第九話 「灰被り」
「ここだ。這入ってくれ」
あれから「話がある」と言われ、桃太郎は襤褸布の女の家にまで連れてこられていた。
彼女の家は、貧民街にある小さな小屋の一つであった。酷くボロボロで、いつ崩れてしまってもおかしくない。
しかし桃太郎が中に入ってみると、思ったより中は清潔にされており衛生的に見えた。少なくとも腐りかけの食い物や汚い野ネズミなどが居るようには見えない。
「へー、思ったよりも綺麗なとこだな」
「そうだな。我よりは綺麗だろう」
「自覚してるなら、風呂に入れば?」
「……風呂に入るにも金が要る。虫が湧かない程度には川で身体は洗っている。着替えがないから服の匂いは何ともならん」
「ふーん、そう」
彼女の言葉をあっけらかんとした調子で桃太郎は流し、適当な場所に腰を掛けた。桃太郎のいた日本では、排泄物に関しては堆肥として再利用するために道端に捨てられることもなく、きちんと管理されており、風呂に関しても都市部では一日に複数回 入ることが多かった。
桃太郎も故郷に居た頃は毎日 風呂に入っていたため、身だしなみには今でも気を使っているが、しかし金のない者はどうにもならない。
浮浪者などは何処にでもいる。桃太郎もこの程度では何とも思わないため、それ以上は何も言わなかった。
代わりに桃太郎は、服の内から持ち歩いている包帯と傷薬を取り出し、薬を脚と手の傷口に塗り付け、その上から包帯を巻きつけつつ、促した。
「で、話してくれるんだよな? 某を襲った理由と、アンタがシンデレラ王妃とそっくりな理由を」
「違うッ!! 我がシンデレラに似ているんじゃないッ!! アイツが奪ったんだッ!!」
何気ない桃太郎の言葉に、彼女は激昂するように叫んだ。それだけでなく酸素が不足したように荒く息をし、襤褸布の下の瞳には憤怒の火を点している。
「そう言われても某は事情を知らないんだから、仕方ないだろ。アレコレ言う前にとっとと話してくれんかね?」
激しい怒りを露わにする彼女を相手にしても、桃太郎はやはり動じない。彼の落ち着き払った、というよりもマイペースな姿勢に彼女も一拍 呼吸の間を置いてから口を開き直した。
「我から巻き込んでおいて何だが、もしこの話を聞けばお主にも危険が及ぶやもしれん。それでも、良いか?」
「良いか? じゃねえよ。さっきまでアンタに襲われてたわ。今ここで『あ、じゃあ。何もなかった方向で~』みたいな話にして、また撃たれる方が怖いよ。ほれほれ、さっさと話せ。飴ちゃん あげるから」
「要らん! ……はぁ。なら良い。よく聞いておけよ。アレは、今から十年以上も前のことだ」
桃太郎にペースを崩されつつも、彼女はやっと口を開いた。
この場合における何もかもの始まり、というものを定義するのなら、やはりあの日になるであろう。
つまりは とある少女の父親が嫉妬深くて冷たい性格の女と再婚し、更には自分たちよりも可愛らしい少女を何よりも嫌う二人の娘を連れてきた時のことであろう。
少女は優しかった母が亡くなった時には酷く悲しみ、だから父も再婚を決意したのだが、しかし彼は二度目の結婚に関しては完全に失敗した。
継母と義理の姉たちは優しく器量の良かった少女に嫉妬し、父に見えないところで虐待を働くようになった。
やがて父も病死し、少女に残されたものは酷く歪な家族関係と 自分には扱うことが出来ない父の残した遺産だけだった。
少女は継母たちに小間使いとして使われ、ろくに休むことなく働き続けた。それでも少女は自分に残った最後の繋がりである継母たちに愛されることを願っていた。
しかし、それは。
街に買い物へ出た少女が、近所の青年に優しく声を掛けられたことを切っ掛けにして、完膚なきまでに叩きつぶされた。その青年は街でも評判の良い好青年で、顔も地位もそれなりに良く、義姉たちは彼のことを異性として密かに狙っていた。
それは恋愛感情などでなく、金や社会的地位などの酷く打算的なものであったが、しかし自分たちには声を掛けず薄汚れた少女に声を掛けたことが、義姉たちにとっては酷く腹立たしいものであった。
青年が少女に声を掛けたのは、ただ働き者だと思った程度のことで決して他意はなかったが、そんなことは義姉たちには関係なく。
ある時、義姉たちは少女を自室に呼び寄せると、暖炉の煙突が詰まっている気がするから見て欲しいと、そんなことを頼んだ。
そして少女が、まだ燻っている暖炉の燃えさしを先に片付けようとした時、義姉たちは少女を暖炉の中に蹴り飛ばした。
「ああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
熱を保ったままの灰の中に顔から突っ込み、少女は右顔面に大きなやけどを負い、全身に灰を被っていた。
泣き叫ぶ彼女の姿を見ていた義姉たちは、少女に『灰被り』を意味する『シンデレラ』というあだ名をつけて笑っていた。