勇者召喚・下
同居人はあまり感情を表に出さないから、機嫌をとる方としてはやり辛いことこの上ない。自称公爵だけあって、光物もお菓子も効かない。丁度ニキタ程度の大きさの熊のぬいぐるみは短期的に効果を上げたが、その大きさと触感が災いして持続はしなかった。結局、事態を好転させたのは、枯れ木のような老人が抱えてきた観葉植物の鉢だった。エルフなんだから横に植物を置けば機嫌が直るんだろうという発想なのだろうか。およそ三毛猫の理解の及ぶ発想ではないが、これが顕著かつ持続的な効果を上げたあたり、同居人は本当にホモ・サピエンスではないのではないかとの疑義を禁じ得ない。
「召喚はできても送還は無理だな。研究の蓄積がまるでない」
腰をぽんぽんと叩きながら、レヴィナ師が着席する。相変わらず同居人の肩の上で気楽に伸びているレーニンが横を向くと、エリオの顔色が面白いことになっているのが見えた。眼前に国王と宰相が座っている状況はやはり精神衛生上よくないとみえる。
王政府庁舎の一角にある会議室はどうやら要人の非公式会合に用いるために用意されたものらしい。円卓があり、外周上に適当に座る形式である。扉に近い方に国王と宰相が、遠いところに同居人と銀髪の少年が並んで座っている。レーニンとしては中央に回転テーブルがあると落ち着くのだが、残念なことに硝子の花瓶に可愛らしい花が生けてあるだけだった。
およそ同居人の主張する「超空間観測施設」とやらの建造は不可能なので、議題は間もなく同居人に与えられる地位と権限の性質に移った。先方としても、これは遣り甲斐のある交渉だった。資金提供の名分として、例の名目的勇者の地位を絡める余地があるためである。
「実際、何もしてもらう必要はないのだ」と宰相が切り出す。
宰相は簡単な地図を示した。そのまんなか辺りが王国で、他の残り全部が単一の外国──ライデール帝国なるものなのだという。北から異種族からなる武装勢力、市井で言うところの魔王軍が侵攻してきているのは事実だが、彼ら魔王軍は帝国と戦っているのであり、王国と戦っているのではない。王国常備軍は魔王軍と向き合ってすらいないのである。彼らの相手は、常に帝国の国境軍団である。
その帝国は北の魔王軍から手痛い一撃を受けた。魔王軍はウェルネア回廊と呼ばれる帝国の大都市帯を蹂躙し、古都イルヴェアを制圧、その勢いのまま南下し、今や帝都ニーヴァルンディまで数日という距離に迫っているという。しかし、魔王軍の快進撃もここまでだった。帝国は虎の子の親衛軍団を使い潰して魔王軍の攻勢を挫き、非常動員した農民兵の物量で長大な防御陣地を築いた。
魔王軍は飛竜を使った空からの突破を試みたが、これは帝国魔術師軍団の濃密な対空射撃によって阻止されたという。しかし、帝国軍にも魔王軍の本体を退ける力はなかった。結果として、帝都目前での睨み合いという状況が固定される。帝国はどうにか魔王軍を消耗戦に引きずり込むことに成功したのである。
そこで帝国が始めたのは、何のことはない、プロパガンダである。
「民衆には偶像が必要だ」とレヴィナ師は皮肉っぽく語った。
帝宮の古狐達は、埋もれた古代の秘術の中から実体召喚術なるものを発掘した。そして、その秘術で呼び出した存在に『勇者』のラベルを張った。最初は王国側も気が狂ったのかと訝しんだが、併せて出されたライデール皇帝の宣言によって、その目的は明白なものとなった。
『今戦争は魔族の魔手から人類を護るための戦争である』
実際、そういう性格の戦争であることは否定しがたい。王国も、何だかわからない異種族に蹂躙されるのは御免なので、物資の融通などで帝国の支援をしている。
しかし、王国の責任ある者達は考えずにはいられないのである。戦争に勝利した帝国が、人類世界を護り抜いた王者が、戦後どう振る舞うつもりなのかを。戦勝直後、かつてない権威と名声を得たライデール皇帝が王国に対してどのように振る舞うのかを。
「だから一緒に『人類の守護者』の枠に収まりたいのですか」
「そういうことだ」
王国は帝国に囲まれている。帝国にとって目障りな国なのである。このまま座視していれば戦後、適当な利敵行為をでっちあげられ、懲罰の対象となることだろう。そうならないために、王国としては、帝国と同じ手駒が欲しいわけである。戦後世界を生き残るために、今戦争における何か顕著な貢献が欲しいのである。それが即ち勇者だった。
「ライデールの勇者は黒髪の小僧だそうだ。実際に戦争の真似事もしているらしいが、帝国の連中にお膳立てされた茶番劇に過ぎん。我々がしようとしていることも、同じことだ」
恐らく、あの真っ黒で怖い人たちが汚れ仕事を請け負って、同居人の手柄として発表するのだろう。お偉方の考えそうなことである。レーニンは同居人の肩から下りて、その辺で丸くなる。
「魔王軍が勝利した場合のシナリオはあるのですか?」
「検討はしたが、碌なものじゃない。交渉の時間をもてるならいいが、それすら危うい。着地点は王国の滅亡だ。儂の首だけで済めば幸いだな」
国王は自嘲気味に語った。小さな王国の力ではどうしようもない現実がそこにあった。
「まるでお話になりませんね」
同居人の感想は率直だった。負けた場合、同居人も連座させられるのだから仕方がない。何だかよくわからない第三勢力の去就に全てを賭けるというのは、あまり気分の良いものではない。
「いざとなれば船で南へ……」
「軍務大臣と軍需大臣の椅子をください」
国王の言を遮って、同居人が要求する。
「国軍の最高司令権限と資材の調達、機材の開発、予算に関する全権限をください。私の椅子を護るついでに、貴方の椅子も護ってあげましょう。勇者らしくていいではありませんか」
「おいおい、自棄になるな。帝国が負けると決まったわけでは」
流石に言っていることがアレである。宰相が宥めにかかるが、国王が何か考え込む。同居人を見据えて、にやりと笑って、そしてこう提案した。
「そんなに言うなら、軍を指揮してみないかね。既存の軍の指揮権は差し上げられないが、新規に立ち上げた軍なら、カイラル将軍も文句は言わんだろう」
「予算と人員は?」
「どちらもそう多くは差し上げられない。しかし、国王の名で可能な限りの特権を付与しよう。それで卿の軍を編成すると良い。腕に自信があるのなら、できるのではないか?」
「いいでしょう」
売り言葉に買い言葉というやつであろうか。迂闊にも同居人は申し出を受けてしまう。にゃーにゃとレーニンは鳴く。最後の最後でやられた感がある。
言ってしまったものは仕方がないと、同居人が新設の軍司令官に就任する方向で話が詰まる。席についているのは当事者たる同居人と王国の最高幹部二人である。実務協議は今までの混沌が嘘のように滑らかに進み、新設軍の名称を第二常備軍とすること、その募集と編成のための設立準備室を置くこと、同居人を正式に大公として遇すること、当面の待遇などが決められていく。王国側の関係機関、とりわけ、寝耳に水となる王立常備軍総監カイラル将軍の説得は国王と宰相に任されることとなった。
「まあ、好きにするといい」と国王が同居人に声をかける。紆余曲折あったが、どうにか同居人を引き込むことができて安堵しているのだろう。
悲劇と言うべきだろうか。このやり取りを所在なさそうに眺めていたエリオは、第二常備軍設立準備室秘書官の任務を賜り、近衛魔術師隊からの異動を命じられる。「何だか仲が良さそうだから」というふざけた理由で、めんどくさい同居人の側近を最高幹部連中から任されてしまったのである。
さてさて、どうなることやら。丸くなったレーニンは長い欠伸をした。
虎穴に入らずんば虎児を得ずとあるが、目と鼻の先で繰り広げられる会話はまさにグレースヴィールが欲して止まなかった類のものだった。分析部の読みは大筋で合っている。いつかは王政府への侵入調査を命じられるだろうと踏んで、調査を続けていたのが功を奏した。警備の混乱に乗じて侵入し、難なく王政府庁舎、高貴な方々の談話室に張り付くことに成功した。何があったのか知らないが、王国首脳部と勇者の接触は無事に完了したようである。当てが当たって、ニューラはほっと一息ついた。
聞き捨てならない話も進んでいる。この王城の馬鹿騒ぎの後始末である。魔王軍の妨害という方向で進めるらしい。その魔王軍の先鋒としては、そんな能力ないのにと抗議したいところだが致し方ない。南の地での異種族に対する偏見はやはり根強い。この現実とどう向き合うかは、グレースヴィールに突き付けられた課題と言うべきだろう。
気になるのは、勇者様の素性である。異界から呼んできたのはいい。エルフなのもまあいいだろう。帰りたいと言っていた癖に、いつの間にか勇者様に祭り上げられてしまったあたり、間抜けなようにも思える。しかし、迂闊なのは国王の方ではなかったか。口約束のつもりかもしれないが、特権の付与にまで言及してしまっている。
気になるのである。巡察士官学校にも何人か居た、嫌な連中と同じ臭いがする。権謀術数を愛してやまないあの連中と同じ臭いである。国王陛下の見込通り、何もできずに終わるならそれでいいのだが。とりあえず、本国には要警戒と注進しておこう。ニューラはそう強く思った。
とりあえずこれで備蓄弾薬の在庫一掃は完了。次弾補給がいつになるかは、正直よくわからないです;;