになりたいッ! こんなの、もう嫌だッ! なんで……、私だけこうなふうなの? もう嫌だッ! 優しくしてほしい! 昔、本当のお母さんがしてくれたみたいに! 抱きしめてほしい! お父さんがしてくれたみたいに! ……誰かに、愛してほしい」
彼女の吐き出した思いは誰にも届かず、消えていく。
本当ならば、たったそれだけの一般的で ありふれた日常的で些細な、そしてだからこそ根が深くどうにもならない悲劇は――。
「じゃあ、そのチャンスを作ってあげようかい?」
そんな言葉とともに現れた、一人の老婆によって覆された。
泣き続けていたシンデレラは顔を上げると、優し気に微笑む老婆と視線が合った。
「あなたは、誰?」
「あたしはね、魔法使いのおばあさんさ。ねえアンタ、幸せになりたいのかい?」
シンデレラは突如として姿を現した老婆に、多少は警戒心を抱いたが それ以上に彼女の思いは高ぶっていた。
「……なりたい。幸せになりたいッ!! もっと必要にされたい!! こんな形でなくて、もっと『ありがとう』って言ってくれるような人たち必要にされたい!! もっと ちゃんと、愛してほしいッ!!」
彼女は思いを吐き出した。全てぶちまけた。シンデレラの言葉に、老婆は満足そうに頷くと、手にした杖をかざした。
すると周囲には光が満ち溢れ、シンデレラが家の裏の畑で作っていたカボチャは美しい金色の四輪馬車となり、近くを走っていた6匹のネズミは6頭の馬になり、茂みの中に隠れていた一匹のトカゲは人間の御者となった。
更にそれだけでなく、灰で汚れていたシンデレラの服は金糸銀糸で装飾のなされた、まばゆいばかりの晴着となり、裸足だった彼女の足元では大層 美しいガラスの靴が輝いていた。
しかも、彼女の顔の傷跡まで綺麗に無くなっており、シンデレラは元の美しい顔に戻っていた。
「これは……! そんな、嘘! まあ! まあ! まあ! なんてこと! 私が、こんなに綺麗な……」
感極まってシンデレラはそれだけで目が潤んだ。しかし、老婆は彼女の涙を拭うと励ますように言った。
「何を言ってるんだい。これからが本番なんだよ。さぁ、舞踏会にお行き。きっと、アンタなら上手くいくさ」
「ええ、……ええ! そうね! ありがとう おばあさん!」
シンデレラは大喜びで馬車に乗り込もうとした。だが老婆は彼女が発つ前に、一つあることを付け加えた。
「ただね。いいかい、シンデレラ。この魔法は夜の12時の鐘が鳴るまでしか続かないんだ。12時には馬車はカボチャに 馬はネズミに 御者はトカゲに戻ってしまう。もちろん、アンタの服や顔の傷跡もね。だから、その前に戻って来なさい。ガラスの靴だけは特別製だから大丈夫なんだけど」
と。その言葉を聞いたシンデレラの表情は曇った。どんなに素敵な魔法でも、ずっと続くわけではないのかと。
だが。
「でも、大丈夫さ。アンタが12時までに戻ってくれば、きっと上手くいくさ。真実の愛が、アンタの幸せを導いてくれる」
老婆はそう言って、もう一度 微笑んだ。
どういうことか良くは分からなかったが、それでもシンデレラは夢を抱いて馬車に乗り込んだ。