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ねこのレーニン  作者: るびー
序章 勇者召喚
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三毛猫と同居人

ゆったりブルジョアファンタジー、はじまりはじまり

 八畳ほどのお茶の間は、似非日本的な懐古趣味の塊である。勿論床は畳であり、中央には炬燵が鎮座する。縁側とは障子で、廊下とは襖で仕切られており、壁際には四段くらいの箪笥が置かれている。床の間には日本刀と青竜刀が並べられ、その奥には「ペレストロイカ」と躍動的な片仮名で殴り書きされた書が掛けられている。今時珍しいねじ巻き式の柱時計は、一見すると年代ものであるが、近代化改修が施されており、電力による予備動力系と、標準時刻電波入力による自動補正系を備えている。要するに道楽の産物である。部屋の照明は二股ソケットによって分岐される二つの電球色発光体であるが、白熱電球ではなくLED電球である。時代の流れに逆らうのは大変なのである。みかんの木箱の上に鎮座する100インチの液晶テレビとか、10台くらい積み上げられている林檎印の弁当箱とか、世代の違う3つの林檎タブレットなどは、押しとどめられなかった現代の潮流である。


 にゃー。雑然とした部屋を一通り見渡してから、レーニンは鳴いた。異国の革命家の名を冠した大層な名前だが、実際のところ単なる三毛猫である。箪笥の上に寝転がり、一本余分についている尻尾でB-52の模型をぺちぺちしながら、しかし、この猫は油断ならない視線を眼下の炬燵に向けている。この部屋の主にして、全ての悲劇の発端がそこで眠っているからである。


 童謡にも謳われるように、猫が炬燵で丸くなることは存在論的に宿命づけられた行為である。現に半刻ほど前まで、レーニンはあの中で丸くなっていたのである。ところが、安穏と微睡んでいた三毛猫に災厄が降りかかる。襖をガラっと開き、テレビのリモコンを奪取し、そのまま炬燵の中に進入する者が現れたのである。かくして、レーニンは炬燵から押し出された。


 レーニンは侵略者の正しい名前を知らない。たしか、ヴィオルなんとかかんとかというのだが、長すぎるので、レーニンは記憶を放棄した。齢は十に満たない程度だろうか。身長ほどに長く癖のない金髪に虎目石のような金色の瞳、色素異常を疑わせる白い肌をした、見目麗しいお嬢様である。明らかに外来種である。生来の色素の薄さに加え、どうやっても髪に隠れない長耳のおかげで、妖精の姫君にすら見えることがある。


 少女はコスプレが趣味らしい。今はメイド服に白衣を羽織る、一体何を狙っているのかよくわからない格好である。この長くて尖った耳についても、何かのコスプレの一環だとレーニンは頑なに信じてきたのだが、最近の観測事実からどうも本物であるらしいことが判明している。勿論取り外し不可であるので、寝返りを打つ時に邪魔そうである。


 このホモサピエンスかどうかも若干怪しい小娘を、レーニンは単に同居人と呼ぶ。そういう間柄なのである。馴れ初めは語ると短い。どこかの裏路地を歩いていたら、どこからともなく駆けてきた同居人に首根っこを掴まれて、そのままこの家までお持ち帰りされたのである。レーニンはまるでフルトン回収される兵隊さんのような気分であったと述懐する。恐るべき保健所の魔手から救ってくれたならご主人様と崇め奉ることも吝かではないが、現実は単に衝動的に連れ去られただけであるので、同居人という程度で十分であるとレーニンは考えている。


 時間の有効な活用という観点からみるなら、縁側にでも移動して昼寝した方がよほど賢い。けれども、たかが同居人風情に猫の聖域である炬燵を奪われたままというのは、何とも癪である。だから、箪笥の上に拠点を移し、レーニンは虎視眈々と奪還の機を窺っていた。


『……繰り返しお伝えします、本日16時35分、国務院は帝都全域に第二種治安維持命令を発しました。これに伴い、本日18時からの32時間、政府当局の許可を得ない一切の外出が禁止されます。また、この措置に伴い、帝都各所の門も順次封鎖されます。17時30分にはベルフォルニージア正門、カレンドリーク門……』


 目標は先程までテレビを見ていたようだが、炬燵でごろごろしていたせいか、それとも番組内容が退屈極まりないものだったからか、そのまま眠ってしまっている。ぽかーんと開かれた口からは滾々と涎が流れ出しており、枕代わりの座布団を濡らしている。見事な間抜け面である。その緩い笑顔が、どうにも腹立たしい。


 さて、どうしようかとレーニンは思案する。勝利条件は明確である。同居人を除去し、炬燵の独占を回復すれば良いのである。ところが、存外制約条件は多い。幾ら小娘とはいえ、猫と大型の猿では質量が違いすぎる。眠ったままでは埒が明かないので、起きて頂くより他にない。しかし、この同居人を起こすのは猫の身にとって難儀なことなのである。


 第一に、この同居人に接近するのはそれ自体、危険なことである。何と言っても彼女はふもふもしたものが大好きなのである。そのようなものが周囲にあると、思わずぎゅっと抱き締めずにはいられない。猫などは抱き締める対象の筆頭であると言っても過言ではない。一見すると微笑ましい習性とも思えるが、ここに問題の本質が隠れている。つまり、この小娘は力の加減を弁えていないのである。万力のように締め上げられ、全身の骨格が軋むような感覚を、レーニンは決して忘れることができない。恐らく当人は愛情表現のつもりなのだろうが、猫の側としては迷惑千万極まりない。だからこそ、レーニンはこの同居人の侵攻に際してさっさと炬燵を退去しているし、不用意に近づくことなく、箪笥の上から状況を見守っているのである。


 第二に、この同居人は真に報復と処断の権化である。下手に彼女を傷つけたならば、遅かれ早かれ風呂に連行されじゃぶじゃぶされる運命が待っている。プールに遠投されることもある。或いは現実はもっと過酷なかもしれない。レーニンは知っている、彼女は先日、ドラム式洗濯乾燥機という恐るべき文明の利器を調達したのである。取説など、恐らく読む気もないだろう。「機械化は時代の必然です」などとのたまいつつ、猫を荒ぶる洗濯槽に放り込んでくれるに違いない。


 多少荒っぽいことをしても構わないのなら、炬燵の上に積み上げられたみかんを同居人の口に流し込む、天井から吊るしてある対潜哨戒機ニムロッドの模型を叩き落としてFOX4を食らわせるといった戦術の幅が広がるのだが、非直接的かつ穏便な手段となると、良い案がなかなか浮かばないのである。


『……上院外交安全保障委員会にて審議中の国務院軍事作戦統帥権承認決議案に反対する一派が大規模なデモを計画していることに対応した措置とみられています。ある政府高官は匿名を条件に取材に答え「我々は職責を果たしているに過ぎない。今回の決定は、決して5番街の独走を追認するものではない」とし、国務院と議会の微妙な関係を……』


 つけっ放しになっているテレビの音量を上げて安眠を妨げるという可能性はあったが、肝心のリモコンを同居人がしっかりと握っているので、実現は困難だった。勿論、本体の音量スイッチを操作するというオプションもあるのだが、相手は100インチ級の大型液晶テレビである。腕が届かない。無茶をして壊しなどすれば、涼しい顔をした同居人に問答無用でドラム式洗濯乾燥機にぶち込まれかねない。そのようなリスクは冒したくないというのが、レーニンの正直な気持ちである。


 他の可能性としては、囮の利用が考えられた。相手は所詮小娘、同時に抱えられるのは1オブジェクトまでである。ニキタあたりが丁度いいのだが、残念なことにあの巨大で頑丈なブチ猫はお茶の間にはいなかった。どうせ道端で力尽きて転がっていると、容易に察しが付く。自走しないニキタはただの毛玉である。同居人を物理的に排除するよりはマシとはいえ、あの毛玉を動かすのもまた難儀なことなのである。


 この家には他にヨシフとミハイルが居るが、前者はそもそもふもふもしていないし、後者は狡猾すぎて囮には向かない。ぬいぐるみを投入するという可能性もあるが、わざわざ運んでくるのは面倒だし、心当たりのぬいぐるみは全て、下手に扱うと同居人の逆鱗に触れそうなものばかりである。ドラム式洗濯乾燥機に放り込まれるのは御免であるから、この線も没である。


 にゃーとレーニンが残念そうに鳴く。意外とどうにもならないものである。


『……はバディアル国際駅爆発当時の映像を示し、初動にあたった中央総軍第335降下猟兵連隊がNBCR戦用特殊装備であることを指摘、初動の迅速さを加味すると、少なくとも統合軍当局が何らかの事前情報を掴んでいた可能性が高いと結論付けて……』


 ふとテレビに目を遣ると、パワードスーツを装備した歩兵が市街地に展開する場面が映されていた。饅頭のような装甲兵員輸送車めいたものが目を惹く。レーニンは初めて見るものだった。どこの国のものだろうか。レーニンは思案するが、放送は聞きなれない外国語によるものなので、よくわからなかった。


 今のご時世、ちょっとしたドンパチ程度は恒例行事の感がある。大きな猿の殺し合いなど、猫にとっては特に重大な関心事というわけではない。とはいえ、いつも同居人はCNNとかCNBCを見ているので、今日はどうしてローカルな外国語放送なのだろうかと訝しく思う気持ちはあった。


 平素の視聴傾向自体が小娘の趣味として相当アレな感じが漂っているが、そこは拉致ってきた猫にレーニンなんて名前をつける感性の持ち主だから仕方がないとレーニンは納得している。よくごろごろしながら株を売り買いしているのもご愛嬌だろう。社会勉強の類かと思えば、この同居人、普通に億単位の金を動かしている。取引画面をみて度肝を抜かれたのは、記憶に新しいところである。


『……仮に我々がバルダンシェンドへの武力行使に踏み切った場合、彼らはヴィジュレイルを使わざるを得なくなる。その中には在来型であるH2Lのみならず、全くの新型であるH5が含まれる可能性が高い。我々の弾道ミサイル防衛能力はかつての戦争からより一層の進化を遂げているが……』


 同居人はいわゆる富裕層である。財布の中にはいつも諭吉が中隊規模で控えているし、外出時はいつも装甲ベンツを乗り回している。流石にRPGやIED相手ではどうしようもないだろうが、7.62㎜x39弾程度には耐えうる頑丈さである。勿論、小娘にはこんなものの運転は不可能である。必要な時には執事君を呼びつけるのが通例となっている。


 実のところ、レーニンがこの家で見かけた霊長類は、同居人とこの執事君と、遥かアマゾンから何かを届けに来てくれるらしい宅急便のおじさん程度である。年季の入った日本家屋である母屋と、鉄筋コンクリート造地上3階地下2階の離れ、庭には25mプールをも備えるこの大邸宅に住んでいるのは同居人と4匹の猫だけである。居て然るべき同居人の両親は見当たらないし、執事君ですら、実はこの家には常駐していない。レーニンが常々訝しく思う事の一つである。


 この同居人の社会的関係の希薄さは異常と言えよう。学友の影すら見えないのは、つまるところ、この同居人が学校にすら通っていない証左である。義務教育とは何だったのか。レーニンは時々心配になるのだ。ここまで社会性が希薄だと、事故や急病で倒れた時、誰にも気づかれることなくそのまま逝ってしまわないかと。別に同居人に顕著な持病はない。杞憂だとわかってはいるのだが、色素の薄い儚げな外見のせいか、ある日この小娘が手の届かないところに行ってしまうような、そんな危惧を覚えることがある。


 勿論、この同居人も不測の事態に対して全くのノープランというわけではない。広い家のあちこちには受話器型の非常用通信端末が設置されており、外すだけで執事君に繋がる仕組みとなっている。どうしてホームセキュリティ事業者ではなく彼に直接繋ぐのかはわからないが、最低限の備えくらいはしてあるのだ。


 ふとレーニンは背後を振り返ってみる。翼を畳んだTu-160の模型の向こうには、木製の柱に取り付けられた受話器型端末がある。これはひょっとするとひょっとしたのではないだろうか。箪笥の端から脚を伸ばしてみると、受話器を外す程度ならどうにでもなりそうである。


『……は破滅を望んでいるわけではない。しかし、今回の事件がもはや有耶無耶にできるものでないことも、国務院は理解しているだろう。事態は既に一線を踏み越えてしまっている。国務院が議会の圧力に屈するのは時間の問題だ……』


 焦らずに手段としての妥当性を検討する。受話器を外しさえすれば、何事かと訝しみながらも執事君はこの部屋にやってくるはずである。そして、お茶の間で眠りこけている同居人を叩き起こして事情を問うことだろう。ここまで、直接手を下すことはないから、非直接性の要求は満たされる。


 そこで、結果として穏便な手段であるかが問題となるが、大丈夫、執事君は紳士なのである。同居人の機嫌を損なうような起こし方はしないはずである。どういうことなのだと詰問するようなことがあれば、にゃーと名乗り出れば良い。猫の悪戯に激昂するほどあの執事君の器は小さくないし、寧ろ納得して事を穏便に収めてくれることだろう。基本的に彼は同居人にも猫にも甘々なのである。


 レーニンは確信する。これならいけると。最終的な着地点は出たとこ勝負であるが、折角来たついでに片付ける雑務はないか同居人に相談してくれるなら、レーニンの最終目標たる炬燵の解放はもはや目と鼻の先である。


 レーニンはじっと柱時計を睨む。秒針のない時計は午後1時55分を指し示していた。にゃーと掛け声ひとつ、繰り出されたねこパンチは受話器を吹き飛ばす。微かに「はいはい、どうしましたか」と執事君の声が聞こえたような気がした。レーニンはにゃーと感慨深げに鳴く。賽は投げられた。


『……のとりうるオプションとして、特別刑事手続執行法の適用がありえます。しかし、バルダンシェンド側が捜査要請に応じる気配がない以上、手続の開始は破局に向けた時限爆弾を作動させるものに過ぎないとの見方が有力であり……』


 まさか、こんな些細な行為が引き金となったわけではあるまい。勝利を確信したレーニンがどやっと同居人の方を振り向くと、直方体であるはずのお茶の間が魚眼レンズを通したように丸く歪んでいた。疲れているのかと瞬いてみるが、状況が改善するどころか、曲率は増すばかりである。


 これがいわゆる重力レンズかとも考えたが、そんな愉快な現象を発生させる質点があるならば、地球は既に潮汐力で粉砕されているだろう。他に光を捻じ曲げるような現象はあっただろうか。レーニンは思案するが、勿論答えは出ない。ただ、並々ならぬ事態が生じたのは確かだった。


 レーニンは箪笥を蹴り、同居人の顔面に飛びかかる。予定変更である。今ここで小娘を叩き起こさなければ手遅れになるような気がしたのである。突然襲来した柔らかい衝撃に、同居人は「ふみゃ?」と間抜けな声を上げる。レーニンが振り返ってみると、歪みの中心には、全ての光を呑み込む深淵が広がり始めている。


 同居人の覚醒は遅い。「ふにー」などと言いながら、虚ろな視線を深淵へと向けている。レーニンは同居人の裾を噛んで退避を促してみるが、反応は鈍い。これは手遅れかもしれない。三毛猫の胸中に諦観めいた考えが浮かぶ。深淵はますます膨らみ、その勢いは加速度的に増している。同居人を捨て置けば、自分くらいは安全圏に脱することができるだろうか。しかし、腹に回り込んできた柔らかい感触が、もはや手遅れであることを伝えていた。


 刹那、深淵が爆ぜ、のっぺりとした闇が部屋中にぶちまけられる。脈動するような衝撃が意識を侵食する。遠ざかる意識の中で、同居人が「大丈夫」と呟くのをレーニンは確かに聞いた。にゃー。何が大丈夫だというのだという突っ込みは、闇に呑まれた。

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