旧生活区画
旧生活区画。
居住地区から一本、境界線を越えただけで、
空気の質が変わった。
人の気配が、薄い。
建物はある。
道もある。
だが、生活の音がない。
「……思ったより、普通ですね」
皐月が周囲を見回す。
崩れかけた集合住宅。
色あせた看板。
割れた窓ガラス。
どれも、
“放置されただけ”の風景だった。
「完全に廃棄されたわけじゃない」
新は言う。
「だから旧生活区画って呼ばれてる」
「なるほど……」
皐月は足元の雑草を避けながら歩く。
舗装の隙間から伸びた草は、
人がいなくなってからの時間を物語っていた。
⸻
マップを開いても、
この辺りは表示が曖昧だ。
通りの名前は消え、
建物もまとめて一括表示されている。
「……管理外エリア、って感じですね」
「メイトの言う通りだな」
新は周囲を警戒する。
モンスター反応は、なし。
だが、安心できる要素もない。
「ダンジョンと違って、
敵が出るとは限らない」
「出ない方がいいですけど……」
「そういう場所ほど、
予測外が起きる」
皐月は、小さく頷いた。
⸻
二人は、
元は公園だったらしい広場に足を踏み入れる。
遊具は錆びつき、
ベンチは倒れ、
噴水は干上がっていた。
「ここ……」
皐月が足を止める。
「なんか、静かすぎません?」
「音が反響しない」
新は答える。
「建物に囲まれてるせいだ」
だが、それだけではない。
風が、弱い。
鳥の声も、ない。
「……精霊がいるとしたら」
皐月がぽつりと言う。
「こういう場所、な気がします」
「理由は?」
「人がいなくて、
でも自然が残ってるから」
新は少し考えてから頷いた。
「悪くない推測だ」
⸻
広場の奥。
蔦に覆われた古い建物が、一つだけ残っていた。
かつては、
管理事務所か何かだったのだろう。
扉は半開き。
中は暗い。
「……入ります?」
皐月が小声で聞く。
「今日は偵察だ」
新は即答した。
「無理はしない」
「了解です」
皐月は、
無意識に新の少し後ろに立つ。
⸻
建物の中は、
埃と湿気の匂いが混じっていた。
床には、
古い紙束と壊れた端末。
だが。
「……これ」
皐月が指を差す。
壁際に、
うっすらと光る跡があった。
文字のような。
模様のような。
「スキル反応は?」
「……あります」
皐月は静かに言った。
「でも、発動じゃない」
新はその光跡を見つめる。
ダンジョンでも、
街でも見たことがない反応。
「……今日は、ここまでだな」
「え?」
「深入りしすぎると、
引き返せなくなる」
新は踵を返す。
「一度、外に出る」
皐月は名残惜しそうに、
光跡を振り返った。
「……明日も、来ます?」
「ああ」
新は答える。
「ここは、
間違いなく“何かがある”」
⸻
二人は光跡に背を向け、歩き出そうとした。
その瞬間だった。
ひゅん——
空気を裂く音。
次いで、
乾いた銃声。
新の頬を、熱がかすめた。
「——っ!」
「きゃっ!!」
皐月が悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込む。
ダンッ、ダンッ!
続けざまに銃撃。
壁に弾痕が走り、
コンクリート片が弾け飛んだ。
「皐月!」
新は即座に動いた。
動けない皐月を庇うように抱き寄せ、
物陰へと引きずる。
倒れた机。
崩れた壁。
遮蔽物は心許ない。
ダンッ!
弾丸が机の縁を削り、
木片が散る。
「……っ」
皐月の肩が、小さく震えた。
「見るな」
新は低く言う。
「俺だけ見てろ」
「……はい」
⸻
新は息を殺して外を窺う。
射線は安定している。
連射じゃない。
一発一発が、正確だ。
(……人間)
モンスターじゃない。
野生的でもない。
狙いを理解して撃っている。
しかも。
(外している)
致命点を、
わずかにずらしている。
警告か。
牽制か。
それとも——
(……あいつなのか?)
新の脳裏に、
嫌な記憶がよぎる。
ダンジョンにも、街にも属さない。
だが、確かに存在する。
秩序の外で動くNPC。
表のストーリーには出てこない。
周回を重ね、
条件を踏み抜いた時だけ顔を出す存在。
(旧生活区画……地下……)
線が、頭の中で繋がりかける。
だが、今は考えるな。
⸻
銃声が、止んだ。
不自然なほど、突然に。
新はすぐには動かない。
三秒。
五秒。
それでも、次弾は来ない。
「……新」
皐月が、かすれた声で呼ぶ。
「もう、終わった……?」
「分からない」
新は短く答えた。
視線は、まだ外に向けたままだ。
足音はない。
気配も消えている。
(引いたな)
目的は、殺しじゃない。
ここに近づくな、という意思表示。
「今日は撤退だ」
新は言った。
皐月は唇を噛みしめ、
それから小さく頷く。
「……はい」
⸻
二人は慎重に建物を出る。
夕暮れの旧生活区画は、
さっきよりも色を失って見えた。
振り返っても、
撃ってきた人物の姿はない。
だが。
(……いる)
新は確信していた。
ここには、
精霊だけじゃない。
人為的に、
この場所を“管理している何か”がある。
それが何なのか。
敵なのか。
あるいは——
今は、まだ考えない。
考えるには、
情報が足りなすぎる。
二人は足早に、その場を離れた。
旧生活区画の奥で、
誰かがこちらを見ていたことを、
口に出すことはないまま。




