卒業パーティーで婚約破棄されるのは悪役令嬢じゃないのか?
「私、ブロンデル王国の第二王女ジョアンヌは、フィーメル辺境伯令息アンソニー様との婚約を破棄します」
王立学園の卒業パーティーでジョアンヌは声高らかに宣言した。
パーティーを楽しんでいた生徒たちはもちろん、来賓として招かれて学園関係者の挨拶を受けていた国王と王妃もポカンと口を開けて目を丸くした。
そしてそれ以上に『はぁ?』と間抜け面を晒してしまったのが、たった今、婚約破棄宣言を受けた本人の俺だった。
俺ことアンソニー・フィーメルは辺境伯家の嫡男。銀色の髪にアイスブルーの瞳、自分で言うのもなんだが、眉目秀麗で令嬢たちが息を呑む美丈夫だ。文武両道で非の打ち所がない俺が婚約破棄されたことに周囲は騒然となった。
「私は真実の愛を知ってしまったのです。冷たいあなたと違ってステファンは心温かい紳士だわ、私を幸せにしてくれるのは彼だけよ。だから、あなたとの婚約は破棄して、ハミルトン侯爵令息ステファン様と婚約し直します」
ジョアンヌは芝居がかった言葉を俺に放ち、傍にいたステファンの腕にしがみ付いてしな垂れかかった。ステファンは勝ち誇った満面の笑みを浮かべていた。
確かに俺はその容姿から冷たい印象を受けるらしい、無口でクールな硬派と思われているようだが、実は口下手の人見知りなのだ。
それにしても、こんなシーンには覚えがある。しかし婚約破棄を言い渡されるのは〝悪役令嬢〟じゃないのか?
そう思ったのは、俺には前世の記憶があるからだ。
前世の俺はこの世界より文明が発達した日本と言う島国で暮らしていた。TVアニメやゲームに熱中した普通の、基、少々オタク気味の高校生だった。なぜ死んだのかは覚えていないが、前世を思い出したのは十歳の時だった。突然頭に知らない記憶が怒涛の如く流れ込んだ。
その時、俺はガッカリした。なぜなら、異世界転生と言えば、魔法が使えるファンタジーの世界を想像していたからだ。しかしこの世界に魔法はない、魔獣も発生しないし、聖女や聖騎士もいない。そして俺は勇者ではなく普通の男だった。
なぜだ! なぜ冒険のない異世界に転生したんだ! と、ぼやいてもしょうがいない。そんな矢先、第二王女ジョアンヌとの縁談が持ち上がった。
王家としては、力を持つフィーメル辺境伯家と縁を結んで円満な関係を保ちたいと言う政略だった。豊かで広大な穀倉地帯は王都民の胃袋には欠かせないし、鉱山から採れる鉱物は武器を作るのに欠かせない、他国との貿易で儲けているし、常に隣国とのトラブルがある国境沿いであるため、強力な軍隊も備えている。王家との関係が悪くなれば、独立を掲げることも出来るくらい、フィーメル辺境伯家には財力と武力があった。
顔合わせでジョアンヌを見た時、俺の胸は跳ね上がった。それまで見たこともない美少女だった。黄金を溶かしたようなブロンドの巻き毛、サファイアのように煌めく瞳は俺の心を鷲掴みにした。
そうか! 俺はこのお姫様を護るヒーローなんだ! と胸躍らせた。
十三歳で婚約は調い、二年後、俺は美少女王女様の婚約者だ!と胸を張って王立学園に入学した。しかし、そこで現実を目の当たりにする。
ジョアンヌは天まで届くプライドを持つ我儘娘だった。末娘故甘やかされて育った彼女は、すべてが自分の思い通りに運ぶと信じている、尽くされて当然だと思っていた。
辺境伯領育ちの武骨モノである俺は、女性を喜ばせる浮いたセリフなど言えない。硬派でカッコイイと言われることも多いが、ジョアンヌの好みではなかった。彼女はちやほや甘やかしてくれる優しい男を望んだ。
ジョアンヌが俺を疎ましく思っているのはハッキリ態度に出ていた。嫌われるようなことはしないが、好かれる努力もしなかった。それがいけなかったのだろう、甘い言葉をささやく優男ステファンにジョアンヌは傾倒していった。
しかし国王が決めた政略結婚を簡単に解消できるとは思えず、あきらめて彼女がなにをしようが見ぬふりをした。その我慢も今、水泡に帰した。
それにしても、婚約解消には正式な手順があるはずだ、こんな場所で俺が悪いみたいに破棄を言い渡されるなんて侮辱でしかない。辺境伯家嫡男として矜持を踏みにじられた俺は、『上等だ! 受けて立とう!』 と、口を開きかけたが、先に動いたのは国王陛下の方だった。近衛騎士に合図して、アッという間にジョアンヌとステファンを拘束した。
「なにするのよ! 放しなさい! 私を誰だと思っているの!」
ジョアンヌは淑女とは思えない大声を張り上げて抵抗したが、王女の命令より国王の命令が重いのは当たり前。
彼女たちは会場から引きずり出された。
その後、俺たちも会場から連れ出されて、貴賓室に案内された。
そこには国王と王妃、騒ぎを起こしたジョアンヌと新しい婚約者として名指しされたステファン、その婚約者であるディッグス子爵令嬢のリーシャがいた。そして学園長と理事も青い顔をして控えていた。
リーシャも今日卒業を迎えた生徒だ。黒い瞳でストレートの黒髪、前髪は眉のあたりでパツンと切り揃えられている、物静かで控えめな影の薄い少女ではあったが、色白で整った綺麗な顔をしている。
ステファンの婚約者だった彼女も被害者である。きっとステファンの浮気には気付いていただろうが、相手は第二王女、リーシャが何か言えるはずもない。
ソファーにドッカリ座った陛下は呆れ返った様子。
「どういうつもりだ?」
「宣言した通りですわ、ステファンと愛し合っているのです。私、ハミルトン侯爵家に降嫁します」
ジョアンヌに悪びれた様子は欠片もない。
陛下は大きな溜息をついた。
「アンソニーとの婚約は王家とフィーメル辺境伯家の契約、解消できないと何度も言ったであろう」
「そうです、何度もお願いしましたのに、聞き入れてくださらないからこうするしかなかったのです。公の場で発表すれば父様も私の本気をわかってくださるでしょ」
得意げに言うジョアンヌを見て王妃も頭を抱えた。甘やかした自分たちが悪いんだろ。
そんな理由で派手な演出をしなければならなかったのか。それにしても恥をかかされた俺たちの気持ちなど微塵も気にしていないし、その後、どうなるのかもわかっていないのだろうな。
「今回の騒ぎが耳に入れば父はすぐに破棄するでしょうね、もちろん、浮気した王女殿下の有責で」
俺はアイスブルーの瞳をさらに冷たく凍てつかせながら口を挟んだ。
「浮気ですって! そんな言い方しないでちょうだい、真実の愛なのよ」
「あなたは自分の事しか考えていないのですね、俺も恥をかかされたが、ステファンにも婚約者がいたのですよ、彼女の立場はどうでもいいのですか?」
「私は王女よ、私の幸せが一番じゃなくて?」
俺は呆れ果てた目を国王と王妃に流した。いくら姫様でもどんな育て方をしたらこんなに自己中な人間になるのだろう。
「地味でなんの魅力もない子を押し付けられたステファンだって可哀そうなのよ、あなたは知らないでしょうけど、ハミルトン侯爵家の弱みに付け込んで婚約者の座に居座っている図太い女なのですから」
「侯爵家の弱み?」
「彼女の母親はハミルトン侯爵家の馬車にはねられて亡くなったの、ただの事故なのに言いがかりをつけて、彼女の父親ディッグス子爵は侯爵家と繋がりを持とうとしたのよ。運悪くその時はハミルトン領が干ばつに見舞われた年だったそうよ、領民は収穫がなく苦しんでいたけど十分な蓄えがなかったハミルトン家は救済できなかった。そこにディッグス子爵は付け込んだのよ、支援を餌に、母を亡くした可哀そうな娘を慰めてほしいと婚約者に捻じ込んできた」
懇切丁寧な解説ありがとう。でも、そこまで聞いていないし。それにかなり偏った主観が入っているよね。
「やめなさい! 他家の事情をペラペラと話すものではありません」
さすがに王妃は諫めたが、甘やかされた王女は止まらない。
「愛人を後妻に迎えるために先妻の連れ子である邪魔者を押し付けられたのよ。王立学園の卒業まで面倒見てもらえたのだから十分じゃないの? このまま侯爵夫人におさまるなんて図々しすぎるのではなくて?」
いやいや、リーシャの身の上がどうあれ、他人の婚約者を横取りしたお前の方がよっぽど図々しいぞ!
「あの……その件でしたら、昨日のうちに侯爵家から婚約解消を承り、慰謝料も頂いています」
リーシャは遠慮がちに発言した。
「ステファン様の浮気は侯爵夫妻の耳にも届いていましたから、ステファン様の有責ということで」
リーシャは淡々と言った。気丈な子だ、このメンバーを前にしても顔色一つ変えないなんて。
「そう、じゃあ後はあなただけよ」
ジョアンヌの弾むような声を聞いて俺は胸糞が悪くなった。
「もちろん婚約は破棄しますよ、あなたの有責で慰謝料は請求させていただきます」
「いいわよ、お父様が出してくださるし」
満足そうな笑顔を浮かべるジョアンヌを見て、一時でもこんな女をヒロインだと思った自分を詰った。
「この話は明日には王都中に広まっているでしょう、そして商人は小麦を買いに走るでしょうね」
嫌味の一つくらい言わせてもらおう。
きっと父は激怒する、虚仮にされた辺境伯家は報復を考えるだろう、可能性が高いのは我が領地で収穫された穀物の王都への出荷停止。小麦の需要はどこにでもあるから、他国への輸出を増やせばフィーメル家の損失は出ないし。底力がある我が辺境伯家は王家相手でも強気に出られるのだ。
「小麦? なに関係ないことおっしゃってるの? 私にフラれたショックで頭が変になりましたの?」
そんな事情などわかりもしないジョアンヌは小首を傾げだ。父王が青くなっていることなど気付きもしない。
「かえって良かったかもしれません、その意味もわからない人にフィーメル辺境伯夫人は務まりませんから」
これ以上話しても無駄だ。俺の堪忍袋の緒はとっくに切れている。
「俺はこれで失礼させていただきます、後はそちらでご相談ください」
リーシャ嬢を残して立ち去るのは心苦しいが、とっととこの場から立ち去りたかった。そして懐かしいフィーメル辺境伯領に帰って、ムカつく気持ちを鎮めたかった。
* * *
タウンハウスに戻った俺はすぐに父への手紙をしたためた。朝一に伝書鳩を飛ばしてこの出来事を報告しなければならない。
あの後、どんな話がされたか知らないが婚約破棄は決定事項だ。もちろん慰謝料はたんまり頂くつもりだ、きっと父も同じことを考えるはずだ。
こちらに非はない。お茶会や舞踏会では必ずドレスと宝石を贈ってエスコートしていたし、不得手なダンスにも付き合った。しかし彼女はすぐに俺の元から離れ、他の令息たちに囲まれて楽しそうにしていた。俺はしかたなく騎士科の仲間との交流に徹した。
そんな時、いつも目の端に引っかかるのがリーシャだった。彼女も婚約者ステファンと来ていたが、会場に入るなり放置されてずっと壁の花、と言うか存在自体を消していた。隠形の術でも習得しているのかと思うほど見事な隠れっぷりだった。でも、烏の濡れ羽色のストレートヘヤーは、前世が日本人だった俺の目を引く。どの会場でもいつの間にか彼女を目で捜していた。時には視線が合って、慌てて逸らすこともあった。
あれからリーシャはどうしただろう?
きっと婚約破棄された傷物令嬢のレッテルを貼られることになるだろう。男より女性の方が大きなダメージを受ける。心配だったが、言葉を交わしたことがない彼女と連絡をとる方法はなかった。
* * *
婚約破棄の書類にサインした俺は、荷物をまとめて馬車に乗った。
馬車を走らせ数十分、ぼんやり外を見ていた俺の目に烏の濡れ羽色の髪が目に留まった。
間違いない、彼女だ!
慌てて馬車を止めさせた。
「なにをしてるんだ? こんなところに突っ立って」
大きなカバン一つ下げたリーシャが貴族の邸の門前に佇んでいた。
「えっと、実家に戻ろうとしたのですが……」
「ここがディッグス子爵家のタウンハウスだったのか?」
「そうなのです」
〝売り家〟の看板が立てられている。
「ハミルトン家にお世話になって三年、実家に戻ることもなかったので知らなかったのです」
「一度も戻らなかったのか?」
「義母に疎まれていましたから、それにハミルトン家では良くして頂いていて、不自由はなかったので戻る必要もありませんでしたから」
「でも、あっさり切り捨てられたんだろ」
「仕方ありませんわ、相手は第二王女殿下ですもの」
確かにそうだ、しがない子爵家の娘より王家と縁を結ぶ方が利はあるし。それにしても酷いな、ハミルトン侯爵はディッグス子爵家がタウンハウスを引き払ったことを知らないはずないだろ? 知っていて教えずに放り出したのか? 他人事ながら憤りを覚えた。
「これからどうするんだ?」
「なにがあったのかわかりませんから、ディッグス子爵領の本邸へ行ってみます、乗合馬車で三日というところですから」
「それなら送って行こう、若い令嬢が乗合馬車を使うのは危険だからな」
「そんなお気遣いしていただかなくても大丈夫です」
「方向は同じだ、少しの寄り道くらい大丈夫、急ぐ旅でもないし、それとも俺と一緒じゃ嫌かな」
「そんなことはありません」
リーシャは少し頬を赤らめた。
「ではお言葉に甘えさせていただきます」
俺はこの容姿からモテる男ではあったが、人見知りなので令嬢と親しく話をすることはなかった。
狭い馬車の中で、婚約者だったジョアンヌ以外の令嬢と二人きりになることなどなかった俺は、最初は緊張した。しかし、数分で沈黙の空間が心地よいと感じるようになっていた。
こんな静かな子が婚約者だったらよかったのに、としみじみ思った。
ジョアンヌはお喋りだった。ハイテンションで自慢話をする彼女のキンキン声を聞き流して相槌だけ打っていた。反応が薄い俺にジョアンヌが不満を持っていたことは気付いていたが、改善する気はなかった。
コレが俺なのだから取り繕う必要はない、結婚して長い時間を一緒に過ごすことになる予定だから、偽りの自分を見せてもしょうがないと思っていた。
蝶よ花よと育てられたジョアンヌが、自分に媚びて傅いてくれる男を望んでいるのはわかっていたが、俺には無理だ。そんなところで俺たちの溝は深まっていった。
「アンソニー様はそのまま辺境伯領で暮らされるのですか?」
退屈したのか、リーシャが口を開いた。
「ああ、そのつもりだ。王立学園に入学したのは、後継ぎとして視野と人脈を広げる必要があったからだ。いい友人にも出会えたし充実した三年間だったよ、最後にケチがついたけどな」
ジョアンヌとの無駄な時間がなければもっと良かったのに。
「心中お察しします、ショックだったでしょ」
「ショック? ああ、ある意味な。あんなやり方は常軌を逸している、婚約を解消したいのなら内々に済ませることも出来たのに……。君こそ傷ついたんじゃないのか?」
「いえ、ステファン様に疎まれていたのはわかっていましたから、ジョアンヌ殿下が仰っていたように、押し付けられた婚約だったので」
「だからって、浮気していい理由にはならない」
「浮気じゃなくて真実の愛なんでしょ」
リーシャは肩をすくめて微笑んだ。
「だな」
それから俺とリーシャはポツポツと話をするようになった。同い年なのだから敬語は必要いないと言うと、はじめはぎこちなかったが、徐々に打ち解けて、身の上話もしてくれた。
「ステファン様と会ったのは、王立学園に入学するために王都へ来た時だったわ。初めて私を見た彼は、あからさまにガッカリした顔をしてた」
「それは失礼だな」
「仕方ないわよ、自分が地味で冴えない容姿であることは自覚してるから」
そんなことない、君は綺麗だよ! と言いたかったが、ヘタレの俺は言葉に出来なかった。
「私たちは不慮の事故がきっかけで縁が結ばれただけ、それさえ、母が当たり屋をやったのではないかと陰口を叩かれてたわ」
「酷いな」
「私のことはなんと言われてもかまわないけど、母の悪口は堪えたわ」
ディッグス子爵家は実家と言っても血縁関係はないそうだ。彼女の母親は後妻でリーシャは連れ子だった。
母親は亡くなった前夫から受け継いだ財産を持参しての再婚だったので、最初は歓迎されていたようだ。しかし、金を渡してしまうとディッグス子爵の態度は徐々に変わっていき、外で愛人をつくったらしい。
そして三年前、親戚筋の結婚式に招待されたディッグス子爵夫妻は王都へと赴いた。その時、母親がハミルトン侯爵家の馬車に撥ねられて死亡した。
あとはジョアンヌ第二王女が言った通りの展開になったそうだ。
「今更ディッグス子爵家に戻ったところで歓迎されないのはわかってる。だから婚約が解消された報告をして、子爵家から籍を抜いてもらうつもりなの。平民になって働くわ、こんなこともあろうかと、在学中にいくつかの資格を取得しているし、仕事は見つけられると思うの」
強い女性だと感心した。辺境伯家の嫡男としてぬくぬくと育ち、将来の心配などない俺とは違い、自分が置かれている境遇を把握して先を読んでいた。選択肢に貴族令息との結婚という安易な道を入れてなかったのは、最初の夫には先立たれ、再婚相手には浮気された母親の姿を見ていたからなのだろうか。
* * *
デジャヴ……三日前に見た光景だ。
リーシャはまた邸の門前で立ち尽くすことになった。
ディッグス子爵領に到着し、本邸に行ったが、またももぬけの殻、タウンハウス同様売り家になっていた。
「いったい、どうなってるんだ?」
隣で俺も茫然とした。
「さあ……」
ちょうど通りかかった初老の男が、そんなリーシャを見て、
「おや、リーシャお嬢様ではありませんか?」
「あなたは確か庭師のサイラス、会えてよかったわ、お父様たちはどこへ転居されたのかしら?」
「えっ? まさか、ご存じないのですか?」
「ええ、王都へ行ってから三年、連絡を取っていなかったから」
「夜逃げされたから、行き先は知りません」
「夜逃げ?」
「夜逃げだって?」
リーシャも俺も驚きのあまり揃ってオウム返しした。
「二ヵ月ほど前です、儂らも困りましたよ、給金未払いのまま突然いなくなったんですから」
「はあ? どう言うことだ?」
愕然としているリーシャの代わりに俺が追及した。
「どう言うことと聞かれましても儂にはわかりません。お嬢様が王都へ行かれた翌年、冷害に見舞われて大変だったんですよ、その翌年も思うような収穫がなくて農民は困窮したのですが、子爵家は投資に失敗して借金が膨れ上がっていたようで、領民を救済できなかったんです。今は王家直轄になって管理官が派遣されています」
「たった三年で、そんなことに……」
三年前はハミルトン侯爵家に支援できるくらいの資産家だったのに?
「王家直轄と言うことは、領地を返納したのか」
「じゃあ、爵位も? と言うことは、私、いつの間にか平民になったってことかしら」
「こんな重大なこと、ハミルトン侯爵が知らなかったはずないだろ、なぜ君に隠していたんだ!」
「知ってらしたから、平民を嫁に迎えるわけにはいかなかったのね」
俺は怒りがこみ上げた。あまりに無責任すぎる。彼女は成人したばかりの十八歳、多少の慰謝料を持たせてもらっても、一人で生きていくのは困難だとわかっていたはずなのに!
「そうじゃなくて、実家が没落して帰る家などないと知っていながら君を放り出したことだ!」
「そうね、教えて頂いていれば、こんなところまで来なくても、王都で仕事を見つけて……、あっ、そう言うことなのね、王都に居られたら困るってこと、放り出した元婚約者が市井で働いているのを誰かに知られたら外聞が悪いものね」
「君は腹が立たないのか? ハミルトン侯爵家には三年前ディッグス子爵に助けてもらった恩があるはずだ、それを返さず切り捨てたんだぞ」
「怒ってもしょうがないわ、ただ、ちゃんと事情を話してもらえなかったことは残念だけど」
平気なはずはない、感情を出さないのは淑女の矜持か、彼女の性格か? でも、固く握られた拳は小刻みに震えていた。強がる姿が健気で可愛い、ギュッとしたい!
「君って子は……。管理官なら家族の行方を知っている可能性はあるぞ」
「もういいわ、家族とも思われていなかったんだし……、ディッグス子爵から手紙一つなかったんだから」
「それでこれからどうするんだ?」
「仕事を見つけるにしても、この領地は豊かではないようなので難しいでしょうね」
「他に親戚とかいないのか?」
「亡き父の実家のメルビン男爵を訪ねてみようかしら、領地は所有してないけど、隣町でレストランを経営してるの。叔父が家督を継いだので、就職先を紹介してもらえるかも知れないし」
と言いながらも浮かない表情は見逃さない。
「親しい間柄ではなさそうだな」
「なんで見破るのよ、そうよ、父が亡くなったとたん乗り込んできて、母は追い出されるように再婚するしかなかったの、そうでなければディッグス子爵のような男の元へは嫁がないわ」
「結局、君ってあちこち振り回されて苦労してるんだな」
「それでも、虐待されたり、苛められたりしたわけでもなく、生活には困らなかったから」
* * *
その翌日、三度目のデジャヴ。
メルビン男爵が経営していたはずのレストランには、売り家の看板が立っていた。
「もう五年も前になるかな、食中毒を出してね、そりゃ酷かったよ、亡くなった犠牲者の大半が体力のない子供だったから……。当然、親に責め立てられるわ、賠償金やなんやらで負債を抱えて潰れたんだ。そんな曰く付きの店に買い手はつかず、五年経った今でも当時のままだよ。今では若者が肝試しに使う呪いのスポットになっていて、近所の俺たちはとんだ迷惑だよ」
近くの店のオーナーが説明してくれた。
「メルビン男爵の行方? それは知らんな、夜逃げ同然にこの町から出て行ったからな」
「ここもなの……どういうことなのかしら」
「どういうことって、君になんの連絡も寄越さなかったことを怒れよ」
「別に怒りはないし、ディッグス子爵家もメルビン男爵家も疎遠だったから」
「君と母上を邪険にした罰が当たったんじゃないか?」
「まあ、そんな疫病神みたいに言わないでよ」
疫病神だって? その反対だよ。
俺には別の考えが浮かんでいた。リーシャがその家を離れたから不運に見舞われたのではないのか?と。彼女が幸運をもたらしていたから繁栄していたが、去ったからその恩恵が受けられなくなったとか。
だって、彼女の雰囲気は似ているんだ。
前世の日本にいた〝アレ〟に。
「やっぱり、王都へ戻るわ。仕事を探すなら都会の方がお給金もいいでしょうし、もし、ハミルトン侯爵家の人とバッタリ会うことがあっても迷惑がかからないように全力で逃げるわ」
「逃げるって……」
俺は彼女がドレスをつまんで走る姿を想像して噴き出してしまった。
でも、彼女にそんな肩身の狭い生活をさせたくない、リーシャはなにも悪くない、逃げなければならないことは何一つしていないのだから。
「フィーメル領に来いよ、しばらくは俺の家に滞在するといい」
俺は提案したが、彼女はすかざす、
「とんでもない、私はもう平民なのよ、貴族のお邸でお世話になるなんて……、あっ、そうか、下働きで雇ってもらえれば」
「バカ言うな、君に下働きなどさせない」
「同情はいらないわ、私こう見えても図太いんだから」
「同情なんかじゃない」
これは同情じゃなくて……。
「君を放って置けないんだよ、この五日間一緒にいて、俺は」
そう、俺はリーシャを好きになっていた。ここで手放してはいけないと強く思った。でも、どう言えばいいのか……。
まともに話してから五日しか経っていないのに、いきなり〝好きだ〟なんて告白したら、軽い奴に思われてしまうのではないか?
口ごもった俺を見てリーシャは小首を傾げている。そんな仕草がまた可愛い。
女性を口説いたことなどない、甘い言葉は俺の辞書にない、どうやってこの気持ちを伝えればいいかわからない。
「まあ! 顔が赤いわ、風邪でもひいたの!?」
あきらかに挙動不審になった俺を見て、心配したリーシャは額に手を当てようと伸ばした。
俺はその手を握り、
「結婚してくれ!」
「へっ……」
リーシャが目を真ん丸にしたのも無理はない。
「…………」
後の言葉が続かない。
「あ、あの……痛い」
「そうだよな、イタイよな、いきなりそんなこと言われて、気持ち悪いよな」
「そうじゃなくて、手が」
「あ……」
思いのほか強く彼女の手を握ったままだった。
「ゴメン」
俺は慌てて手を放すと、恥ずかしさに俯いた。ポンコツ過ぎる、いきなりプロポーズはないよな。
「あの……今の言葉は」
「突然言われても困るよな」
「困ると言うか……、だって、ちゃんと話をしたのは五日前だし、それまでは接点がなかったのに……、一目惚れ? それはないわよね、こんな見た目の私ですもの、地味で陰気だといつもステファン様に蔑まれてたし、わたしなんかが殿方の目に留まるはずないもの」
表情は変わらないが、妙に口の滑りが良くなったのは照れ隠しなのかも知れない。
「いいや、君のことは入学時から知っていたよ。その烏の濡れ羽色の髪はかえって目立つからね。いつも隅っこにいたみたいだけど、どこにいてもすぐに見つけられた、きっとその時から気になっていたんだよ、だからディッグス子爵家のタウンハウスの前でチラッと見かけた時もすぐに君だとわかった」
そうだ、ずっと気になっていたんだ。
「でも婚約者がいる自分としては、安易に声を掛けられなかった。俺は婚約を重んじていた、ジョアンヌは平気で裏切っていたけどね」
「ステファンもね」
「ジョアンヌとは五年も婚約していたけど、一度もときめいたことはなかった。もちろん婚約者としての義務は果たしていたし蔑ろになんかしていない。でも、気持ちがないのは伝わっていたんだろうな、彼女には申し訳ないことをした」
「あんなフラれかたをしたのに、アンソニー様ってお人好しね」
「君には負けるよ」
「私もあなたのことは知ってたわ、美しい人だなと憧れを抱いてたから、あら、美しいって殿方の誉め言葉じゃないわね。でも、私なんかのことを見ていてくれたなんて……」
リーシャはポッと頬を赤らめた。
「私なんかって言うな、君は綺麗だよ」
俺は彼女の手を握った。今度は力加減に気を付けて優しく包み込むように。
リーシャの顔がさらに赤くなる。はにかんで目を泳がせる彼女が可愛い。
「無理……眩しすぎて直視できないわ」
「眩しい?」
「だって、アンソニー様には自覚がないの? そんな美しい顔を至近距離で見たら、私の目がつぶれてしまうわ」
「大袈裟だな」
でも、こんなふうに動揺して表情を露にした彼女は初めてだ。と言うことは、脈ありなのか?
よっしゃ!
* * *
俺にしては頑張ったんだ。ぎこちない言葉だったろうけど、彼女に想いを伝え続けた。そして俺たちはフィーメル領までの二週間の旅で、お互いの気持ちを深め合った。
俺はこうしてジョアンヌと婚約していた五年間の黒歴史を、その二週間で塗り替えた。
悔しいけど、アイツらの気持ちがわかった。もう、リーシャと離れられない、離したくない。コレが〝真実の愛〟なのかな?
もちろん不埒なことはしていないぞ、俺は紳士だからな……ヘタレとも言う。
俺がリーシャを連れて帰ったのを見て、両親は目を丸くした。
そして、彼女と結婚したいと告げると、さらにあんぐり口を開けて間抜け面を晒した。
「お前も浮気してたのか!?」
「違うし!」
驚く父に、これまでのことを説明した。
婚約するにあたって、リーシャの身元を調べてくれた。やはり子爵家からは籍を抜かれていた。ディッグス子爵家は破綻して爵位と領地を返上し、その後は行方知れずだった。
「きっとハミルトン侯爵は知っていたんだろうな。どうしたものかと思案していたところ、息子と第二王女との浮気が発覚して、それを機に面倒だからなにも知らぬふりをして追い払うことにしたんだろう。赤の他人とは言え、無責任なことするもんだ」
義に厚い父が憤りを覚えるのも無理はない。
父は彼女の身分が平民のままでは肩身が狭いだろうと、養子先を探してくれた。もともとは子爵令嬢なのだから、難なく養子先はみつかった。フィーメル辺境伯家に恩を売れるのだから、相手にとっても悪くない。
ちなみに、王家に対しての報復はリーシャが止めたので無しになった。国王陛下はさぞホッとしただろう。まあ、ジョアンヌがやらかしてくれたお陰で、俺とリーシャは結ばれたんだから、ある意味恩人とも言えるし。
一年後、俺たちは結婚した。
リーシャが来てから辺境伯領は作物の実りが良く領地は潤った。それまでは難航していた隣国との貿易もスムーズに運ぶようになり、さらに儲かった。
翌年、長男が誕生した。残念ながら俺譲りの銀髪だ。リーシャみたいな黒髪の方が良かったのに。
その年、所有する鉱山から金脈が発見され、フィーメル家はさらに富を築いた。領都も王都に引けを取らないほど発展を遂げた。独立されては大変と、王家は以前にも増してフィーメル家の顔色を窺うようになった。
一方、ジョアンヌを嫁に迎えたハミルトン家は、贅沢なジョアンヌの散財に加え、領地は悪天候続きで作物が枯れ、飢饉に見舞われた。他の事業もことごとく頓挫し、今回はかつてのディッグス子爵家のように手を差し伸べてくれる家もない。今度こそ領民を救済する余裕はなかった。領民はハミルトン領から逃げ出し、領地は人が住まないひび割れた荒れ地と化した。
ジョアンヌはハミルトン家が困窮すると、そそくさと王宮へ逃げ帰ったが、その後、遠方の国へ嫁がされたらしい。相手は五十歳を過ぎた好色家の皇帝で、十二人の側室を囲っており、ジョアンヌは十三人目の側室だそうだ。
その後、ハミルトン侯爵家は没落し、王都から姿を消した。
そんなハミルトン侯爵家の現状を知って俺は確信した。
やはりリーシャはそうなんだ、彼女がいる家は繁栄し、去れば衰退する、前世日本人だった俺は〝座敷童子〟という妖怪を知っていた。
妖怪も死んで生まれ変わるのかな? と思いながらも、座敷童子そのものではないか。
もちろん彼女はそんなこと知らないし、俺もそれが目当てで彼女と結婚したわけじゃない。
でも、この先、フィーメル辺境伯家はきっと安泰だ。もちろん彼女を手放したりしない。彼女が何者でも関係なく愛しているから。
おしまい
数多くの作品からお目に留めて頂いて、読んでいただきありがとうございました。
婚約破棄からはじまる物語をシリーズにしました。他の作品も読んでいただければ嬉しいです。
☆☆☆☆☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。




