8.出会い編1
※出会い編、ここからは短編では無かったお話になります。
旦那様、イグナート様と出会う前の私は商人の娘で、ナタリア・エイムズだった頃。貴族でなく、人族だった私の両親は商業の才能があり財をなした。成金。そう一部の貴族たちから呼ばれ、嫌がらせも何度かあった。
身分の低い者が、貴族以上に財を得ると行われる洗礼のようなものだった。平民でも亜人族であれば、違ったのだろう。でも私の両親はどちらも人族だったので余計に馬鹿にされた。
亜人族同士の結束は固いため、分家であっても本家が出張ってくるほど身内には情をかける。だからこそ損得あるいは身分や権利を失いたくない人族は、足の引っ張り合いをするのだ。いつ自分たちが食い物にされるか分からない、一瞬でも気が抜けない戦場のような場所が私の世界だった。
そしてその日、貴族たちは人を雇って両親の商会に火を放った。明け方の夜が明ける頃合いを狙って、商品のある商会に火を付けたのだ。警鐘を鳴らす鐘の音で飛び起きて商会のある建物に向かうと、深紅の炎が三階建ての建物を呑み込みつつあった。
黒々とした煙が立ち上り、野次馬や火を止めようとする人たちの怒号がする中で、二階の窓から小さな手が見えた。
たぶん、子供の。商会に居住スペースはない。だとしたら迷い込んだ子か、それとも盗みで入り込んだ子供か。そんなことはどちらでも良かった。ただ見てしまった以上、見過ごすことはできない。商会で子どもが死んでいたら、その責任は両親に向くことは必至。何より私には本当は弟ができるかもしれなかった。でも貴族の嫌がらせもあって、流れてしまったのだ。
だから、自分よりも小さな子がいるのなら助けたい。私の手の届く範囲なら──。
だから井戸からくみ上げられたバケツを掴んで、頭からぶちかけた。周囲の大人が何か言っていたが、振り払って火に包まれつつある建物の中に突っ込んだ。煙を吸わないように、水に濡らしたハンカチを口と鼻に当てる。
大丈夫。建物の構造は頭の中に入っている。最適解のルートを辿って外から見た場所へ向かうと、身綺麗な幼い男の子が足首を縄で縛り上げられて倒れていた。
すぐに抱き上げて踵を返すが、炎の勢いは思いのほか速く、出入り口は火に包まれていた。戻るのは不可能。
それなら窓から飛び降りる。大丈夫。二階からなら足を折るぐらいで済む。誰かが死ぬより、誰かを見殺しにしてしまうより、ずっといい。
迷いなく、窓ガラスを割って空に飛び出した。足場の失った感覚、浮遊感の次に地面に引っ張られる感覚に身が震える。衝撃を痛みに備えていたが、いつまで経ってもやってこなかった。代わりに何か大きなものに抱き留められた感覚。
「あれ……?」
「まったく、これだから人族は」
低く苛ついた声。でも抱き留めてくれた腕の中はがっしりとして力強くて、温かかった。顔を上げると朝日と共に漆黒の髪に、金色の鋭い瞳と目が合う。
ばさばさと大きな大鷲の翼が視界に入る。ああ、この方は大鷲族の──。
紺色の騎士服に身を包んだ偉丈夫は、私と男の子を軽々と抱きかかえて、浮遊しつつ石畳に下ろした。投げ捨てられるかと思ったけれど、思っていたよりも丁寧だったので驚いてしまった。
「なんでこんな危険な真似をし──……た?」
説教するつもりだった彼の声が尻つぼみになっていく。何かとてつもない衝撃を受けたのか、固まっている。信じられない、と言った顔だわ。背中の翼が見たことのないくらい、ばさあぁぁぁぁと広げていた。
リンゴン、と起床の鐘が鳴り響く。
そこで登校時間が迫っていることに気づく。一日でも遅刻すれば退学となることを思い出し、とにかくここは感謝を精一杯伝えて、この場を離れなければならない。幸いにも両親や商会の人たちが私の元に駆け寄ってる姿見える。
「騎士様、ありがとうございました! 騎士様がいなければ本当に危なかったです。このご恩はいずれまたお返しします! 私はこの後急がなければならないので!」
「君が……私の【運命のツガイ】……」
「いえ、違うと思います! 私はただの商人の娘ですので、貴族様の、まして大鷲族様の伴侶では無いと思いますわ。それでは今度こそ失礼します!」
気絶している男の子を押しつけるのは心苦しかったけれど、こっちは退学がかかっているのだ。後で誠心誠意謝ると誓って、その場から逃げ出した。すれ違いざまに両親に色々丸投げしてしまったけれど、それは許してほしい。
***
そんなドタバタした一日のせいで当然、朝ご飯を食べている余裕もなく、もったいなかったけれど清浄魔導具で汚れを落としてから制服に着替えて、急いで王国魔導学院にまで走った。馬車などの貴族様が乗るようなものはない。学院までの辻馬車はあるけれど、この時間は混んでいて乗れない可能性が高いのだ。
幸いにも最短コースで走れば、なんとか間に合う。
狭い路地や屋根上を駆けて、学院の門が閉まる前に滑り込んだ。人族で平民は在学中、一日でも遅刻、早退、欠席すれば即退学。そんな階級制度の縮図を絵に描いた地獄がこの王国魔導学院だ。
人族で、平民は日陰をこそこそしながら、息を殺して、空気に溶け込むように生活しなければならない。ただその分の見返りとして三年で卒業資格を貰えるのだが、これがあるか無いかで、今後の人生が大きく変わる。
就職先の斡旋はもちろん、商売をするにも優遇度は違うし、免除額も異なる。貴族様との交渉も認められる特別な許可証のようなものだ。両親はそれがない。だから娘である私が獲得できれば仕事にも役立つし、私自身生きていくためにも武器は多い方がいい。
だからどんなことがあっても、学院には通っている。成績も一二年では目立たないように中間にいるようにして、三年生からトップを目指す。一二年で有能さを発揮すると、大抵潰されるのだ。でも三年になると講師たちも有能な人材をダメにしたくないと考えているようで、身分による嫌がらせや妨害を三年生徒相手に行うと、ペナルティーが発生するようになっている。
一二年で行わないのは、篩に掛けるためなのだろう。
そんな訳で私は今日も静かに学院生活を送るため、全力を尽くす──はずだった。けれど教室に向かう途中、廊下で講師の一人に声をかけられた。学院内で講師が私に声をかけることなんてないのに。
「ナタリア・エイムズ。校長室に来なさい」
私にとっては絶望的な言葉だった。何かした覚えはない。何らかの因縁を付けられて、退学にさせられたらどうしよう。絞首台に向かう気持ちで校長室に足を踏み入れる。
「ああ、彼女です」
聞き覚えのある声だった。顔を上げるとそこには、今朝会ったばかりの偉丈夫がソファに座っていた。刃のような鋭い眼光が私を射貫く。
こんなところまで訪れたのは一体!?
背筋に冷や汗が流れ落ちる。緊迫した空気の中、彼は言葉を続けた。
「彼女が私の【運命のツガイ】なのは間違いありません」
「いえ。違いますよ」
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出会い編、ここからは短編では無かったお話になります。




