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誰に貶められようとも私は私だけのもの  作者: 黒川恵
第一章 虜囚か、それとも恭順か
3/3

《二》



(元の世界に還して、か……)


 それまで書面に走らせていた万年筆を白衣の胸ポケットに納めながら、ザイオンは嘆息をひとつつく。

 虚偽にしては滑稽無等な、演技にしてはあまりにも真に迫った慟哭とも呼べる少女の訴えが、今尚、耳朶奥に残っていた。




 斥候艦からの連絡を受け、不毛の土地とも呼ばれるレクセールの地で発見された少女を保護したのは、ザイオンが所属するグリンディルク・ガルト帝国空軍が第十三師兵艦隊の主艦、ラキアス艦である。

 敵の隠れる場所など皆無な──見晴らしの良い乾いた大地が広がるレクセールといえども、ここ最近きな臭い動きを見せる隣国ヨルガンドに近い属国メローゼ国との合同演習からの帰途の為、常よりも警戒態勢でいたことが発見に繋がったのだ。

 一般人の保護は、対外的な国防だけでなく災害時の際にも迅速な対処が求められる軍部の役割のひとつでもある。しかし、保護した少女は不審の塊だった。


 ──何より、発見された場所が悪かった。


 不毛の地と呼び習わされるように、彼の地での移動手段など限られている。だからこそ、身ひとつで投げ出されることになった少女の事情がまず不審を呼び込んだ。


 ──そして、時期も悪かった。


 折りしも件の隣国との間に走る微妙な緊張感も手伝ってか、間諜の疑いが挙げられたのだ。

 それは倒れこむ少女の近くで回収された所持品すべてが異質だったことが、不審の極みとなったのだ。

 軍人といえども学識を十分に積んでいるにも関わらず、見慣れぬ文字と挿絵が載った書籍や、同様の文字が並ぶ──恐らく少女自身の手で書かれただろう冊子の数々。また、筆記用具とわかる品の精密さには目を見張るものがあった。

 それら学徒を思わせる品に混じる細々とした品ひとつ取って見ても、目新しい技術と材質で造られたものばかり。

 物珍しさは何も所持品ばかりではない。その目は保護された少女自身にも及んだ。


 ──まずは身に纏う衣服だろうか。


 どことなく軍服を模したようにも見える衣服だというのに、どこの国のものを模したものなのか、判別ができないのだ。

 上着の胸ポケットに刺繍された紋章も、見慣れぬ意匠。……何よりもスカートの丈の短さが、保護するにあたって少女に関わった軍部の男たちに動揺をもたらしてくれた。

 素肌を覆い隠す膝上までの靴下を履いていようが、膝下よりやや長めの丈が主流となっている昨今でさえ、革新的過ぎる丈の短さなのだ。

 身体検査を兼ねた診察の為に着衣を緩めようとした際、周辺で起こったちいさな諍いは思い出しただけでも頭痛がする。

 軍に属する者と決め付けるには、少女の体つきはあまりにも柔かった。……かといって、春をひさぐ類の者と決め付けるにも、労働すら知らない手足と白く綺麗に並んだ歯は帝国貴族の中でも最上位クラスのものであり、また涙の跡が色濃く残る少女の寝顔からそういった者が持つ翳りを見出すには難し過ぎた。


 ──か弱き一般人であることは、まず間違いない。けれども、それだけでは済ませられない事実がある。


 自分はこれからどうなるのかと問うてきた少女に対して、ザイオンは理論整然と答えてやった。

 調べられた所持品や身体的特徴からおおよそ諜報員としての疑いは晴れてはいたものの、この時はまだ限りなく黒に近い灰色だった少女の反応を観察する。

 それまで少女と語らっていた帝国の公用語ではなく、計五カ国の言語を用いて見せたのは、医者であることは勿論のこと、外務省の官僚顔負けの語学力を買われて選ばれたからだ。




(……他国の諜報員でないとしたら、彼女は一体何者なんだ?)


 いくつものの言語を交えたそれに、少女は淡々と聞き入り、訛りのない綺麗な帝国語で了承の意を示した。……それがどれだけ異質なことか、当の少女は理解していない。


 ──もし己ならばと、ザイオンは思う。 


 知らない言語で語られたならば問題ない。否、知る知らないに関わらず、次々に変えられる言語から相手の意図を瞬時に悟ることだろう。

 けれど、そのひとつひとつに決して動揺しないかと問われたならば、それは難しいと、正直に思う。

 まったく知らない素振りをするにしても、どの言語に反応すれば一番怪しまれないかと思考する際に生じるだろう僅かな違和を、相手に気取らせることなく対応することなどできはしない。

 ましてや、そのすべての言語に通じていることを、相手に示して見せたりする危険を犯したりもしない。

 少女の視線、肩や指先といった不自然な身動みじろぎがないかどうか注視していたからこそ、その自然な対応に虚を突かれるのと同時に警戒を強めた矢先に落とされた少女の次の言葉は、毒気を抜くものだった。


(医師という特別職に従事する者への信頼と尊敬、そして医師が担うべく役目や、その医師を必要とする他者をおもんばかる思慮深さ……)


 けれど、見知らぬ場所での覚醒後、泣いて取り乱すほどの動揺を抱えながらも、こちらの説明に耳を傾け、しっかりとした受け答えをした理知的な少女ならば納得の答弁であるのかも知れない。

 しかしそれゆえに、少女の特異さが際立つ結果となるのだ。


(……高度な教育を施されている。それも、かなり平和な国で)


 医者は医者でも民間の医者ではなく、軍医であるザイオンは、歴っとした軍人でもある。

 多種多様の実践演習を経て、幾度か戦場にも出て実戦を経験してきている。……つまりは、不審者や容疑者を速やかに処断できる権限と能力を持っているのだ。

 少しでも不審な行動があれば、躊躇いもなく武力行使をしてくる相手を前に、少女が見せた医師に対する盲目な信頼と無防備さは、ザイオンの目に酷く危うげに映っていた。

 流石に最後は、自身の警戒心の無さに気付いたのか、顔色を青ざめさせてはいたが、やはりまだ爪が甘い。


 シーツに潜り込み、対峙すべき事柄から逃避する幼稚さ──。


 いかに理知的であろうとも、少女の年齢を鑑みればそれまでなのだが、その逃避がまかり通ると思っていること事態、これまで少女が親しんできた──少女を取り巻いていた環境の甘さを暴いていることに、気付きもしないのだ。


(高度かつ革新的な技術で作られた文具だけでなく、それを扱う人間にも高度な教育を施していながら、他者を容易く信頼する無防備さを併せ持った国民性……)


 どれほど記憶をさらってみても、これらに当て嵌まる国や地域、そして民族を、探し出すことができなかった。

 益々深まる少女の謎に、深く嘆息をついたザイオンは、薄いカーテンの向こう側にいるくだんの少女が再び眠りについた気配を察知すると、机上の内線機を手繰り寄せ、短縮の番号を押した。

 ちいさな呼び出し音がひとつふたつと続く中、肘を付いた手で額を支えながら思案を続けていたザイオンだったが、三つ目のコールで相手が出たことで意識を切り替え、姿勢を正す。


「ザイオン・ ハールハインツェット です。……はい。いえ、対象者は一度目覚めましたが、幾つかの質疑応答の末、再び眠りにつきました。もうしばらくは身体の回復が必要のようです。──はい。報告書は作成済みです。……エメル補佐官がこちらに? ……はい、了解いたしました。では、失礼いたします」


 通話を終え、内線機の受話器を戻したザイオンは、ちいさく息を吐き出すと、これからやってくるエメル補佐官を迎えるべく、椅子から立ち上がった。

 通話相手であったケイロン大佐の筆頭補佐官でもあるエメル補佐官と言えば、冷静沈着を絵に描いた有能な人物だ。

 その彼が、審問官としてわざわざ隔離室ここにやってくる。……それだけ上層部の幹部たちは、くだんの少女に、並々ならぬ興味を抱いているのだろう。

 何故ならば、少女の所持品すべてが未知なる素材と確かな造形加工技術で作られているからだ。

 これらの謎が解明できれば、帝国内の技術革新が促され、数多の用途に──その多くを軍事に応用できるやも知れないのだ。

 また、それだけの技術力を要する国を、是が非でも特定したいのだろう。


 ──ここ何百年と新大陸が発見されていない為、世界地図も大きく更新されていない。


 陸と海、共に道は整備されてはいるが、特に空を制する者は世界を制すると言っても過言ではないほどに、グリンディルク・ガルト帝国は、他国より一線をくしている。


 ──確かに、既存する大陸それぞれ、各国の領土に多少の変動はある。


 それにより、呼び名が新たに変わった国もそう珍しいことではなかった。……しかしこうまで未確認な──それも帝国以上と思わせる技術先進国は他に類はなく、脅威であることはまず間違いない。

 友好関係を結ぶことができれば、それに越したことはない。だが、それができなければ──?




(元の世界に還して、か……)


 やがて思考は、最初の憶測へと巡り戻ってくる。

 それと言うのも、考えれば考えるほどザイオンの胸中では、件の少女が主張した滑稽無等な訴えが、やけに説得力を帯び始めているからだ。


(──異なる世界からの、迷い人)


 だが、そんな御伽噺おとぎばなしのようなことが、現実に起こり得るのだろうか──?




 ザイオンは出入り口の扉の横に付いた、呼び出し音を無効にするスイッチに指を掛けた。……これは再び寝入った少女に気遣ったゆえの行動だったのだが、目的のスイッチを切ったのとほぼ同時に、上部に付いている来訪者を知らせる緑の点滅が灯ったのを見て、軽く驚かされることになった。


「ケイロン大佐付き筆頭補佐官、メルディス・アイル・エメルです。保護した少女の審問の為、入室許可が降りています」

「──大佐より、伺っております」


 扉越しに聞こえてきた男の声に、ザイオンはいらえを返す。

 ケイロン大佐が用意周到なのか、エメル補佐官が有能迅速なのか、それともその両方なのか──。

 予測よりも早い到着に、ちらりと苦笑を浮かべたザイオンは、扉の鍵を解除すると、内開きの扉を開けた。


「お役目お疲れ様です、エメル補佐官」


 敬礼と共に招き入れたエメル補佐官と、彼に追従する書記官もまた、黒色の軍服を身に纏っていた。

 敢えて違うところを挙げれば、ザイオンが身に付けている白衣の代わりに、赤い布地の真ん中にラキアス艦のシンボルマークである鳥の翼が白く染め抜かれ、その下に細い緑の線が二本入った腕章を付けていることと、右肩の階級章と第一ボタンとを結ぶ飾緒がある程度だろうか。


 ──例え非戦闘兵と言えども、一度ひとたび戦場に出れば、どこの所属部隊に属する者かを示す為に、必ず腕章を身に付ける決まりがある。


 本来、ザイオンも身に付けなければならない装飾なのだが、医療に携わる為、飾緒同様、邪魔にならないよう艦内では免除されていた。


「 ハールハインツェット中尉こそ、保護した少女の看護及び監視の任務、ご苦労様です 」


 蜂蜜のように濃い金髪が目にまばゆいエメル補佐官の左襟と右肩の階級章を見る限り、ザイオンと同じ中尉の位であることがわかる。……しかし、昇進してからの年数が異なる為に、彼のほうが階級は上だった。

 だが、はしばみ色の目を細め、ちいさな笑みを浮かべたエメル補佐官のねぎらいには、気安さが宿っていた。

 それもその筈。年次は違えども、士官候補生として共に学んだ軍事学校の寮で同室だった経緯がある。

 元々ザイオンは、軍の花形でもある戦闘機乗りとしての適性を見出されていた。けれど在学中に、とある実戦に投入された際に負った怪我で、大幅に進路を変更せざるを得なくなったのだ。また同時に、陸海の戦闘兵としても致命的欠陥を抱える為に、通信兵か衛生兵としての道しか残されていなかった。

 在学中から士官候補生として扱われていただけあってか、実家は伯爵の位を頂く貴族だが、跡取りとなる長子ではないザイオンにとって、退学して実家に帰る選択肢はなかった。……幸いにしてザイオンは、実技だけでなく、筆記においても成績優秀者だった。

 軍医ともなれば、そのまま民間に下っても医者として通用する専門技能職なせいか、軍に配属されれば少尉から始まる為、直ぐに中尉に昇進することができる。

 その反面、陸海空の戦闘兵科の将校のみが大将や元帥まで昇進できるのに対して、軍医総監──中将止まりとなってはいたけれども、実家の名に恥じない自立の道は残されていた。……それでも、予定外の進路変更に動揺と躊躇がなかったとは言わない。

 戦闘機乗りとしての自負──未練があった。だが、戦力外になったことは、変えられようもない事実だった。

 当時、寮の同室であった二年先輩のエメル補佐官には、随分と気を遣わせてしまったはずだ。……詳しく振り返るには、己の精神がまだ未熟なせいか、心穏やかに済ませられないでいる。

 とにかく、先輩として──また人間性にも尊敬できる人だが、どうしても苦手意識を持っている相手だった。……そもそも同じ部隊に所属していること自体、奇縁と呼んでも良いだろう。


「……こちらにお掛けください。目を通して頂きたい報告書があります」


 エメル補佐官の後ろに控える書記官の手前、仕事に徹することにしたザイオンは、先程まで座っていた椅子を勧め、机上に置いていた報告書を持ち上げ、手渡した。


「例の少女に関係する報告書ないようですか?」


 勧められた椅子に座り、手渡された書類を一瞥いちべつしたエメル補佐官は、ザイオンを見上げた。

 それは既に筆頭補佐官然とした表情だった。


「はい。既に内線で報告書の存在をケイロン大佐に伝えていますが、直接少女に審問されるエメル補佐官に読んでもらい、その上で判断を委ねると、伝言を預かっております」

「……そうですか。わかりました。ではさっそく読ませてもらいます」


 そう言って再び書類に視線を戻し、紙をめくる。

 その間、彼から離れたザイオンも、机横の壁際に立て掛けていた折り畳み式の椅子を広げ、書記官にも座るよう勧めるなどそつがない。


「……これはなかなかに興味深い内容ですね」


 しばらく書面に視線を投じていたエメル補佐官は、深く嘆息をつくと、再びザイオンを見上げてきた。


「数多の言語をまるで母国語のように理解し、操る。医師に対する盲目なまでの信頼と、その立場を理解した配慮。女子には珍しく高度な教育が施されただろう知性を見せる一方で、自身の特異さに気付くことなく、幼子のような態度を見せる。……このような事例は初めて遭遇します」


 そう言いつつも、にわかには信じられないのだろう。

 エメル補佐官の視線はザイオンを通り越し、白いカーテンで仕切られた向こう側にいる件の少女へと向けられていた。

 視界を遮るカーテンなどあってないような鋭い視線に、ザイオンもまた首だけで背後を顧みる。


「──元の世界に還して 」


 ザイオンが漏らした小さな呟きに、エメル補佐官の問いたげな眼差しが向く。

 つい先程、目を通したばかりの報告書にも記載されていた少女の発言。……しかし、その文言を口にしたザイオンの、確信と疑心の入り混じった声色が気に掛かったのだ。


「彼女が異邦人であることは、まず間違いありません。ただ、もしかしたら彼女は……」


 言葉尻をすぼめたザイオンの視線の先を追尾したエメル補佐官は、緩く目をすがめた。


「──どうやら眠り姫が目覚めたようですね」


 そして、気障な台詞に似合いの微笑みを浮かべたのだった。

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