トゥーリの郵便屋
今日は、チェックアウトのお客が一人しかいなかった。
ここは『風灯亭』。風見の町に一軒しかない宿屋だ。
いつもの慌ただしい風灯亭の朝とは違う、のんびりとした朝だ。玄関を開けて大きく伸びをしながら外へ出る。
私は、玄関掃除をして宿に戻るとロビーにある鳩時計を見た。まだ時間がありそうだったので、コーヒーを淹れることにした。
静かなロビーで、久しぶりに、お気に入りのミステリー小説を読みながらコーヒーの香りを楽しむ。
キリのいいところまで読み終わり、ふと時間を確認する――鳩時計はさっきから動いていなかった。そういえば、今日は鳩が鳴いていなかった気がする。
「うそ?……今、何時?」
ガタッと音を立てて、椅子から立ち上がる。
今日は午前中のうちに買い物へ行く予定だった。郵便局にも行かなければ……確か、ハガキを切らしていたはずだ。
そうだ、時計屋のクルミの家は郵便局の近くだ。ついでに時計も持っていこう。
椅子の上に乗り、慎重に鳩時計を柱から降ろす。私がこの宿屋を始めた時から使っていた鳩時計だ。とても愛着のある時計だった。
鳩が飛び出てこないようにそっと抱えて、玄関を開けた。
カランカラン――と、ドアベルが心地よい音色を奏でた。
空を見上げると、まだ太陽は高い位置にはないようだ。そこまで時間は過ぎていないようだったが、念のため誰かに時間を確かめておこう。
私は、少しだけ速足でクルミの時計屋と郵便局を目指した。
◆
クルミが帰ったあとも、郵便局はお客さんがひっきりなしで、ルカはなかなか配達作業ができないでいました。
今日は、ルカが勧めていた秋色の便箋や、季節の記念切手が人気のようです。
新しいアイテムを手にした客たちは、誰に何を書こうか思い浮かべながら楽しそうに帰っていきます。
ルカは、接客をしながら何度も時計を見上げました。お昼までもう時間がありません。
「あれま、今日は混んでるねえ」
郵便局の中を見渡しながら、中へ入ってきたのはアナグマのトゥーリでした。トゥーリは、風灯亭という宿屋のおかみさんです。
「トゥーリさん、いらっしゃい。すみません、少しお待ちください」
ルカは、お釣りを用意しながらトゥーリの方へ顔を向け、ビックリしたような顔をしました。
トゥーリが抱えていたのは、古びた鳩時計でした。
「トゥーリさん、それ……」
「ああ、これかい?この後クルミさんのとこへ行って、見てもらうんだ。混んでいるのに大荷物で悪いねえ。先にクルミさんの所へ行こうか?」
「トゥーリさん!待って!お願いがあるんです。クルミさんに届けて欲しいものがあるんだ」
ルカは慌ててトゥーリを呼び止め、次のお客に『少しお待ち頂けますか?』と丁寧に告げました。
ルカは、カウンターの引き出しから封筒と便せんを取り出しました。便せんに『切手の忘れ物です。手紙のことよろしく頼みます』と走り書きをすると、クルミが忘れていった切手を一緒に――ルカは手を止めました。
何か思いついたようでした。
今度は、もう一式封筒と便せんを取り出しました。新しい便せんに走り書きでメッセージを書くと、『ミナさんへ』と宛名を書いた封筒を用意します。そこに便せんと、ウサギの青年のヒマワリ色の手紙を入れました。
それから、最初に用意したクルミ宛ての封筒にミナ宛ての封筒と切手、クルミ宛ての便せんを入れました。
色々入れたので、封筒はパンパンに膨れてしまいました。
「これ、クルミさんに届けてくださいませんか。渡せば分かるから。あ、あとクルミさんお昼に出掛けるって行ってたから、急いだ方がいいかも!」
とても慌てた様子のルカを見て、トゥーリは目をぱちくりとさせていました。
「はははっ、こりゃ驚いた!郵便屋さんから郵便を頼まれるなんて!面白い!引き受けたよ。それに急いだ方がよさそうだね」
と、トゥーリは快く引き受けてくれました。
「気をつけて」
ルカは急ぎ早に出ていくトゥーリの背中に声をかけ、『すみません、お待たせしました』と、また接客へと戻りました。
◆
今日は不思議な日だ。まさか私が、郵便屋の仕事をするなんてね。
初めての出来事が嬉しくて、顔が自然とほころび、大きな時計を抱えているのに足取りも軽やかだ。
しかし、ルカの様子から、クルミが出かけてしまう前にこの手紙を渡す必要がある。
渡せなかったら、ルカはガッカリするだろう。急がなければ。
私は、緩やかな坂道を抜けて、町の入り口近くにあるクルミの家へ向かった。
◆
トントントン――。
「クルミさん、いるかい?郵便だよ」
時計屋のドアを開けて、配達員の真似をして挨拶をしてみる。
作業をしていたクルミは、私の声を聞いて顔を上げた。私が両手に持っている荷物を交互に見ながら、ビックリしたように目を丸く見開いていた。
「いやいや、驚いた。時計を抱えた郵便屋さんは初めてだ」
クルミは、今度は目を細くしてホッホッホッと笑った。
「はははっ、そうだろうね。こっちの時計はうちの鳩時計さ。朝から動いてなくて、修早めに修理をお願いできるかい?これがないと困るんだ」
「ふむ……少し手直しすれば大丈夫じゃろ。承知した。夕方には出来ると思うが、宿屋は忙しい時間だな。明日の朝いちでもよいかな?」
「わかった。明日取りに来るよ。それと、これはルカからの郵便さ。今日は郵便局が混んでて、配達できなかったらしい」
「なるほど、郵便屋から郵便を頼まれたのか。おもしろい」
「だろう?なかなかない経験さ」
私はニカッと笑いながら、ルカから預かった分厚い封筒をクルミに渡した。
一番外側の封筒には、『クルミさんへ』と書かれていた。
クルミは、封筒を開けて中身を確認し始めた。
最初に、ルカが慌てて書いていた手紙を読んだ。それから、封筒から切手を取り出した。
「ホッホッホッ、そうじゃった、そうじゃった。切手のこと、すっかり忘れておったわい」
クルミは、手紙と切手を机の上に置くと、今度は封筒の中からまた封筒を取り出した。
次の封筒には『ミナさんへ』と書かれていた。
「なぁ、ルカは何を慌てていたんだい?」
「そうじゃな……すまんが、それを話すにはちと時間が足りないようじゃ。これから約束もあってな」
クルミは、ミナ宛ての手紙を私に見せながら立ち上がりました。
「よければ、明日時計を引き取りに来た時にでもどうかね?」
ものすごく気になる――。早く聞きたい気持ちでいっぱいだが、クルミも急いでいるようだ。
私も宿屋に戻ったら、今日のお客を迎え入れる準備をしなければならない。今日はおとなしく帰って、明日ゆっくり聞くことにした。
「わかった。明日必ず聞かせとくれよ」
「ああ。約束じゃ」
「クルミさん、じゃぁまた明日」
そういえば、ここまで時間を確認していなかったことに気づいた。なんだか時間どころではないほど慌ただしかった。
店を出る前に、壁にたくさん並んでいる時計に目をやって目を丸くした。
「もうとっくにお昼過ぎているじゃないか!」




