隠しエンディングに挑戦しますか?
目が覚めると、天井があった。
白い。安いクロスの継ぎ目が、うっすら波打っている。数えたことはないのに、視線が自然に角のシミへ向かう。そこはいつも、少しだけ濃い。
ワンルーム。古い冷蔵庫。ベッドの脇に、飲みかけの水。
朝なのか夜なのか、窓の外は判断しづらい色をしていた。カーテン越しの光は、薄く、遠い。
海道新は、しばらく天井を見てから起き上がった。
起き上がる理由があるわけじゃない。
今日も、何もない。誰もいない。連絡先もない。仕事もない。家族もいない。
ただ、金だけはある。
両親が残した遺産。
机の上の封筒は、いつも同じ位置にある。開けた覚えのない書類の束。見慣れた文字列。本人確認。契約。保証。生活。——全部、「自分がここにいる」ことの説明みたいで、読む気がしなかった。
新は洗面所に行き、顔を洗い、鏡の中の自分を見た。
年齢は20歳。……見た目は25か26くらい。
誰にも会わない生活を続けたからか
ボサボサの髪に目の下のクマも酷いものだと思う
それでも、歯を磨き終える頃には、胸の奥が少しだけ軽くなっていた。
軽い、というより、空になる。
空っぽになったところへ、いつもの習慣が滑り込む。
ゲームをやる。
完全没入型。フルダイブ。
エンディングに行かないとログアウトできない、クソ仕様のやつ。
ただし二十四時間で強制ログアウトされる。現実では救済のつもりなんだろうけど、ゲーム内の時間は壊れている。現実の一時間が、向こうでは一か月。
体感とはいえ二年の月日が過ぎれば色々と影響があるのは間違いない。
だから、世間ではクソゲーと言われた。
新は、それを何度もクリアしている。
最近ではたった一時間で。
最短。最短。最短。
無駄を削る。会話を飛ばす。寄り道を捨てる。感情を切る。手順だけ残す。
そうして全てのエンディングを、確認し終えた。
もうやることはない。
……ないはずだった
【隠しエンディングに挑戦なさいますか?】
このシステム通知に新の胸は高なった
今すぐ挑戦したいのを堪えて
一旦現実世界に戻ってきたのだ
気持ちを落ち着かせてパソコンで情報を調べるが
ヒットしない
(マジで、俺が初めて隠しエンディング見つけたのか!?)
興奮を抑えて深呼吸する
新は部屋には不釣り合いのカプセルの中に入り、視線を落とした。手元のデバイスは、触れれば起動する。
指を伸ばす。
ためらいはなかった。ためらう理由がなかった。
ヘッドギアを装着すると、いつも通りの短い暗闇が来る。光点が走って、音が薄くなって、世界が裏返る。
——ログイン。
空気が変わる。
白い天井だった。
やけに高くて、無機質で、傷ひとつない。
目を開けた瞬間、ここが現実じゃないことだけは分かる。
——覚醒者施設。
このゲームの始まりの場所だ。
近未来。
化け物が溢れた世界で、人類が最後に縋った拠点。
覚醒者を登録し、能力を管理し、戦場へ送り出すための施設。
何度も来た。
何度も見た。
だから新は、ログインと同時に歩き出した。
「覚醒者の皆様へ。まずは——」
背後から聞こえる、聞き慣れた声。
チュートリアル担当のNPCだ。
能力の概要、スキルの仕組み、ジョブの違い。
一言一句、すでに頭に入っている。
新は振り返らない。
出口は正面。
自動ドアの先に、受付ホール。
そこを抜ければ街に出られる。
最短ルート。
——のはずだった。
新は、途中で足を止めた。
理由ははっきりしない。
ただ、視界の端に「違和感」が引っかかった。
施設内の待合スペース。
ベンチの並ぶ一角で、誰かが立ち尽くしている。
……あんなNPC、いたか?
新はゆっくりと視線を向けた。
若い女。
服装は施設用の簡易スーツ。
装備もない。武器もない。
覚醒者ですらない。
それだけなら、珍しくない。
問題は——動きだった。
彼女は、キョロキョロしている。
周囲を見回し、
案内表示を見て、
また人の流れを見る。
落ち着きがない。
待機モーションにしては、無駄が多すぎる。
それに。
——あいつ、突然いなかったか?
ほんの数秒前まで、
そこは空いていたはずだ。
ポップイン。
読み込み遅延。
そう考えかけて、新は否定する。
この施設で、
そんな雑な配置は見たことがない。
新は進路を変え、彼女に近づいた。
距離が縮まるにつれ、
違和感は確信に変わっていく。
動きが、リアルだ。
呼吸のリズム。
視線の揺れ。
指先が、意味もなく服の端を掴む癖。
作り物の「困っている演技」じゃない。
——絶対、重要キャラだ。
新は声をかけた。
「……迷ってる?」
彼女はびくっと肩を跳ねさせ、振り返った。
「え、あ、うん」
一拍遅れて、言葉が出る。
「その……ここ、どこから始めればいいのか分からなくて」
声も、妙に自然だった。
新の視界に、
会話選択肢は出ていない。
それだけで、確定だった。
新は内心でため息をつく。
(おいおい……)
「まだ、覚醒してない?」
「うん。何も」
彼女は少し恥ずかしそうに笑った。
「スキルも、ジョブも、よく分からなくて」
新は一瞬、天井を仰ぎたくなった。
(まさか)
(隠しエンディング、子育てゲーじゃないだろうな)
だが、判断は早かった。
このリアルさ。
この配置。
このタイミング。
間違いない。
新は説明を始めた。
「覚醒は、この施設でできる。受付があるだろ。
初回は無料だ。二回目以降は、条件がいる」
彼女は真剣に聞いている。
相槌も自然だ。
「ジョブは最初に選べるけど、
後から変更もできる。
スキルは覚醒の方向性で変わる」
「へえ……」
彼女は小さく息を吐いた。
「ありがとう。助かった」
名前も名乗っていないのに、
ずいぶんフレンドリーなNPCだ。
新は一歩引いた。
ここで別れるのが、最短だ。
覚醒させて、
あとは勝手に進ませる。
今までなら、そうしていた。
でも。
新は彼女を見た。
このNPCは、
このタイミングでしか現れない。
隠しエンディング専用。
条件を満たさなければ、二度と出ないタイプ。
新は決断した。
「……一緒に行くか」
「え?」
「受付まで。覚醒申請も、最初は迷うから」
彼女は少し驚いたあと、
ぱっと表情を明るくした。
「いいの?」
「ああ」
理由は言わなかった。
新は歩き出す。
彼女は、少し遅れて隣に並んだ。
覚醒者施設の自動ドアが、静かに開く。
この選択が、
最短じゃないことだけは分かっていた。
それでも。
新は、足を止めなかった。




