第一話 不気味な〔それ〕
「悪いな。また金貸してくれ。来月返すからさ」
ぼくはこう言った友人の顔を睨みつけた。
ぼくのアパートの部屋に金をせびりに来た大学浪人三年目が決まった友人に、ぼくはすでに十万を越える額の金を貸していたが、その金が戻ってくる当てなどない。
「今まで貸した金を返すなら貸してやる」
「来月返すって言ったろ?」
原竜也。高校からの友人だが、皆に〔はらたつ〕と呼ばれている。
どんな友人にもこの調子だ。すでに誰からも相手にされていない。
もうぼくにしか縋る相手もいないのだろう。
「毎月のようにそれ言っているな。仕送りどうしたんだよ?」
「ここんとこ親父の会社が苦しいらしいんだ。また仕送り減らすってよ。
ざけんなだよな。子供が可愛くねぇのかよ、まったく」
「お前が「ざけんな」だろう?早くバイトみつけろよ」
「るせぇ。しょうがねぇだろ。ろくな時給のところがねぇんだから」
ふて腐れた顔をして、〔はらたつ〕は先月と同じセリフを吐く。
毎月。ひどいと二週間に一度は来る、この自称「親友」に、ぼくは何の感情も抱く事はない。
「知るか。ぼくも苦しいんだ。金が借りたいなら、早く金返せ」
はじめは低姿勢だった〔はらたつ〕の態度が、ぼくのこの言葉で少しの苛立ちを見せ始める。こいつはいつもこうだ。
「だったらお前が俺に金を貸せばすぐに済むだろ」
「じゃ、来月に倍にして返すのか?」
「貸してくれるのか?」
「借用書書け。来月に貸した全ての金を返すって。
駄目だったら裁判に持ち込むぞ」
「信じらんねぇっ!!」
怒り任せに〔はらたつ〕が立ち上がり、小さなテーブルを挟んで向かいに座っているぼくを見下ろす。
「大学もいけなかったやつに言われたくねぇんだよっ!!」
〔はらたつ〕が声を荒げた。だけど、ぼくもその迫力に負けることなく、この友人を再度睨みつけた。
「だったら早く大学に入って、堂々とぼくを見下せばいいだろう?
確かお前には十二万五千円貸していたはずだ。
返せない……返すつもりもないなら、もう二度とぼくの前に姿を見せるな。
せっかくの休みの日に、腹立つお前の顔を見なきゃならないぼくの気持ちを考えろ」
昨日、久しぶりに〔はらたつ〕も知っている高校の時の友達に会って、飲みながらこいつの相談をした。
そしてその友人に今日〔はらたつ〕と会うと言うと、ぼくは人が良すぎると散々叱られたのち、〔はらたつ〕への対処方法として、今、ぼくが言った事を言えとそいつは教えてくれた。
くれぐれも仏心は出すんじゃない。〔はらたつ〕のためにもならないと。強く念を押されて。
〔はらたつ〕はそいつからも五万を越える金を借りて、今だに返していないという。
もう二年が経つらしいが、そいつも返ってこないと諦める代わりに〔はらたつ〕とはもう会っていないらしい。
ぼくも金は返らないと半分は諦めているのだが。
◆◆◆
「紙を貸せっ!!借用書を書いてやる」
「は?」
〔はらたつ〕の意外な答えに、ぼくは一瞬言葉を失った。
「今までの借金は来月返す。その代わり三十万貸せ」
「はぁぁっ!?そんな大金あるわけないだろうっ!?何考えてんだ、おまえはぁっ!!」
「去年のボーナスが残ってんだろうがっ!!貸せっ!!」
真顔で〔上から目線〕で。こいつは平気でこんなことを言ってくる。
おかげでぼくも遠慮の何もなく、キレることが出来た。
「ぼくはお前に金を貸すために働いているんじゃないっ!!
出て行けっ!!二度とぼくの前に姿を見せるなっ!!」
「じゃぁ、今まで借りた金は返さなくていいのかっ!!?」
少し安心したような顔で、〔はらたつ〕はぼくを見ていた。
ああ。こういうやつだったんだ……。一気に――これでもう、こいつへの愛想なんて微塵もなくなった。
こうしてお前はどれほどの友人と呼べるものを失ってきたんだ……?〔はらたつ〕。
「……ああ。その代わり、もうぼくとお前は友達でも何でもない。
二度とぼくのところへも来るな。来ても会うつもりもない」
「わかったよ。お前だけは俺の味方だと思っていたのになっ!!」
「お前はぼくを、自分の財布にしか考えていなかったんだろう?
ここまでバカなやつだと思わなかったよ……」
ぼくがこの言葉をこいつに投げかけた時。
それまでぼくを睨んでいた〔はらたつ〕の表情が、一瞬悲しげなものへと変わる。それはほんの一瞬だったけど。
だがその表情がそぼくの脳裏に、一生に渡って焼き付けられることになった。
「じゃな……」
それ以上何も言う事なく、〔はらたつ〕はぼくの部屋を出て行った。
ぼくもこいつに何も言う事など、思い浮かぶはずもなかった――。
そんな一瞬のこと。
背中を見せた〔はらたつ〕の、その肩甲骨辺りに――ぼくの掌ほどの大きさがある〔とかげ〕らしき生き物がへばり付いていた。
〔それ〕は真っ黒な……。〔それ〕を見てしまった瞬間に、ぼくの背中に悪寒が駆け上がり。肌はぞわりと一気に粟立つ。なんだこれは、と。
口を開きかけたが、〔はらたつ〕はそのまま振り返ることなくドアを開けて出て行った。
ぼくの錯覚だったのか? 確認することなく……。いや。出来なかったが正解か。
あの気持ち悪い感覚が、ぼくの中で余韻が残ったまま――。
五時間後。ぼくの携帯に、あいつ。〔はらたつ〕の母親から連絡があった。
それは交通事故であいつが亡くなったという知らせだった。
ぼくの部屋から出て行った一時間後に、大通りで大型バイクに轢かれたのだそうだ。
どうしてそんなことになったのか?もう四月一日はとっくにすぎてんだぞ!?
ぼくは整理できない頭の中で、そんなことを精一杯考えた。
何かの悪い冗談じゃないか。そうであってほしいとも……。
それでもかすかに残った理性で、他の友人たちに連絡をすませ、ぼくはあいつの家に向かう準備をはじめる。
そんな中でほんの一瞬だけ。あの不気味な生物のことが脳裏を過ぎる。が、それ以上考える暇も気持ちの余裕もないままで、ぼくは部屋を飛び出していた。