第五話
【フリスタ王国・平原】
リリーは眼前広がる光景が信じられなかった。
「これほど効果があるとは、イクス様には恐れ入るよ」
フリスタに迫ってきたのはダバロウ帝国軍一万五千、それに対するフリスタは三千、数で明らかに不利なフリスタ、誰の目にも敗戦は濃厚だった。
だが今、フリスタは三千で一万五千を抑え込んでいる、それを可能にしたのは。
「いったいこれは何なのか……」
リリーはイクスから受け取った得体の知れない粉の袋を眺める。
『多分来ると思いますが、獣人の軍勢が来たら、これを風上から撒いてくださいね。風が無いなら風魔法で撒いても問題ないですから』
言うとおりに撒いたら、猫系の獣人があっと言う間倒れていった。
その数は一万、それでも二千の差があるが、その点は防衛側という点を利用して差を埋めている。
「しかし、そう長く保つかね」
リリーは悩んでいた。
現状猫系の獣人の無力化が出来ている、だがそれが何時まで出来るかがわからない。
復活して来たらもう打つ手は無い。
「御報告します! 第二弓兵隊、第三弓兵隊、鳥系の獣人の攻撃により負傷者増大、第一遊撃隊は半数を失い撤退しております!」
「第一弓兵隊と第四弓兵隊から何人か援護に、第一遊撃隊には弓兵の警護に回せ!」
リリーの指示を受けて伝令が走る、だがそれを阻むように、鳥系の獣人が空から伝令に襲い掛かる。
「させはせんよ!」
リリーはそれにすぐ気づいて、手近な小石を投げる、小石は鋭い線を描き、鳥系の獣人の嘴を叩く。
鳥系の獣人は一瞬動きを止める、そして忌々しげにリリーを睨んでくる。
「そう睨むな、この私が相手してやるのだから光栄に思え」
護衛なんていない、大軍を相手にリリーは削れるものは全て削った。
リリーは腰の鞘から剣を引き抜いて構え、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「私はあまり加減出来ないからなあ」
リリーと獣人の影が重なった。
【フリスタ王国・平原のダバロウ本陣】
ダバロウ帝国三獣将のガイは苛立っていた。
「何故だ! 何故数で勝る我等がいつまで手を拱いている!」
謎の粉の所為で戦力が激減したが、それでも兵の数では負けていない。
落とせないわけないのに、なのに落とせない。
「恐れながら、敵方は防御を固め、最低限しか進軍しないでこちらを削っています」
「ならば一点に集中させれば良いだろう!」
「そうしては突出した点を囲んで叩かれます。現状を維持し、奴らの疲弊を待つしかないと……」
「むう……スミンがそう言うのであれば」
ガイは老虎の軍師、スミンに諭され、設えられた椅子に腰掛ける。
いかに高慢なガイであっても、育ての親も等しいスミンの言うことは聞いた。
「やはり、あの赤猫の剣士もこちらに連れてくるべきだったか」
「あの方がいれば戦力としては十分でしょうが、そうなるとガイ様と対峙したフリスタの勇者が向こうにいることになりましょう」
そう、出兵の際、シャルロットは囮になってフリスタの勇者を足止めすると提案してきた。
得体の知れない敵を足止め出来るならと、スミンが了承し、ガイも納得した。
「待つしかないか……」
「何を待つんですかね?」
その声にガイは戦慄した。
その声にスミンは唖然とした。
「ちょっと手間取りましたが、まあ間に合ったみたいですね」
本陣を囲むようにガイは護衛兵を配置していた。
なのにイクスはそこにいるのが当然とばかりに、ガイの目の前に現れた。
「き、貴様どうやって!?」
「歩いてきましたけど?」
「馬鹿な、ここは護衛兵が囲んで、鼠一匹入り込めぬように……」
言い終えるより先に、ガイは先日の恐怖と屈辱を思い出す。
「ああ、みんな逃げちゃいましたよ」
イクスは何をするでもない、ただ殺気を叩きつけて護衛兵を傷つける事なく追い払った。
「今すぐ兵を退かせるならなにもしないです。だけどそうでないなら」
ガイとスミンの背中を放たれた殺気が撫でる。
「そう何度もやられてたまるか!」
ガイは剣も抜かず、ただ捨て身でイクスに襲い掛かる。
常人ならとても早く見えただろう、だが相手が悪すぎた。
「まだ二回目なんですけどね」
迫り来るガイ、イクスはそれをまるで子蝿を追い払うように手で払う。
乾いた音が響くとともに、ガイが勢いよく転がり、陣の柱の一つにぶつかってようやく止まる。
「僕は別に殺し合いがしたいわけじゃないんですよ。貴方たちが攻撃してくるから応戦してるだけですからね」
「そちらがこちらの協力の要請を蹴ったのであろう」
スミンは余裕綽々なイクスに対する恐怖を何とか抑え込み、憎々しげにイクスを睨む。
「そりゃ奴隷になれと言われて従わないでしょうに」
「……は?」
「詳しくは聞いてませんけど、確か領土もよこせと書いてあったとか」
「ちょ、ちょっと待ってほしい、儂の聞いた話と大分違うんだが」
「はい?」
スミンの明らかな態度の変化に、イクスは思わず声を漏らす。
「儂はガイ様から『最大限の譲歩をしたが、人間どもはこちらの提案を蹴った上に、牙を剥いてきた』と」
ガイの言ったことは間違っていなかった。
ただそれは獣人至上主義の獣人としてであり、普通に考えれば大いに間違っていた。
「えーと、お名前聞いて良いですかね? あ、僕はフリスタに召喚された便宜上勇者の、イクスフォリニアです」
そう言ってイクスは深々と一礼する。
「こ、これは丁寧に、儂はダバロウ帝国軍軍師のスミンと申す」
スミンもイクスに倣い、深々と一礼する。
「ありがとうございます。スミンさん……それで名乗ったばかりで申し訳ないのですが」
「何も言いますまい、イクスフォリニア殿」
スミンはそう言って頷く。
「お察しいただきありがとうございます。その上で更にスミンさんをダバロウ帝国の代表として迎え、和平交渉をしたいんですが、よろしいでしょうか?」
多少の出過ぎた真似は仕方無い、イクスは自分にそう言い聞かせ、スミンの様子を窺う。
「それも了解した。今回の事はほとんど儂の所為じゃろうからの」
苦虫を噛み潰したような顔で、スミンはイクスの一撃で沈んだガイを見てため息をつく。
「まあ他人の思考はわからないですからね」
イクスは気休めにもならないことがわかっていたが、最低限の気遣いにスミンにそう言葉を掛けた。