第七話 真実のはじまるとき
「いってらっしゃーい」
ぼくの部屋で、日菜ちゃんとその鬼が玄関まで見送ってくれる。
「いって……きます」
引きつり笑いを作りながら、ぼくは扉を開けて外へ出た。
本当に妙なことになった――。
ぼくと日菜ちゃんが付き合っている!?全然、実感がない。
『こらマサキ。しゃんとせい!!』
「うるさいっ」
隣でぺたぺた足音をさせながら、マキがぼくにそんなことを言ってきた。
ぼくはそれを軽く流し、築二十年以上の年期の入ったアパートの階段を降りた。
行田先輩からメールをもらってから、二週間が経過してる。
忙しい先輩がぼくの休みにわざわざ合わせてくれたせいで、ここまで遅れてしまった。
『でも情けないぞ、マサキ。まだ接吻もしとらんとは……』
いきなりこの醜悪な顔の鬼がにやりと笑いながら、そんなツッコミを入れやがる。
「うるさいっ!!しょうがないだろうっ。それに接吻言うなっ!!」
ぼくは自分での自覚があるぐらい、顔に熱を感じながらマキを怒鳴る。
と。慌てて自分の口を右手で押さえた。
ここは外だったっけ。本当に危ないやつになっちゃうよ。
そしてマキのやつは、あの耳障りなキィキィという笑い声をたてて笑っていた。
「帰ったら覚えてろよ。しばらく空腹で過ごしてやるから」
『その心配はしとらん。ヒナがいるからな』
にやーと、さらに笑みで顔を歪めるマキ。
そうだった。日菜ちゃんが張り切って夕飯を用意しておくと言っていたっけ……。
『最近太ったか?やい、こらマサキ。おいらは大満足だぞ』
「……ムカつく……」
マジにムカつくこの鬼。
電車で二駅先。駅の南口の改札で待ち合わせをしている。
行田先輩はぼくより先に来ていたのか、改札に近づいたぼくを見つけて軽く手を振ってきた。
「すみません、遅れて……」
それはマキのせいだと思うが、ここでそんなことを口に出来るはずもない。
「いや。俺も五分前ぐらいに来たばかりだから。あいかわらず、真面目だよなお前」
行田先輩は苦笑いでぼくを見ていた。
「……すみません……」
ぼくは先輩に謝るしか出来なかった。
◆◆◆
まずは〔はらたつ〕の家へ。
〔はらたつ〕のお母さんは――ひどくやつれた様子でぼくたちを暖かく迎えてくれた。
痩せたのだろう。この間見たときより、もう一回り体が小さくなったように感じる。
「本当にありがとうね……鬼野くんも。迷惑かけたのに……本当にありがとう」
お母さんは何度も「ありがとう」と口にして。
ぼくは居た堪れない気持ちになっていた。
先輩は真新しい〔はらたつ〕の遺影と骨壷がある仏壇の前で両手を合わせる。
「……先を急ぎやがって……」
ぼそりとつぶやいた先輩の言葉が、ぼくの心を一層締め上げる。
『マサキ。お前のせいじゃねぇ。それ以上罪を感じるな。
お前まで闇に引っ張られるぞ。これはお前のせいじゃねぇ』
ぼくのうしろでマキはそんなことを囁いた。
それは〔はらたつ〕の葬儀のあと、マキと出会ったときから、こいつから言われている言葉だ。その言葉にぼくは――救われてきた。
大丈夫だと声をかけたいが、今はそれも出来ない。
鬼の見え方には特徴がある。
鬼が見えるようになってから会った人は、ぼくはすぐにはその人の鬼は見えない。
しばらく話して――そう一時間近くは一緒にいるか、話していないと、鬼は見えてこない。でも何度も顔を合わせる人は、一度でもはっきり見えれば、会えばすぐに見える。
ぼくはこんな力でも、いろいろあるものだと感心してしまうが……。
だから今、この時点で〔はらたつ〕のお母さんの鬼は見えていない。
でも先輩の鬼は見えている。
先輩の左の肩に、茶色のカラスのような鳥が一羽?いるだけだ。
でも嫌な気配は感じない。
そう――河村の鬼たちのような恐怖はない。
こいつ、ときどきぼくの肩に飛び移っては、ぼくの髪を啄ばんだりする。
好奇心の強い先輩の鬼らしい性格――なんだろうか?
『こいつも面白いやつだ』
マキの頭に乗ってふざけてもいる。この鬼も変な鬼なんだろうなぁ。
「……真咲。何見てんだ、お前?」
「は?別に……なんでもないですよ」
マキと先輩の鬼を見ていたぼくに、行田先輩がそんなことを尋ねてきた。
ぼくが慌てて否定すると、意味ありげに「ふぅん」と言っていた。
やば。漫画家をしている先輩も美大生の日菜ちゃんと一緒で、人の行動なんかに関しては敏感なんだろう。
……疲れる。
〔はらたつ〕の家をあとにして。
昼時より少し前だったから、少し落ち着こうかと休憩目的で駅前のマックに入ることにした。
二階の奥に空いている席を見つけ、ぼくと先輩はそれぞれ向かうように座ると、お互いに近況を話し始めた。
「え?お前、彼女出来たのかっ!?」
「……二週間前に……ぼくの住んでいるアパートの隣の部屋にいる女の子なんですが……」
「お前らしからぬ大胆さだなぁ……襲ったのか?」
「んなわけないですよっ!!」
ぼくが力いっぱい否定すると、先輩はげらげらと笑い。
「そうだよなぁ。わりぃ」
と、とてもそう思っていないだろう、謝罪を口にしていた。
「どっちがコクったの?お前からか?」
「……なんかやけに食いつきますね」
「そりゃ……お前に彼女が出来たなんでさ。興味あるじゃん」
睨みつけるぼくの視線をかわしつつ、にやにやと笑っている先輩。
「……それは……」
あれ?そう言えばどっちなんだろう?
あの場合――事故のようなもんだよな?やっぱぼくになるのか?
「……ぼくです」
この答えがとりあえずは無難なような気がした。
「まぁ、そうだろうなぁ。でも相手もお前のそんな真面目な性格に誠意を感じたんだろ。
とにかくよかったよ」
「……まぁ」
「でも美大生か。やったなぁ……」
「つり合いませんよ……」
「関係ねぇよ。お前がそんなこと思ってたら、彼女がかわいそうだろ?」
「……そう……ですね」
行田先輩の言葉は、一言一言もっともで重みがある。
ぼくはコーヒーを啜りながら、先輩に頷いた。
「それで俺の話したいことなんだけどな」
しばらく雑談に盛り上がったあと。先輩が今日、ぼくと会いたいと言ってきた本題を切り出す。
「実は〔はらたつ〕の事故のこと。俺が知ることになったのは、その現場を目撃した知りあいの話からなんだ」
「……え?」
ぼくが口に運ぼうとしていたコーヒーの入った紙コップを持つ手を止めた。
「知りあい……俺の担当さんなんだけさ。
たまたま事故の現場を見たらしいんだ。まさかそれが俺の高校の後輩だと思わないだろ?その担当さんが気になることを言ったんだ……」
「どんなことです?」
ぼくは先輩を凝視した。
「青年が走ってきたバイクに飛び込んだんだ……ってな」
紙コップを握る手が震える。〔はらたつ〕は自殺だったのか……。
「真咲。これはお前のせいじゃない。お前は何もしていない。俺はお前のとった対応は当たり前だと思う。だからこれを話すことをどうしようか悩んだんだ。でもそのあと、その人はこうも言った」
「……どういうことですか?」
ぼくを宥めてくれたあと。先輩はふぅと小さく息を吐き出した。
「誰かに押し出されたようだったよ……って」
「え?」
どう言う意味だ?一瞬、頭の中が真っ白になる。
先輩は何を言いたいんだ?
「……俺は警察じゃない。その担当さんも急いでいたらしいから、〔はらたつ〕が誰かが呼んでくれた救急車に運ばれるところまでを確認して、俺のところに来たらしいんだ。
あとでニュースを調べて、それが〔はらたつ〕だって知って俺も驚いた」
「そう……だったんですか」
頭がうまく働かない。
そう言えば〔はらたつ〕の事故のことの連絡を受けた直後も、こんな感じだったと思い出す。
「警察は事故として片付けているし、〔はらたつ〕のお母さんを見てたら、言い出すことも出来なかった。その担当さんも、はっきりと覚えているわけじゃないと言うからな。
でもお前には話しておこうと思ったんだよ……」
「ありがとうございます」
ぼくは先輩にお礼を言った。
でも本当はこんなこと知らない方がよかった――そんなことも考えていた。