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ねこのレーニン  作者: るびー
序章 勇者召喚
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勇者召喚・上

R-15と残酷な描写タグは飾りじゃないぜ!

 レーニンを目覚めさせたのは、胸部をぎりぎりと締め上げる何とも不愉快な圧迫感だった。しかし、同時に安心もした。同居人はどうやら健在のようである。


「暫く動かない方が賢明です」


 窮屈から逃れようともがく三毛猫を制し、同居人が囁く。その口調は淡々としていて、平生と特段変わるところはないのだが、どこか酷薄な響きを感じてレーニンは身を固くする。


「いい子です。あと、念のためこれを呑んでおいてください」


 そう言うや否や、同居人は何かを口にねじ込んでくる。錠剤のようなものらしい。釈然としないが、賢い三毛猫は、言われるがままそれを呑みこむ。よくできましたとばかりに同居人が頬擦りしてくるので、レーニンはうにゃーと小さく鳴いた。


 状況が上手く呑み込めないレーニンは、周囲とさっと見渡す。先刻の怪現象が嘘のように、いつものお茶の間であった。既に陽が落ちたのだろうか。電灯もテレビも点いていないため、部屋は酷く暗い。障子から差し込むゆらゆらとした光で、辛うじて部屋の状況が把握できる状況である。揺れる炎のような、温もりのある光である。山火事でも起きたのだろうか。いよいよレーニンにはわからなくなる。


「もう少し我慢してください。毒性の低い化学剤なので、もうすぐ動けるようになるはずです」


 三毛猫の困惑を察したのか、同居人が囁く。非常に不穏当な単語が含まれていた気がするが、レーニンは努めて思考からその要素を追い払った。しかし、何があると言うんですかね。努めて不安な表情を浮かべて、レーニンは同居人の顔色を窺う。


「心配には及びません。想定外の事態ですが、事象それ自体は概ね私の制御下にあります」


 何らかの変事を認めながらも、同居人の様子は普段と特に変わりはない。この小娘の心を揺さぶるものは、果たして存在するのかという勢いである。しかし、三毛猫は身を強張らせる。炯々と光る同居人の金色の瞳、その奥に人食い虎のような獰猛な狂気を認めたからである。


 同居人は愛猫に言い聞かせるように、静かに語り始める。


「空間置換という操作があります。接触した二つの空間領域を入れ替える操作です。我々が遭遇した現象は、そのような性質のものです」


 同居人はそっと襖に歩み寄り、開く。三毛猫は戸惑い、思わずうみゃぁと鳴いてしまった。そこには本来見えるはずの土壁がなく、弧を描いて途切れた板張りの廊下の先には、篝火に照らされる石組みの構造が広がっていた。等間隔に並ぶ巨石の柱が神殿を思わせる。


「言えば簡単ですが、均等な空間置換を実現するのは並大抵のことではありません。大抵は空間接合の不均一性から、置換構造が破綻します。我々が五体満足でいられるのは奇跡と言うべきでしょう」


 神殿のような空間は薄暗いが、それでも十数の人影を確認できた。修道士のような土色のローブを羽織り、飾りのついた錫杖を握った、何とも時代錯誤の感が漂う装いである。彼らは静かだった。多くは石の床に倒れ、少数はフリーダムな姿勢で床に突っ伏していた。


 やおら、同居人が拘束を解き、三毛猫を頭に載せる。


「高い所の方が安全です。そこで大人しくしていてください」


 にゃと短く返事をすると、レーニンはぺっとりと同居人の頭に張り付き、二本の尻尾で巧妙にバランスをとる。同居人は空いた手で懐から何かを取り出すと、滑らかな動作で手近な人影にそれを指向する。一瞬、篝火が何かに反射し、レーニンは眩しくて目を閉じた。刹那、ぱんと乾いた音が響く。閉鎖空間であるためか、音は幾重にも反響した。


「そういうわけで、私達は何処だか説明のつかない場所で、素性不明の集団に取り囲まれているのです」


 更にぱん、ぱんと断続的に音がする。レーニンはついに目を開くことができなかった。


 未知との遭遇は、常に幸福な出来事というわけではない。正体不明の相手に対して機先を制する必要があったとはいえ、やり過ぎの感が漂う。およそ最悪の出会いである。硝煙の香り。鉄錆の香り。こみ上げるものを何とか抑え、三毛猫は尻尾を振る。


「楽しい状況ではありませんか。おひるねを邪魔されたと思ったら、孤立無援で非正規戦下の戦場に放り込まれたわけです」


 ぱん。


 その口調は淡々としていて、平生と特段変わるところはない。そんな同居人はゆっくりと神殿に歩みを進め、無慈悲な死を撒き散らす。その場に居た修道士様の人影はバリエーションに富んでいた。いかにも賢者然とした老人や屈強そうな壮年男性、中には同居人より幾つか上という程度の少年も居た。皆、頭部を一発で撃ち抜かれ、脳漿を撒き散らして果てていた。


 ぱちぱちと篝火の弾ける音が響く。


「起きてください」


 はっとなってレーニンは目を開く。しかし、同居人は君じゃないと言わんばかりに鼻先をくすぐる。レーニンはうにゃーと弱々しく鳴き、猫パンチで応戦する。


 眼下に目を見遣れば、柱の陰に少年が蹲っていた。歳の頃は同居人より多少上といったところか。輝く銀髪はボブカットで纏められ、肌は同居人程ではないにしても白い。こいつも紫外線に弱そうだとレーニンは結論付けた。


 少年の身なりは他の連中と比べて随分良い。純白のローブは金糸で刺繍が施され、杖も金と宝石で装飾されている。同居人はそんな少年の胸倉を掴み、無理矢理立ち上がらせると、前後左右にがくがくと揺さぶり始めた。


「起きてください」


 とどめとばかりに、同居人は少年の腹に拳を突き立てる。ぐえっと蛙を潰したような声がして、少年は目を覚ます。瞳の色はサファイアのような深い青である。一瞬目が合ったので、レーニンはなんとなくにゃーと挨拶した。戸惑ったような視線を感じた次の瞬間、同居人が再び少年を揺さぶり、後ろの柱に叩きつける。


「手短に済ませましょう。ここはどこで、貴方は誰ですか」

「う……え?」


 およそ状況がわからないという反応。同居人は少年の髪を掴んで横を向かせる。視線の先ではねっとりとした血だまりで眠る方々が篝火で赤々と照らされていた。少年の顎に拳銃を突き付けながら、同居人は囁く。


「私は暇ではないのです。喋るか、彼らの後を追うか、好きな方を選んでください」

「しゃ、喋る、喋るから!」


 元気で結構。普通に日本語が通じるんだなと感心しながら、レーニンは同居人の尋問を見守る。手口がまるでチンピラである。


「ほう、ではお名前は?」

「エリオ、エリオ・ディ・ミーディア」

「所属と階級は?」

「えっ、えっと、近衛魔術師隊ローエル分隊所属、えっと、魔法使い……見習い」

見習いというあたり、ちょっと恥ずかしかったようである。

「結構。ここに転がっている方々も近衛魔術師隊とやらの要員と理解していいですね?」

「う、うん」

「エリオ、近衛魔術師隊とやらはここで何をしていたのですか?」

「えっと、その、勇者召喚」

「もう一度」

「勇者召喚」

「そうですか」


 同居人は眉一つ動かさず、引き金を引いた。




 城で何かあったらしいと聞いて、ニューラはすぐさま街外れにある廃墟へと走り出していた。放棄されて久しく、構造の石材を残して崩れてしまった建物は、遥か古の時代、この地が世界の心臓と謳われた頃の名残である。既に階段や梯子は腐り落ちているが、ニューラは委細構わず、絡みついた蔦や外壁のひびを手掛かりに廃墟を登る。そして、一番高いところに辿り着くと、そこにあった望遠鏡を覗きこんだ。


「さーて、現状を教えてもらいましょうか」


 望遠鏡は幾つかのハンドルがついた金属製の脚に支えられている。ニューラはハンドルを手早く操作して目標に指向すると、一心不乱に覗き込む。望遠鏡にケーブルで接続された、薄い水晶板のようなものを耳に当てれば準備完了である。


『……原因は未だ掴めておりませぬ。「塔」の見立てでは呪術や感応術の類ではないようです。教会からラディアス神父を招いて意見を伺っておりますが、すぐにはわからないとのことで、文献を……』


 水晶板が震え、視線の先で繰り広げられている会話を再生する。幸いなことに音質はクリアである。声から察するに、宮廷魔術師総監のナイゼル師だろうか。魔術師としては三流と酷評されるが、長い研究者としてのキャリアと卓越した予算管理能力から魔術行政のトップに抜擢された人物である。


 粛々と述べられる報告は、大要、地下にある『祭事の間』との連絡が途絶し、何かのせいで地下に踏み込んだ者が昏倒してしまうため、調査が進まないというものだった。端的に言って手詰まりである。


『……信じられんな。ハドリアも居たのだ』


 ハドリア・ファーバウ博士、リーツァ大学の教授で専門は古代術式、同時に高名な現象術師としても知られる。怪物退治や、酒の勢いで他の賢者と喧嘩して村をひとつ消し飛ばしかけたといった豪気なエピソードが多い。殺しても死にそうにない人物の筆頭である。


 レヴィナ師は深い溜息をつく。結界術の卓越した使い手とされる彼は、今は王国宰相として国家の秩序と安寧を守っている。


『我々とて覚悟はしていたし、備えを怠ってもいなかった。事態が我々の予想を超えたのだ』


 望遠鏡では姿を確認できないが、静かに語り始めたのは恐らくレオーニ国王であろう。ニューラは一層集中して水晶振動版に耳を傾ける。


『先生、全てを最初からやり直すと言ったら可能だろうか?』

『祭器を作ったのもハドリアだ。メモくらいは残っているだろうが、約束はできん』


 国王が深い溜息をつく。


『儂は席を外す。やり直しもあることは心に留めておいてくれ』


 席を立つ物音、最後に国王が「神は試練を与え給うた」と呟くのが聞こえた。ナイゼル師も「別命あるまで状況を維持せよ」との指示を受け退出する。後に残ったのは、重苦しい沈黙である。


「王国の皆さんも大変だなぁ」


 市場から失敬してきたにんじんを齧りながら、ニューラは気楽な感想を漏らす。王国の高貴な方々のやり取りからすると、召喚が大失敗に終わったことは明白だった。召喚それ自体に失敗したのか、何かまずいものを呼んだのかまではわからないが、何にせよ王国側は事象の制御を完全に失っている。


 この事態をどう理解するかはちょっとした難問である。それはつまり、勇者召喚という奇行をどのように理解すべきか、見解が未だに定まらないことに由来する。


 大陸南縁部、ライデール半島の中頃に位置する小王国、レンブール。この国の特殊な立ち位置は、早くからグレースヴィールの注目を集めていた。大陸を席巻する帝国、その忌まわしき帝都ニーヴァルンディに程近いにも関わらず、今なお帝国の支配に服していない稀有な国である。喉元に刺さった棘とでも言うべきか。


 彼らが独自の勇者を擁立しようというのだから、そこには明確な政治的意図がある。彼らが漠然と魔王軍と呼ぶ武力集団──正確にはカルパトゥール連合王国遣エリュジナ遠征軍南方派遣軍──に立ち向かう勇者は一人ではないのだ。調査部二課が『黒の貴公子』と呼ぶ謎の人物、帝国の擁立した勇者がウェルネア戦線における抵抗運動を指揮しているとされる。二課が血眼になって追っている勇者様が増えるかもしれないというのだから、グレースヴィールの関心も並々ならぬものがあった。


 レンブールでの一般政情情報の収集を担当する調査部二課別室は、要員が室長であるニューラ一人という場末の部署である。当初は順次増員との話だったが、『黒の貴公子』様の華麗かつ陰湿な活躍により、二課本体の増強が優先され、増員の話は消えた。一応、イルヴェアに前進した二課通信班の後援はあるものの、補給も連絡も覚束ないのが実情である。工作資金もないため、孤児に扮して王都メフィルに紛れ込んでいる。


 幸いにして、グレースヴィールからの阻止命令は出ていない。代わりに動静の観察を強く要求された。町はずれの廃墟に設置した魔導鏡はその駄賃である。遠くを見通し、ついでに一里先の音まで拾ってくれる巡察使総監部技術本部の新鋭装備である。おかげで、壮麗な古都を睥睨する王城は、今や丸裸だ。


 上が様子見を指示しているのは、この勇者召喚を状況打開の梃子として使えないかと考えているからである。グレースヴィールは、王国の一連の動きが、帝国に対する離反を示すものであると期待している。仮に、南に協力者を得ることができるなら、この無意味な戦争を終わらせる契機となりうることだろう。

淡い期待は王国側の失敗で幾分後退したが、国王が『やり直す』ことに言及したように、基本的なトレンドは変わっていないはずである。ならば、ニューラの仕事は観測を続け、王国の真意を見極めることにある。失敗原因の調査という仕事も増えた。状況が判然としないが、組織的妨害の可能性も否定できない。


「さーて、一方その頃騎士団は」


 ハンドルを操作し、今度は魔導鏡を王立騎士団本部に指向する。王都の治安維持を総括する組織であり、王城内の変事に際して実働部隊となるのは彼らのはずだった。騎士団と名乗っているが、その位置付けは警察に近い。捜査や防諜を担当する部署もあり、運が良ければ、背後関係について聞けるかもしれない。そう思って水晶振動板に耳を傾ける。その時である──


 ぱりっ。


 とても嫌な音は、振動板からではなく、明らかに望遠鏡の内筒からした。視界もぼやける。「あれっ、あれっ?」とニューラは慌てる。本国の最新鋭装備である。壊しても怒られるわけではないが、ないと仕事に困ることになる。様子を見るため、ニューラが望遠鏡を覗きこむと、不意にちゅどーんと盛大な爆音が響く。


 「ひぇ?」と思わず情けない声を上げる。振り返ると、城の方から盛大な白煙が吹き上がっていた。


 どうやら事態はなお進行中のようである。魔導鏡が壊れた以上、自ら行かなければ様子はわかりそうにない。そうと決まったら、ニューラは華麗に廃墟から飛び降りて、王城に向かって走り始める。やはり手に負えない化物でも呼んでしまったのだろうか。走りながら、そんなことを考えていた。


王国は何か困ったものを呼んでしまったようです。

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