嵐の前のデート
翌朝。
拠点には、珍しくゆるい空気が流れていた。
窓から差し込む柔らかな光。
湯気の立つカップ。
装備の手入れも終わり、急ぎの予定もない。
「……平和ですね」
皐月が、ぽつりと呟く。
「嵐の前ってやつだな」
「やめてくださいよ!」
むっとした顔で睨まれ、新は肩をすくめる。
「冗談だ」
本当は、冗談でもないが。
⸻
「今日はどうします?」
皐月が地図を広げる。
「レベル上げ? 素材集め? それとも……」
「今日は休む」
「え?」
「鍛錬はするが、ダンジョンには入らない」
白珠はまだ完全に身体に馴染んでいない。
力を得た直後に無理をすれば、歪みが出る。
「じゃあ……街?」
皐月の目が、わずかに輝く。
「買い物とか?」
「お前、それが目的だろ」
「ばれました?」
悪びれずに笑う。
⸻
居住地区。
昼間の通りは穏やかで、昨日までの不穏さは感じられない。
屋台の匂い。
子どもの笑い声。
行き交う人々のざわめき。
「こうして見ると、普通の街ですよね」
「セーフエリアに設定されてるし、そんなもんだろ」
「また風情がないこと言う!」
不満げな皐月の顔が、どこか幼く見えて——少し可笑しい。
「あっ! 今、私のことバカにしました?」
「顔に出てるか?」
「出てます」
むっとしたままの皐月に、新は楽しそうに笑った。
⸻
装備屋の前で足を止める。
「新、これ似合うと思いません?」
手にしているのは、白基調の軽装コート。
「お前、白好きだな」
「だって綺麗じゃないですか」
「目立つぞ」
「じゃあ新も白着ればいいんですよ」
「俺は黒の方が落ち着く」
「じゃあ並んだらちょうどいいですね!」
なぜか勝手に納得している。
(オセロか?)
疑問は浮かぶが、わざわざ否定する必要もない。
新は黙って、楽しそうに買い物をする皐月を眺めた。
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その後。
ベンチに座り、軽食を分け合う。
「ねえ、新」
「なんだ」
「白珠って、怖くないんですか?」
不意の問いだった。
「怖い?」
「だって、“守らなきゃ死ぬ”契約なんですよね」
新は少し考える。
「……怖いさ」
正直に答えた。
「でも、俺はこの契約を枷だとは思ってない」
「どうして?」
新は、少しだけ視線を遠くへ向ける。
「お前を守るって決めた時から、
お前がいる限り俺の剣は、お前や善良な誰かを守るためにある」
皐月は、視線を逸らした。
頬が赤いのは、日差しのせいだろうか。
一度息を整え、改めて新を見る。
「じゃあ、私もちゃんと強くなります」
「もう十分強い」
「足りないです」
即答だった。
「新の隣に立つなら」
その言葉に、新は一瞬黙る。
「……無理はするな」
「無理はしません。でも、止まりません」
まっすぐな瞳。
迷いのない言葉。
⸻
帰り道。
夕焼けが街を染める。
白い光と橙の光が重なり、
どこか大地の神殿を思わせる色合いになる。
「ねえ新」
「今度はどこの精霊、探します?」
「……まだ決めてない」
本当は、決めている。
だが、口にはしない。
「じゃあ、ゆっくり考えましょう」
皐月は伸びをする。
「今日はデートなんですから」
「誰が決めた」
「私です」
新は思わず笑った。
⸻
拠点に戻る。
何事もない一日。
だが——
白珠は静かに存在を主張し、
街のどこかでは、聖火の集いが動いている。
それでも今は。
穏やかな時間が、二人の間にあった。
戦いの合間にある、かけがえのない静寂。
それは、これから訪れる波乱をまだ知らないまま、
優しく夜へと溶けていった。




