第五話 〔鬼〕の違い
河村が夜に彼女と会うというので、夕方までにはぼくの部屋を出て行った。
彼女かぁ……。ついため息をついてしまう。
『これ、マサキ!!さっきの扱いはなんだっ!!冗談じゃないぞっ!!痛いだろに!!』
ぼくの後ろではマキがぎゃぁぎゃぁと大騒ぎしている。
ぼくはもう一度ため息をつき、マキへと振り返った。
「仕方ないだろう?ぼく以外におまえを見ることができないなら、ああするしかないじゃないかっ。
第一、何も食わないおまえがどうして冷蔵庫なんか漁ってるんだ!?
それにどうしてこの世のもんが触れるんだよ?おまえみたいな〔鬼〕は、この世のものは触れないんだろう?
河村の〔鬼〕は何もしてなかったし、あのドアを素通りして行ったぞ!?」
怒るマキに、ぼくは一気に捲くしたてた。
冗談じゃないのも、怒ってるのもこっちの方なんだっ!!という思いをマキにぶつけてやる。
マキのやつ。急にあの醜い顔をにやりと歪めた。キモいんだって。
『やい、マサキ。おまえはおいらに名前をつけたろ。
名前はおいらを表す証だ。だから、おいらの〔人〕であるマサキが触れるもんはおいらも触れる』
「はぁ?おいらの〔人〕……ああ。おまえがぼくの〔鬼〕だからか」
『そうだ、マサキ』
まったく、こいつとの会話は疲れる。
その上、ぼくの触れる物は触れるだと。ますます面倒だな。
「だったら尚更だ。友達の前であんなことするな。
あいつの〔鬼〕たちは大人しいものだったじゃないか」
姿は……今考えると、マキより異様で恐ろしいものに思えたが。
『やい、マサキ。あいつら見ていて恐ろしく感じだだろに』
「……おまえも十分に気持ち悪いぞ」
『アホウが!!おいらはおまえの〔鬼〕だっ!!なんてこと言う!!』
ここは怒るとこか?初めておまえを見たときは、腰抜かしそうになったんだぞ。
本当にへんな〔鬼〕だ。
と。ぼくはここでへんなことを思いつく。
どうしてマキはこんなに明るいんだろう、と。河村の〔鬼〕たちはマキ以上に恐ろしかったのに……。
『ほぉら、恐ろしかっただろに。
あれはあの男の心の奥にある闇が、深く淀んだせいだ。
あれはあまり良くない〔鬼〕どもだ。
おまえもあんな男と付き合うなら、よほど気をつけんといかんぞ』
「……なんだよ、それ」
『そういう意味だろに。最近はあんな〔鬼〕を連れた人が多い。
特にあの男の〔鬼〕は、そうとうにまずい。
だからおいらが追っ払ってやってんだぞ、こら』
ぼくはただマキを見つめる。
一体それはどういう意味なのか、と。
河村がまずいってどういうことなんだ。
「おい、マキ。河村の〔鬼〕たちがまずいってどういうことだ?」
『心に深い淀みを持つやつらの〔鬼〕どもはああなる。
あんなやつらの〔鬼〕どものそばに長くいることは、人でもあんまりいい影響はないんだ。楽しそうに話しとってから、おいらが気を利かせて追っ払ったんだ。
今のおいらには名前があるからな。おいらは強い。
だから、たいがいの〔鬼〕はおいらに敵わない。だから睨んだだけで逃げてったんだ』
これ。こいつのドヤ顔か?歯を剥き出しにして笑うマキ。ますますキモい。
でも……〔鬼〕ってやつは、どうなっているんだ?
これ以上知りたいとも思わないんだが……。
『とにかくあの男は気ぃつけ。あれはまずい。あいつらの〔鬼〕がそういう姿になっとるからな』
「……河村はぼくの友達だ」
『なら尚更だ。気をつけ。まだあの〔はらたつ〕の方が良かった。
あいつの〔鬼〕は、まだ可愛かった。
そいつは素直な性格だっただろに。あの河村とかいう男より、よっぽどいいやつだっただろに』
「……もういい」
ぼくはマキとの会話をやめた。
マキ。だったらぼくは……あいつらにどうすればよかったんだ。と、そう怒鳴りつけそうになっていたからだ。
ぼくはこんなマキや……〔鬼〕たちとどう付き合っていけばいいのだろう。
そうして。ぼくは途方に暮れた。
◆◆◆
マキが冷蔵庫を漁っていた理由。
食べ物を食べない代わりに、ぼくが何かを食べて満足するとマキも満足するのだそうだ。
欲を満たすことが、〔鬼〕を満たすことになるらしい。
そんなことはどうでもいいのだけど。
マキに言わせると、ぼくは美味しいものを食べた時が一番満足するのだそうだ。
人間そんなものだと思うが……。
マキはぼくが腹をすかせていたことを感じ取って、あんなことをしていたそうだが。
本当にへんな〔鬼〕だ、マキは。
冷蔵庫にはほとんど酒かつまみのようなものしか入っていない。
っていうか、ほとんどない。きれいなもんだ。
『情けないのう』
「うるさい。これから買いに行く」
もともと買出しに行かないといけないと思っていたんだ。
極力外食は避けている。
弁当も作るようにして、節約に励む。
だから、近くのスーパーの特売日をネットなんかで調べて、買いに行くようにしている。
おかげで特売の曜日なんかも覚えたよ。
どこの主夫なんだろうな……ぼくは。
財布を後ろのポケットに突っ込むと、ぼくはドアを開け、部屋の外に出た。
あれ?と、廊下の……ぼくの目の前に、着物を着た小さな女の子が立っていた。
たしかこの子は、あの子の〔鬼〕だ。
まるで実家にある市松人形とかいう人形によく似てる、整った愛らしい顔の少女。
この子が〔鬼〕なんて、マキとは大違いだ。
と、いうことは。
「鬼野さんっ!!」
ぼくの隣の部屋に住む、藍森日菜ちゃん。
見ようによっては中学生ぐらいに見える子なんだけど、こう見えても美大に通う可愛い女の子。
この人形みたいな可愛い〔鬼〕は、この子の〔鬼〕になる。
本気で羨ましい……。
たぶん。こういう〔鬼〕なら、「大丈夫」だと思うんだけど。
ぼくはふいに、そんな思いに囚われてしまう。
で、マキのやつ。笑いながらこの〔鬼〕の頭を撫でている。身長はマキの方が大きいけどなぁ。
って。この〔鬼〕はいつも大人しいよな。
「何を見ているんですか、鬼野さん?」
「え?いや……ちょっと考えごとをね。ごめんね」
マキと日菜ちゃんの〔鬼〕を見ていたぼくは、誤魔化しながら慌てて彼女に謝った。
「ふぅん……」
日菜ちゃんは、じっとぼくが見ていたマキと自分の〔鬼〕の入る方へと顔を向けた。
まさか……君も見えるのか?
「……何にもいませんけど?」
「あ……ああ。そうだね」
なんだ。でもぼくはなんでか、ほっと胸を撫で下ろす。
そうだよな。こんな物、見えない方がいいに決まっている。
「鬼野さん。夕飯の買い物行っちゃいました?」
「え?いいや。これから行こうと思ってたんだ」
「よかったぁ。駅前のスーパーが特売してたんで、ちょっと多めに買い込んじゃったんです。半分貰ってもらえませんか?」
「え。それは、まずいよ。買うから」
日菜ちゃん。両手持つ大きめのマイバックに、買い込んだ商品がきれいに入っている。
ぼくはその両方を日菜ちゃんから受け取り、「行こうか」と彼女の部屋の前まで持っていこうとしたが。
「……あ、鬼野さん。よかったら、晩御飯は私が作ります」
「え?いつも悪いよ……」
そう。日菜ちゃんはこうしていつも差し入れや、ぼくの分のご飯を作ってくれたりするいい子なんだよなぁ。これで彼氏がいないのが不思議だ。
「私が好きでやっているんですから。部屋、入っていいですか?」
「それは……大歓迎だけど……」
大人しい〔鬼〕とは違い、日菜ちゃんはいつもこう……積極的だ。
「じゃ、作りますね。でも間に合ってよかった」
あの。最後の一言は、どうも独り言のように聞こえたのは、なんでだろうか?
「間に合って……って、何か用事でもあるんじゃないのかい?」
「い、いいえ。こちらのことです。
急いで作ります。おなかすいてるでしょう?」
「それは有り難いけど……」
恥ずかしそうに、さっさとぼくの部屋に入っていく日菜ちゃんを見ながら、ぼくはしばし呆然として。
ここでその気配に気がつき、ぼくはそちらへと視線を向ける。
そこには。
ぼくをじっと見つめる、マキと日菜ちゃんの〔鬼〕がいた。