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短編

婚約者を一瞬で解放して差し上げた公爵令嬢ですが、なぜかその翌日から溺愛されているんですが?

作者: 河合ゆうじ
掲載日:2025/11/14

 ──物事には順序というものがある。

 けれど、私は今日、その順序を思いきりすっ飛ばしてやるつもりだった。

「アシュリー嬢、よくぞ参ってくれた」

 学園卒業パーティーの中央、シャンデリアの光を浴びながら、第一王子アルベルト殿下が微笑む。

 会場の視線が一斉にこちらに集まった。

(よし、ここね。乙女ゲームなら、このあと殿下が『婚約破棄する』って言うところ。でも、そんなの言わせないから)

 私はドレスの裾をつまみ、完璧な淑女の笑みを浮かべて一歩前に出た。

「殿下。本日は皆さまの前で、お話したいことがございますの」

「……話?」

 少しだけ怪訝そうに眉をひそめる殿下。

 周りの令嬢たちは「来た!」と言わんばかりに息を呑んでいる。

(殿下、最近ずっと聖女ミリア様と一緒にいたしね。そりゃみんな、婚約破棄だと思うわよね。うんうん、大正解)

 私は胸の内で頷きつつ、口元にだけ上品な笑みを貼りつける。

「殿下。これまでのご厚情、心より感謝しておりますわ。

 ですが──」

 深呼吸一つ。

 これが私の、人生最大の賭け。

「本日をもちまして、殿下との婚約を解消させていただきとう存じます」

 会場が、ざわりと揺れた。

「えっ」「今、なんて」「逆……?」

 ささやきが飛び交う中、殿下の蒼い瞳だけがぽかんと見開かれている。

「……アシュリー。今のは、どういう──」

「殿下には世界を救った聖女様という、より相応しいお相手がおられますもの。私などがいつまでもお隣を歩くわけには参りませんわ。

 どうか、ミリア様とお幸せに」

 限界まで磨き上げた公爵令嬢スマイルで、私は一礼した。

(よし、ちゃんと言えた。これでフラグは全部折れたはず。殿下は聖女様と結婚、私は地味に生きていく。皆ハッピー。……たぶん)

「待ちなさい、アシュリー」

 くるりと背を向けた瞬間、手首を掴まれた。

「っ……殿下?」

「今のは聞き違いか? 婚約を、解消したいと……本気で言っているのか?」

(うわ、近い。顔がいい。前から知ってたけど、近距離で見ると破壊力が違う……じゃなくて)

 私は慌てて視線をそらし、用意してきた台詞をなめらかに口に乗せた。

「もちろんでございますわ。殿下の将来を思えば当然の結論ですもの。

 ……どうか、お許しくださいませ」

 殿下の指が、震えた。

「許さない」

「え?」

「許すと思うか? 誰がそんなことを許すものか!」

 会場がさらにざわつく。

 私は内心で「予定と違う」と頭を抱えつつも、なんとか微笑を崩さないように踏ん張った。

(えっ、ここで『そうか、理解した』って爽やかに頷く流れじゃないの? 妃教育で習ってない展開なんだけど)

「詳しいお話は、また後日改めて。今宵はお祝いの席ですもの。皆さま、どうかお楽しみくださいませ」

 私はそっと殿下の手をほどき、サラリとその場を離れた。

 ──逃げた、ともいう。



 その翌日。

 私は自室で優雅にお茶を楽しむ予定だったのだが。

「アシュリー! 話がある!」

 予告もなく、部屋の扉が勢いよく開いた。

「っきゃあ!? ……殿下!? ここは淑女の部屋ですわ、ノックくらいは──」

「した。十回はした。返事がないから入った」

(聞こえませんでしたけど!? っていうか殿下、顔が怖い。イケメンが怒ると迫力がすごい)

 私はそっとティーカップを置き、姿勢を正した。

「……あらためまして、本日はどのようなご用件で?」

「昨日の件だ」

 殿下は私の正面の椅子に、どかっと腰を下ろす。

「婚約解消の件、取り消してもらう」

「お断りいたしますわ」

「即答!?」

(そりゃ即答しますとも。ここで迷ったらバッドエンド一直線だもの)

 私は咳払いをし、用意していた説明その二を取り出す。

「殿下。私どもの婚約は、王国と公爵家の安定のために結ばれた政略でございます。

 しかし今、殿下には聖女ミリア様がいらっしゃいます。国民は皆、そのお二人のご関係を祝福しておりますわ。

 そんな中で私が殿下の婚約者であり続けるのは、民心を乱す火種になりかねません」

「民心? 火種? 誰がそんなことを──」

「陛下と宰相閣下から、何度も聞かされましたわ」

 殿下が固まった。

「……父上と、叔父上が?」

(あ、知らなかったパターンだこれ)

 私は苦笑を飲み込んだ。

「ですから、私は身を引くのが最善だと判断いたしましたの。殿下も、本当は私よりミリア様のほうが──」

「そんなわけがないだろう!」

 机が、びくりと震えた。

 殿下が立ち上がり、身を乗り出してくる。

「俺が好きなのは、お前だ」

 心臓が、うるさい。

「……殿下。そういう冗談は、趣味がよろしくなくてよ」

「冗談なものか。いつ、どこで、お前以外に恋心を抱いたと?」

「え、ええと……最近はいつもミリア様とご一緒でしたし……」

「聖女は、世界を救った英雄だ。礼を尽くすのは当然だろう。それに──」

 殿下はほんの少しだけ、視線をそらした。

「お前が、彼女のことを気にしているのを知っていたからだ」

「わ、私が?」

「『聖女様って本当にお綺麗。なんだか庇護欲をくすぐられる小動物系ですわ』とか、

『殿下、きっとああいうタイプお好きなんでしょうね。でしたら私はさっさと身を引いて──』とか、

 鏡の前で一人でぶつぶつ言っていただろう。廊下で聞いた」

「っっっ!!?」

(やだああああああ過去の私のバカーーー!!)

 耳まで熱くなるのが分かる。

「お前がそんなことを言うから、少し距離を置いた方がいいのかと……。

 聖女との噂が立てば、お前も『そういう方向に進んでいる』と納得しやすいかと……」

「なにそれ優しさの方向を間違えた結果のすれ違いってやつですの!?」

「じゃあ、どうすればよかったんだ!」

「普通に『アシュリーが好きだ』って言えばよかったんですのよ!」

「っ、簡単に言うな……!」

 殿下は耳を赤くしながら、ぎゅっと拳を握る。

「俺だって、その……お前のこととなると色々と余裕がなくなるんだ。下手なことを言って嫌われたくなくて……」

「もう十分こじれておりますけれど」

 思わず冷静にツッコミを入れてしまった。

 殿下がしょんぼりと肩を落とす。

「……嫌いか?」

 沈黙。

(ずるい。そんな顔、反則ですわ)

 私はそっと視線を落とし、膝の上で指を組んだ。

「……嫌い、ではありませんわ」

「では──」

「ですが、殿下」

 私は顔を上げた。今度は逃げない。

「好きな人の幸せを願って身を引く。そう決めて、昨日あの場で宣言いたしましたの。

 それを一日で撤回するなんて、私自身が許せません」

「お前の幸せは、どこへ行った」

 静かな声だった。

「お前の幸せを置き去りにした『覚悟』なんて、俺は認めない。

 ……アシュリー。俺の幸せには、お前が必要なんだ」

 ゆっくりと、殿下が私の前にひざまずく。

「公の場で言う勇気がなかった臆病者の代償として、今ここで言う。

 俺と、結婚してくれ。王妃としてではなく、一人の男の妻として」

「っ……!」

(待って、そんな真剣な顔で言われたら、また計画が崩れるんですけれど!?)

 胸が苦しい。嬉しくて、苦しい。

「……ですが、陛下と宰相閣下が──」

「父上と叔父上には、俺から話す。王太子の座など、要らぬと言えばいい」

「なっ、殿下、それは──!」

「俺が欲しいのは王冠ではなく、お前の隣の席だ」

 さらりと言われて、言葉を失った。

(なにそれ、プロポーズの教本に載せたい台詞ランキング第一位なんですけど)

「アシュリー。お前はいつも、自分を雑に扱いすぎる。

 少しくらい、自分のわがままを通してもいいんだぞ」

「……わがまま、ですの?」

「ああ。『王子様に求婚されましたが、世界より自分の恋を取りました』くらい言っても、誰も責めはしない」

「責めますわよ! 歴史書に悪口書かれますわ!」

「じゃあ、その悪口の欄には俺の名前も並べてもらおう。『恋に狂った元王太子アルベルト』とな」

「やめてくださいませそんな二つ名!」

 思わず笑いがこぼれた。

 ああ、もう。

 どうして、この人はいつもこうやって、私の心の防壁を軽々と飛び越えてくるのだろう。

「……殿下」

「アルと呼んでくれ」

「まだ夫にもなっておりませんのに」

「なる。今すぐにでも婚姻届を書いてくる」

「早すぎますわ!」

 笑い合いながらも、胸の奥の迷いはまだ完全には消えていない。

(本当にいいの……? 私が彼を選べば、聖女様は? 王国は?)

 そんな私の逡巡を見透かしたように、殿下──アルが柔らかな声で告げた。

「聖女には、聖女の幸せがある。彼女自身が選ぶ道だ。

 俺たちは、俺たちの幸せを選べばいい」

「……自分の幸せ、ですのね」

「ああ。だからもう一度だけ、順番をやり直させてくれ」

 アルはそっと私の手を取る。

「昨日は、一方的に『解消しない』と言ってしまった。

 今日は、きちんとお前の意思を聞きたい」

 蒼い瞳が、まっすぐに私を映す。

「アシュリー。俺の妻になってくれないか」

 ──物事には順序というものがある。

 昨日、私はそれをすっ飛ばして、自分の中だけで完結させようとした。

 けれど今、目の前の人はわざわざ膝をついて、ちゃんと順序を整えようとしてくれている。

(そんなの、反則ですわよ)

 私は、そっと微笑んだ。

「……一つだけ、条件がございますわ」

「なんでも言え」

「たまには、私のほうが殿下を守って差し上げます。

 そのときに、『俺の方が強い』なんて野暮なこと、絶対に言わないでくださいませ」

 アルが目を瞬いたあと、ふっと笑う。

「約束しよう。俺の騎士様」

「き、騎士様って……!」

「お前にとって俺が王子様であるように、俺にとってお前は騎士様なんだ」

 心臓がまた忙しくなる。

「……もう。そういう甘いことをおっしゃるから、嫌いになれませんのよ」

「それは朗報だな。で、答えは?」

 差し出された手のぬくもりが、やけに現実的で。

 私は、その手をしっかりと握り返した。

「……よろしくお願いいたしますわ。アル様」

 会話率が高いだの、噂になるだの、そんなことはきっとこれからも言われ続けるのだろう。

 それでも。

 世界より、誰かの幸せより。

 まずは自分と、目の前の人の幸せを選び取ったこの瞬間だけは。

 誰がなんと言おうと、私の人生でいちばん誇らしい選択だった。



 数日後。

「ねえ聞いた? 卒業パーティーで公爵令嬢が婚約破棄を宣言して、翌日に元王太子殿下がひざまずいて再プロポーズしたって話!」

「しかも殿下、自分から王太子の座を返上しようとしたらしいわよ。恋は人を変えるのねえ……」

「いいわねえ、ああいう情熱的なの、一度でいいから味わってみたいわ」

 廊下の陰からそんな声が聞こえてきて、私は思わずこめかみを押さえた。

(……会話率まで噂になっておりますわ。なんですの、『愛のセリフで一晩中議事録が埋まった』って)

「アシュリー。顔が真っ赤だぞ?」

「アル様のせいですわ。あのときの言葉、もう少し控えめになさる選択肢もあったでしょうに」

「控えめにしていたら、今のお前はここにいないだろう?」

「……それは、否定できませんけれど」

 隣で笑う人の横顔を見上げながら、私は小さく息を吐いた。

(まあいいですわ。どうせなら、世界一騒がしくて幸せな噂話の中心でいてあげます)

 そう心の中で肩をすくめて、私はそっとアルの腕に自分の腕を絡めた。

「行きましょう、アル様。これから先、長い長い人生が待っておりますもの」

「ああ。俺たちの物語は、まだ序章だ」

 ──婚約者を一瞬で解放したはずの公爵令嬢のその後は。

 こうして、誰かの噂話の中で、いつまでも甘く語られ続けるらしい。

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― 新着の感想 ―
王と宰相が聖女派の路線で話を進めたら当人同士の恋愛感情とかいう国になんの関係もない瑣末な事なんて平然と無視されて聖女と婚約させられそう 聖女側が強く拒否ればまた別だろうが、その辺どうなってるんだろうか…
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