第三話 〔鬼〕がいる
もう寿命が近い街灯がぼんやりと照らし出す〔異形〕らしき姿。
そこにいたのは……紛れもなく〔化け物〕の類だ。
髪はボサボサの長い白髪。肌の色は白身帯びた黄土色とでもいうのか?
ぎょろりとしたふたつの目。しかも緑色の目だ。そして瞳は金色。それは昼間の猫のように細い不気味な形。
身長はぼくの半分程度。二本足で立ってはいるが、両手は異様に長く、足が短い。
その姿は……猿だ。チンパンジーとかが、二本足で立って歩く姿に良く似てる。
でも間違いなく〔猿〕ではない。口は耳元近くまで割けて、そこに収まらない牙がはみ出している。それが〔笑って〕いるように見えるから……なおさら気持ちが悪い。
「……ぅわぁ……」
ぼくは自分の両足が情けないほどに、がくがくと震えているのがわかった。
というより、逃げたくとも足に力が入らない。
今にもアスファルトの上にぺたりと座り込んでしまいそうなほど、恐怖で足がすくんでしまっている。
『おう。おいらの姿が見えるのか?すげぇなぁ……』
その〔化け物〕の第一声がそれだった。
ぼくとその〔化け物〕とも間には、ニメートル程度の距離があったが。
『おい、こら。おいらが見えるんだろう?なんとか言え』
〔化け物〕がぺたりと一歩、ぼくに近づいてくる。
「……ひっ」
ぼくはニ、三歩後ずさる。
一体これは何だ!?どうしてこうなった!?一体ぼくはどうしてしまったんだ!?
わずかな時間に、そんな疑問がぼくの頭の中を駆け巡り、蹂躙し、心の動揺を押し広げていく。
『やい、こら。何か言え』
〔それ〕は、醜悪な顔をますます歪ませてぼくを睨む。
「さ……さる……」
『さる?それはおいらの名前か?こら?』
つい口走ったぼくの言葉を、〔それ〕はたぶんだが不思議そうにぼくに尋ねてきた。
「……おいらの名前って……おまえこそ〔なんだ〕?」
震えはまだ止まらないが、少しこの〔化け物〕の態度が大人しそうに思えて、ぼくは勇気を振るい逆に質問をしてみる。
『おいらか?おいらは〔鬼〕だ。聞いたことぐらいはあるだろ?
それにおまえだってその名に縁があるだろに』
怒ったような口調だが、〔鬼〕と名乗った……その〔鬼〕は、ぺたぺたとぼくに近づきながらそんなことを言ってきた。
『おまえの名前は〔鬼野真咲〕だろに。女のような名前で嫌いなんじゃろ、おまえ』
「うるさいっ!!どうしてそんなことまで知っているっ!?」
なんだ、この〔化け物〕は。
ぼくが反射的に怒った態度を見て、この〔鬼〕が突然、キィキィキィと耳を覆いたくなるような不快な音を立て始める。
「何なんだよっ!!」
『おかしいなぁ、おい。こら。マサキ、おまえは本当におもろいっ』
これはもしかしてこいつの〔笑い声〕なのかっ!?〔鬼〕は再びキィキィキィと音――声を立てる。
「うるさいっ!!その気持ち悪い声をやめろっ!!」
『気持ち悪いとはなんだっ!!これはおいらが笑ってる声だっ!!』
「それがうるさいと言うんだよ。それに人が嫌がっていることを笑うなっ!! 」
『おうおう。それはすまなんだ。ゆるせ、マサキ』
「それにどうしておまえは、ぼくのことをそんなに知っているっ!!?」
『どうしてって。おいらは〔おまえの鬼〕だからだ。
知らないのか?〔鬼〕は〔人の魂の写し身〕だ。
おまえたち人が〔妖〕と呼ぶもんは、ぜーんぶ〔人の想い〕が作り出したもう一つの姿だ。だからおいらはおまえの〔写し身〕だ』
ぼくはこの〔鬼〕の話を、呆然となって聞くしかなかった。
〔鬼〕は〔人のたま?の写し身〕で、〔あやかし〕は〔人の想い〕が作り出したもう一つの姿――これはなんの御伽噺だ?〔あやかし〕とは〔妖怪〕のことでよかったか?
そんなことを考えているうちに、まだ頭の中はまともに動いてくれそうにないが、なんとか落ち着いてきていた。足の震えも収まった。
ただそれ以上、どう訊けばいいか。とか、どうすればいいか。なんてことはまるで思いつかないが……。
『やい、マサキ。普通は〔鬼〕は人の目には見えないもんだ。
だがおまえはおいらが見えた。仕方ねぇ。おいらに名前をつけな。
さっきおまえが言った〔さる〕でもええ』
「は?なんだ、それ?」
『その通りだ。はよせい』
「え、あ?急にそんなことを言われても……き……キノはぼくの苗字だ」
『キノでええのか?』
「ち、違うっ!!ち……ちき……ああと。ま……き……」
突然こんな〔化け物〕に名前をつけろだと。とんでもない無茶振りだろうがっ!!
『おう、マキか。それでいい。おいらの名前はマキだ』
「やめろっ!!紛らわしいっ!!」
『いんや、気に入った。マキだ』
今度は控えめにキキキと笑う〔鬼〕。〔マキ〕がいいなんて、どんだけ自己主張の強い〔化け物〕なんだ。
『ほれ。はよせい。おでんが冷めてまう』
「あ、え……そうだった!!」
どうしてこんな〔化け物〕に、現実に引き戻されなきゃいけないんだよ。
だが、こうしている間にもおでんはどんどん冷めていく。
『ほれ。はよ帰るぞ、マサキ』
「わかってる。って、おまえも来るのかよっ」
『当たり前だ。おいらはおまえの〔写し身〕だろが
離れられるわけがなかろが』
ぼくの〔写し身〕って……こんな〔化け物〕なのかぁ?
大きなためいきがひとつ。ぼくの口から吐き出される。
心臓の鼓動はまだドキドキと激しい鼓動を繰り返してはいるが、こいつをはじめて見た衝撃に比べれば、これでもだいぶ落ち着いてきている方だろうな。
『ぼけぼけするな』
「うるさい……おまえまでおでんを食べる気か?」
『アホウが。今までおいらが、おまえの食いもんを食ったことがあるか。
だけどおまえが上手いもんを食えば、おいらの〔魂〕も落ち着くんよ。
満足するってやつだな』
「……おまえの言う〔たま〕ってなんだ?」
さっきから、こいつが〔たま〕っていう言葉がずっと気に掛かっていた。
『ここじゃぁねぇぞ』
意味ありげに股間を押さえながら、キキキとあの不気味な声と、醜悪な笑い顔を見せる〔鬼〕。キモい……。
だいぶ落ち着いたとはいえ、どうしたって鳥肌だけはなかなか消えない。
「んなことぐらい、ぼくにもわかる」
『おうよ。〔魂〕のことだ。おいらにも〔魂〕はあるからな。
おいらのその〔魂〕は、おまえの〔魂〕の一部だよ』
「……ふうん」
ぼくは半信半疑でそれを〔聞き流す〕。
〔鬼〕の存在は現実離れをしているけど、どこまで信じてよいのやら。ぼくの中でもすぐに整理が出来るわけじゃない。
ぼくの歩く速度に合わせ、あのマキがついてくるぴたぴたぴたという音が聞こえる。
人通りがまったくない住宅街の道だが、〔鬼〕と会話しているぼくは、他の人の目にはどう写っているのだろうか?
そして。これは一体どういうことなのだろうか?
ぼくはどうしてしまったのだろうか?
マキがぼくの〔写し身〕なのだということは、そういうことなのだろう。
でもそれは一体どんな意味があるんだ?
まとまらない考えだけが浮かんでは、余計に重苦しい悩みだけを形作る。
とにかく帰って、落ち着いてから、この〔化け物〕を問い詰める必要がありそうだ。
そう考えるだけで――ぼくの気持ちはさらに落ち込むのだった。