第三話 文学少女は同調圧力に屈する
私は他人の顔色など気にしない。
断言する。
藤澤透花という人間は、他者の評価に左右されるような、そんなやわな精神の持ち主ではない。カフカを読み、ランボーを読み、ドストエフスキーを読んできた私が、周囲の目を気にしてどうするというんだ。そんなことをしていたら、本など一冊も読めない。文学とは、孤独の中で磨かれるものだ。孤高であることを恐れてはいけない。
そういう人間だ、私は。
……そういう人間の、はずだった。
今朝、登校中に聞こえてきた会話を、私はまだ引きずっている。
事の発端は、今朝の通学路だった。
少し前を歩いていた女子二人組――顔は知っているが名前はうろ覚えの、確か同じクラスの磯部さんと吉川さんだったと思う――の会話が、風向きの関係で、私の耳に丸ごと届いてしまったのだ。
「ねえ、藤澤さんってさ」
自分の名前が出てきた瞬間、人間の聴覚は研ぎ澄まされる。これは本能だ。どんな文豪も抗えない本能だ。
「なんか、ちょっとうざくない?」
心臓が、ぴたっと止まった気がした。
「なんか毎回本の話するじゃん。カフカがどうとか、ランボーがどうとか」
「わかるわかる。なんかちょっと、見下されてる感じするよね」
「別に悪い人じゃないと思うけど、なんか……変だよね」
そこで角を曲がって、二人の声は聞こえなくなった。
私はその場に立ち尽くして、三秒ほど空を見上げた。
変、か。
うざい、か。
見下されてる感じ、か。
教室に着いても、その言葉が頭から離れなかった。
席に座って、本を開こうとして、やめた。なぜやめたかというと、いま本を読んでいたら「ほら、また本読んでる。変な子」と思われる気がしたからだ。
待て。
私は、他人の顔色など気にしない人間ではなかったか。
文学少女は物申す。
他人の評価に一喜一憂することは、精神的な自立の放棄である。ヘルマン・ヘッセの『デミアン』において、主人公のエーミール・シンクレールは、他者の承認を求めることをやめ、自分自身の内なる声に従って生きることを学んだ。それが真の成長というものだ。私も、そうあるべきだ。磯部さんと吉川さんが何を言おうと、私は私の道を行けばいい。
……と、心の中で物申してみたのだが。
本が、開けない。
手が、動かない。
もし今ここで本を開いたら、磯部さんに見られて「ほら、また」と思われるかもしれない。吉川さんに見られて「変だよね」と思われるかもしれない。二人が示し合わせて、視線を送ってくるかもしれない。
ちらっと教室を見回した。磯部さんたちは窓際で話し込んでいて、こちらを見ていない。
よし、見ていない。
じゃあ本を開いても大丈夫――
いや待て。いつ視線が来るかわからない。
私はカバンの中の本を、そっと奥に押し込んだ。
なにをやっているんだ、私は。
休み時間、田所くんが「藤澤さんって休み時間、いつも本読んでるよね」と言ってきた。
普段の私なら「そうですが、何か?」と答えるところだ。今日の私は、なぜか一瞬、間を置いてしまった。
「……えっと、まあ、いつもってわけじゃないですけど」
田所くんは「そうなの? 意外」と言って、自分のスマホに視線を戻した。
私は自分の発言を、心の中で三回繰り返した。
いつもってわけじゃない。
嘘だ。完全に嘘だ。私は休み時間のほぼ百パーセントを読書に費やしている。それが正確な事実だ。なのに私はいま、事実を曲げた。田所くんに「変な奴」と思われたくなくて、事実を曲げた。
これは……敗北ではないか?
文学少女は物申す。
自分を偽ることは、文学に対する冒涜だと思う。文学とは、人間の真実を書いたものだ。トルストイは『アンナ・カレーニナ』の中で、社会の体裁のために自分を殺して生きる人間の悲劇を描いた。アンナが最終的にどうなったか、ここで言うのは無粋だからやめておくが、とにかく〝本当の自分〟を隠して生きることが、いかに人間を蝕むかということを、トルストイは教えてくれる。だから私は正直に生きなければならない。
……なのに私は今、田所くんに嘘をついた。
アンナ・カレーニナ、ごめん。
昼休み。
今日はなぜか、磯部さんと吉川さんの視線が気になって仕方がなかった。別に二人はこちらを見ていない。見ていないのはわかっている。でも、見ているかもしれない。見ていなくても、意識しているかもしれない。「あの子、今日も変なことしてるな」と思っているかもしれない。
私は、お弁当を食べながら、ひとつの決断を下した。
今日は本を読むのをやめよう。
昼休みに本を読まないことなど、私の人生において、ほぼ前例がない。前例がないことをするというのは、勇気がいる。いや、勇気というより、屈辱か。
でも、しょうがない。
しょうがないじゃないか。
うざいと思われたくない。変な子と思われたくない。見下してると思われたくない。人間として、ごく自然な感情だ。これは弱さじゃない。これは社会性だ。社会性。人間が集団で生きていくうえで必要な、コミュニケーションのための社会性。
私はスマホを取り出した。
そして、とくに見たいものもないのに、ホーム画面をぼんやり眺めた。
なんだこれは。
私が、スマホのホーム画面を眺めている。カフカでもなく、ランボーでもなく、ホーム画面を。いつもあれだけ「三秒動画を延々スワイプするのは知性の浪費だ」と思っていた私が、同じことをしようとしている。
文学少女は物申す。
いや待て、これは物申す場合じゃない。物申す対象が私自身になっている。それはどうなんだ。自分自身に物申すというのは、内省とも言えるが、単なる自己矛盾とも言える。ニーチェは「怪物と戦う者は、自分自身が怪物にならないように気をつけなければならない」と言った。同調圧力という怪物と戦おうとして、自分が同調圧力に飲み込まれる怪物になっては、意味がない。
でも今の私は、すでに飲み込まれかけている。
ニーチェ、ごめん。
結局、スマホをカバンに戻した。本も出さない。お弁当のふたをじっと見つめて、昼休みを過ごした。
これが一番どうしようもない選択だと、わかっていた。
放課後の出来事が、さらに私を追い詰めた。
帰り支度をしていると、磯部さんが突然話しかけてきたのだ。
「藤澤さん、帰り同じ方向じゃない? だったら一緒に帰ろうよ」
私は固まった。
今朝「うざくない?」と言っていた磯部さんが、いま「一緒に帰ろう」と言っている。これはどういう状況か? これは友好的なのか? それとも何か意図があるのか? 私の文学的読解力を総動員しても、この展開は予測できなかった。
「……いいですよ」と私は言った。
三人で、校門を出た。磯部さんと吉川さんと、私。
磯部さんが言った。「藤澤さんって、なんか読書家だよね」
「まあ……そうですね」
「すごいね。私、全然本読めなくて。なんか活字見ると眠くなるんだよね」
ここだ、と私は思った。ここで私が普段の私であれば、「活字が眠いとはもったいない。カフカを読んでみなさい。人生が変わりますよ」と言うところだ。
でも今日の私は、違った。
「わかります、なんか読みにくいですよね」
嘘だ。
全力の嘘だ。
活字が読みにくいなんて、私は一ミリも思ったことがない。活字こそが快楽だと思っている。でも今の私の口からは、「わかります、なんか読みにくいですよね」という言葉が、滑らかに出てきてしまった。
磯部さんが「でしょー!」と笑った。吉川さんも「わかるわかる!」と笑った。
私も、笑った。
「でもさ、藤澤さんはなんで読めるの?」
「えっと……」私は少し考えた。
「まあ、慣れですかね」
慣れ。
私が文学を読む理由は、慣れじゃない。魂が震えるからだ。人間の書いた言葉が、時代を超えて届いてくるからだ。百年前の人間の孤独が、今の私の孤独と同じ形をしているからだ。そういう理由で読んでいるのに、「慣れですかね」と言った。
文学少女は物申す。
カミュの『異邦人』の主人公ムルソーは、感情を表に出さない人間として描かれ、社会から〝異邦人〟として扱われた。自分の気持ちを正直に表現できないことが、いかに人間を孤立させるかという話だ。私は今、ムルソーとは別の形で、自分を偽っている。自分の気持ちを隠して、周囲に溶け込もうとしている。これはこれで、ある種の〝異邦人〟ではないだろうか。
でも磯部さんと吉川さんは、今日初めて私に話しかけてきた。
今朝「うざい」と言っていた磯部さんが、いま笑いかけてくれている。
それが、なんとなく、嬉しかった。
嬉しかったのだ。
この感情は、どう処理すればいいんだ。
家に帰って、カバンを置いて、ベッドに倒れ込んだ。
今日一日を振り返る。
本を開けなかった。嘘をついた。「わかります」と言った。「慣れですかね」と言った。昼休みにスマホのホーム画面を眺めた。ランボーよりも、磯部さんの笑顔のほうを選んだ。
これが、私だ。今日の私だ。
藤澤透花、文学少女、同調圧力に完全敗北。
枕に顔を埋めた。
私は「他人の顔色など気にしない」と、今朝ここに書いた……いや、思っていた。でも実際には、通学路で聞こえた会話ひとつで、一日中ぐらぐらしていた。ヘッセの言う〝内なる声〟より、磯部さんの「うざくない?」のほうが、よっぽど大きく私に響いてしまった。
情けない。
でも、それが人間というものかもしれない。
夏目漱石だって、イギリス留学中に精神を病んだ。太宰治だって、人に好かれたくて仕方がなかった。人間関係に悩んだ文豪を挙げればきりがない。つまり、他者の目を気にすることは、文学的に言えば、ごく人間的な苦悩なのだ。私はただ、人間として正しく苦悩しているだけだ。
……と、慰めてみたが。
やっぱり情けない気持ちは消えなかった。
私はおもむろに起き上がって、カバンの奥に押し込んでいた本を取り出した。カフカの『変身』。今日一度も開けなかった本。
ページを開く。グレゴール・ザムザが、今日も虫として生きている。彼は虫になっても、自分が虫だと認めたくない部分があった。人間だった頃の習慣を手放せなかった。
私も似たようなものかもしれない。
文学少女のくせに、磯部さんに嫌われたくなくて、一日中びくびくしていた。「他人の顔色など気にしない」と思っていたくせに、気にしまくっていた。
私は本を閉じて、天井を見た。
まったく、どうしてくれるんだ、私自身よ。
他人の顔色など気にしないはずの文学少女が、「うざい」のひとことで丸一日を棒に振る。カフカもランボーもトルストイも、今頃あの世で呆れているに違いない。
でも、磯部さんが笑いかけてくれたのは、やっぱり、少しだけ、嬉しかった。
それだけは、本当だ。
まったく、人間というのは、つくづく面倒くさい生き物だと思う。




