第四話
【フリスタ王国・草原】
召喚されてから5日が経った。
イクスは吹き抜けていく風に目を細め、遙か彼方のフリスタとダバロウの国境を眺める。
「どうして僕は蘇ったんですかね……」
勇者の手によって、確実に殺してもらった筈、なのに生きている。
二度三度手を握りしめ、イクスはその感触を確かめていく。
「しかし僕が勇者か……」
疎まれ、蔑まれ、恐れられた。
それが勇者、だが期待しているのはほんの一部、フリスタ王国の大半の人間には恐れられている。
イクスは武器も使わず獣人を追い払ったのだが、行為がもたらす結果は必ずしも良くない。
恐れた様に逃げる獣人たちと、それを高圧的に睨むイクス、どう見てもイクスが悪者に見えてしまう。
「まあ、仕方ないですよねえ」
町にいても城にいても居心地の悪さは酷かった。
「イクス! 探したわよ!」
大きな声にイクスはそちらに振り返る。
「どうしました? アリシア」
「どうしました? じゃないわよ。どうしてこんな所にいるのよ」
冒険者の様な出で立ちのアリシアは、そう言いながらイクスに迫る、だがイクスは、お姫様なのにこんな服も持っているんだなあ、と感心した。
「アリシアは色んな服をもってるんですねえ、どれも似合ってますけど」
「えっ……ありがとう、って違あう!」
「わわっ、大きな声をだしてどうしたんですか」
「あなたが私の聞いてる事に答えないからよ!」
アリシアの幽鬼の如き迫力に、イクスはたじろぎながらも今のやりとりを思い返す。
「えーと、何でここにいるか、でしたっけ?」
「そう、朝からいなくて探していたら、こっちの方に行ったって聞いたから」
先程までの勢いが嘘のようにアリシアはイクスから目をそらし、指先を弄ぶ。
「心配してくれたんですね、ありがとうございます」
そんなアリシアの様子に苦笑しながら、イクスはアリシアに背を向け、国境に目を向ける。
「何でここにいるかでしたっけ? 簡単ですよ」
イクスが拳を突き出した瞬間、強烈な衝撃音とともに、まるで最初からそこにいたかのように、深紅の鎧を身に纏った獣人、シャルロットが姿を現す。
「お気づきでしたかイクス様」
「まあ付き合い長いですからねえ」
二人はとても対象的だった。片や微笑むイクスに対して、シャルロットは憎しみが溢れんばかりに睨みつけていた。
「アリシアを狙うとは思いませんでしたがね」
「え……」
突然の出来事に頭がついていけてなかったアリシアだが、イクスの言葉に気づく、イクスの立っている位置はシャルロットとアリシアの間だった。
「当然の事です。人間が我々に行った所業、イクス様もご存知のはず」
「この世界の人間は関係無いと思うんですけどね」
「だからあなたは甘い!」
再び衝撃音、今度は何度も響き、突風がアリシアを襲う。
衝撃音の正体、それは目にも留まらぬ速さで繰り出される、イクスの拳とシャルロットの左手に握られた剣がぶつかる音、突風はそれによって起きた衝撃波だった。
「そうやって許すから!」
「許すこと悪い事では無いと思うんですがねえ」
「場合によります! 少なくとも人間には適用されません!」
端から聞けばただの言い合いだが、軽く音速を超えた戦いがセットのバイオレンスな言い合い、アリシアは自分の無力を感じながらも動かなかった。
動いても邪魔にしかならない事を理解していたから。
「過ぎた事を言っていたらきりがないですよ」
「過ぎた事!? そうやってあなたは……ならば」
シャルロットは左手に握っていた剣を右手に持ち替え、常人でも見える早さで切っ先をイクスに向ける。
「来たれ、天すら焼き尽くす業火よ!」
シャルロットの声に反応するように、剣は真紅に輝き、切っ先から強烈な炎を吐き出す。
「やれやれ、もう少し手加減してくれても良いと思うんですけどね」
イクスはそうぼやきながら、片手で軽く炎を払い上げ、剣を持つシャルロットの手握りしめて切っ先を天に向ける。
「くっ!」
「レーヴァテインの『終焉の炎』は、強力だけど放っている時には動けない、それが弱点だから気をつけるようにおしえたんですけどねえ」
「炎を払って近づいてくるのなんてイクス様だけです」
ぼうっと炎の尻を吐き出すと、剣は真紅の輝きを失い、シャルロットの手から落ちて深々と地に刺さる。
「どうして……どうしてあなたはまた人間を助けるんですか」
「頼まれたからですね」
「そこの女にですか」
「アリシアにも頼まれてますねえ」
シャルロットはイクスの言葉に深くため息をつき、肩を落とすと寂しげに微笑み。
「ではあなたはまた絶望しますよ。私はあなたをここに足止めしておくための囮ですからね」
憐れむような表情をイクスに向ける、だがイクスは全く慌てる様子もない。
「わかってましたよ。シャルロットさんが囮って事くらいね、あの虎さんじゃ僕の相手は出来ないですから」
「なら早く戻らなければ、あなたの大切な人間たちの命の火が消えてしまいますよ」
「そうですねえ、でも戻らないですよ。ちゃんと対策は授けてきましたし」
イクスは空いた手をそっとシャルロットの頭に伸ばし、優しく髪をなでる。
「何より僕は、シャルロットさんの事も大切ですからね、シャルロットさんは僕の事嫌いですか?」
「それは……イクス様……」
「シャルロットさんが手を貸してくれると助かるんですよね」
イクスは掴んでいた手を離すと、シャルロットの剣を引き抜いてシャルロットに差し出す。
「人間は憎いです。でもイクス様は……少し考えさせてください」
シャルロットはイクスから剣を受け取ると、一礼して現れた時と同じ様に一瞬で消える、イクスはそれを見届けてからアリシアの方に振り返る。
「怪我はありませんか?」
「だ、大丈夫だけど、イクスの方が」
怪我をしているんじゃ、そう言いかけてアリシアは言葉を飲み込む、イクスは全くの無傷で、あれほど激しい応酬があったにも関わらず、右手がほんのり赤くなっているだけだった。
「流石に『終焉の炎』はちょっと熱かったけど問題無いですね」
そう言って微笑むイクスに、アリシアは呆れながらも、イクスの右手を掴み。
「意味が無い事位わかっている、だけどこれだけはさせて」
アリシアが目を閉じると、イクスの右手が淡く輝き、肌の赤みが無くなる。
「アリシアって凄いですねえ」
「凄くないわ、こうして触れないと傷一つ癒せない」
「いえ、詠唱無しで回復魔法なんて、普通使えないですよ」
凄い凄いと言うイクスに対し、アリシアはどこか寂しげに笑って手を離す。
「それよりイクス、早く戻りましょう。どんな策を授けてきてるかは知らないけど、やっぱり心配だわ」
「それもそうですね、では失礼して」
それが当然であるように、イクスはアリシアの腰に腕を回す。
「大丈夫だから、先に行って」
だがアリシアはイクスの手から逃れるように離れる、イクスは少し驚いた表情を見せるが、ゆっくり頷く。
「じゃあ先に行きますね、気配はしませんが気をつけてくださいね」
そう言うとイクスも、シャルロットと同じ様に一瞬で消える。
「私は別に凄くない、そう、別に凄くなんか……」
激しい戦闘があったにも関わらず、全く荒れていない草原を見渡しながら、アリシアは小さく呟いた。