序章 大きな箒
荘厳な建物というのだろう。
いつ来ても、静謐で騒がしいこと。
*
帝のおわす内裏が朝から騒がしい。
朝早く、人払いがなされ多くの者がこの場所へ立ち入れなくなった。
いつもよりずっと早く、位の高い者が幾人か現れて吸い込まれるように建物の奥へ消えていった。
おそらくは今上のもとへ向かったのだろう。
その様子を、小さな童女がずっと観ていた。
名前を芽衣子という。
身分は高くない。
観ていたといっても、掃除をする手を止めてはいない。
そんなことが見つかれば、たちまちおしかりを受けてしまうから。
芽乃子は一人、庭を掃き清めている。
たまたま芽乃子が庭を掃く番だったためだ。
この場所だけは特に整えておくようにとのことで、身分に関わらず一人だけ残ることを許されたらしい。
他の者は早々に別の場所へ配置されて、広々とした庭に小さな童女が残された。
童女といってももう十四になる。
小さな体つきのせいか、十を超えるかどうかにしか見えないとよく言われてはいるが。
竹ぼうきで玉砂利の上の木の葉を器用にかき集めながらため息を吐き、少女はついと視線を大門へと向けた。
掃いても掃いても降ってくる紅葉や桜や銀杏の葉。
(さっきからずっと、あれが混ざってこない)
目に映る色は鮮やかで、赤や黄色がまるで錦のように美しい。
いつもなら、掃いても掃いても隅の方からちょろちょろと湧いて出てくる小さな異形の<モノ>。
綺麗な色に灰色の影を差す好ましくない存在。
芽乃子にはごく小さな頃から異形のモノが見えている。
また、追い払うことができる。
そのことは、ここへ連れてきてくれた女房以外、この内裏の誰も知らない。
ひっそりと気づかれないように、こうして時折掃除をしては清めているのだ。
内裏には降魔の一族と呼ばれる家の者たちがいて守っているから、真ん中へは滅多に現れることはないのだと前に教えてもらった。けれど少し離れた敷地の中には、いつもたくさんのモノがうごめいている。
とるに足らないモノを<彼ら>は相手にしない。
位の低い者たちは守られない。
だから芽乃子は少しだけ掃き出しているのだ。
毎日毎日掃除をするという形で払っていたモノ。
それが一時ほど前から全く出てこない。
朝も昼も夜も見かけなかったことなど一度もなかったというのに。
まるで大きな箒にでも掃き出されてしまったように、辺りにはなにも「見えない」。
空気が澄んでいく。
遠くでとても騒がしい声がする。
と。
波紋が広がるかのように、空気がゆるやかに震えた。
(何かがやってくるわ)
騒がしい声は、モノたちの声。
人ではない、良くないモノが悲鳴を上げている。
一部の人を除いて、この音はきっと誰にも聞こえていない。
(こんなこと、初めてだわ)
空気はどんどん澄んでいく。
ふいに門の中まで入り込んだ牛車が小さな童女の目に入った。
(嗚呼、大きな箒はあの方だ)
幽かな車輪の回る音を立てながら、牛車は芽乃子の前を通り過ぎ、内裏に上がる檜の階段の前で止まった。
いつの間に現れたのか帝に仕える高貴な女房が二人、頭を深く下げている。
ゆるゆると牛車の御簾が上がり、網代傘を被った女が一人降り立った。
季節外れの桜色の衣をまとった、姿の美しいひとだった。
帝の女房たちは礼儀正しく、まるで己の主である貴人に仕えるがごとく女を先導した。
「姫様、こちらへ」
姫様と呼ばれた女は、殿上人の娘ではない。
姿形だけではない。
身を包む気配が、ただ人とは明らかに違うのだ。
その顔は網代傘ととりつけられた上等な絹の薄布で隠されているので、側を通るものがあってもうかがうことはできない。
ちらり、とその方の視線が己へ向いたように芽乃子は感じた。
(気のせい・・・よね)
網代傘の女はそのまま内裏の内側へ入り、見えなくなった。
それでも、空気は澄んだまま辺りは静まり返っていた。




