6.イグナートの視点2
6.イグナートの視点2
あの日、妻の手を振り払ったせいで、私は最愛の妻と生まれてくるはずの我が子を永遠に失ってしまった。【運命のツガイ】を失うと孤独に耐えられず、発狂してしまう者もいる。事故や病死であれば持ち直す者もいるかもしれないが、私の場合は──私が、妻を死に追いやった事実があった。
いいや私が妻を殺したのだ。
歪狂愛という香水によって、世界は滅亡した。かの香水は【運命のツガイ】となる相手をねじ曲げる効果があり、副作用として狂戦士と化して理性が利かない。衝動のままに破壊行為を繰り返す。
私は、私の妻を死に追いやった自分を許せず、また彼女を罠にかけて夫人の座を奪おうとしたヴィルヘルミナ・ワン嬢および竜族を滅ぼした。捕らえた令嬢は一族が滅ぶまで生かし、「お前のせいで一族は滅ぶのだ」と罵声を浴びせて、できるだけ苦しめて殺した。
その頃には秩序などなく狂戦士たちしか残っておらず、自分ができるだけ酷たらしく死ぬために強者を殺して行くも、死ぬことができず生き残ってしまう。
そうやっていつしか魔王と恐れられ、恐怖による秩序ができあがっていた。妻の愛していたダリアの花が咲くような土地は地上から消え失せ、血の匂いと、瘴気と霧だけの漆黒の土地があるばかり。いつの間にか頭には捻れた角が生えて、羽根も三対六翼になっていたが、妻が愛していたふわふわ感はない。むしろ刃のように鋭く、簡単に命を奪う兵器となっていた。
「ナタリア……」
孤高の玉座に座りながら思い出すのは、彼女との甘く懐かしい日々ばかり。ひび割れた記憶に縋り、夢を見る。もう戻ることのできない時間。
何よりも大切だった宝物。
そんな私の元に金髪の青年が訪れた。ふとアンブローズ国王陛下を彷彿とさせる青年は深紅の瞳に希望を宿し、私を見返す。
「魔王、いえイグナート殿。我が王家には時戻しの魔法という禁術があります。それを使えば、過去をやり直すことができるかもしれません」
「過去を? それで王子として栄華を誇る人生をやり直したいと?」
鼻で笑った。だが、王子は違うと言い切った。暗澹たる眼で私を見返す王子はすでに壊れかけているのだろう。一縷の望みが、希望が、理性を保っている鍵なのだろう。
「王位も、権威も何もいらない。……ただ、私は生まれるはずだった【運命のツガイ】に会いたいのだ。出会って、顔を見たい、話をしたい、触れたい……そんな未来がほしい」
「それが私と何の関係が? ああ、時戻しの魔法を使うための魔力が自分自身では足りないから、私に声をかけたのか」
【運命のツガイ】。
自分が人族であれば、あんな終わり方を妻にさせなかった。たとえ世界が滅ぶとしても、あんな──悲しい顔をさせなかったはずなんだ。
手を弾いた時の妻の顔を、私は生涯忘れない。
驚いて目を見開いて、次の瞬間拒絶されたことに傷ついた顔をしていた。手を伸ばしたのに届かなかった時の諦めた──困った顔。死に向かって瞳に光が消えていく姿。冷たくなっていく体温も、全部覚えている。
一人で逝かせてしまった。
あの時、私も一緒に死ねば良かったのに、どうして私は今も生き残っているのだろう。そうだ、凄惨な終わりを望んだ。愛する妻の傍らで眠る資格などなかった。
許されるはずない。許されてはならない。
私は断罪され、誰にも看取られずに死ななければならない。そうでなければ妻に、合わせる顔がないだろう。
だからずるずると生き地獄を味わっている。妻の居ない真っ暗な死しかない世界で。できるだけ酷い死を望む。最愛の妻を殺してしまった男にふさわしい罰が与えられるまで、苦しんで、苦しんで、苦しんで……すり潰れるまで生き続ける。
「罰がほしいのなら、貴殿の奥方に下してもらうことも可能だ。この時戻しの魔法という禁術は、使用者とその近しい者たちの記憶を残したまま時戻しを行う。つまり時戻しを行った者たちの中で、この未来を覚えている者がいるということ。貴殿が術者の一人として協力するなら、間違いなく奥方は記憶を残したまま死に戻りをする」
「妻に……」
妻にまた会える。妻が私を終わらせるのなら、断罪してくれるのなら、喜んで受け入れよう。そんな気まぐれだった。
王子の【運命のツガイ】候補は生まれる前に亡くなったらしい。それがあの忌まわしい歪狂愛が出回った頃だとか。
占い師の話では候補は五、六人いるらしい。その中で事故死した者。
そうまでして【運命のツガイ】に会いたいだろうか。王子は王子で並々ならぬ執念を持っていた。
私は妻に、会いたい。会って謝りたい。魔王と呼ばれる前だったら会えることに喜び歓喜の涙を流しただろう。けれど心が壊れた今は、涙も出ない。罰を下してくれる死神として、妻との再会を望んだ。
そう──妻と再会するまでは、そう思っていた。
***
「ちゅ? ……ちゅんん!?」
私は自分の肉体ではなく、薄汚れた毛玉のような雀として過去の時間軸に戻って来た。私は魔王として大鷲族とは外れた存在の魂の形をしていたため、自身の魂に戻れなかったらしい。あまりにもイレギュラーだったが、それでも妻に会えるのならもう何でも良かった。
それになのに。
私が何者なのか分からないと思ったのに。
目が合った瞬間、妻は私を抱きしめて泣いた。
「イグナート旦那様?」
「──っ、ちゅんんん!」
どうして、分かったのだろう。
妻は人族で、匂いで私が何者か分からないはずなのに。【運命のツガイ】だと匂いで、直感で分からないのに、どうして私だと分かるのだろう。でもいい、私を見て怯えて、怒って、罵って──。
「旦那様、そんなに自分を責めなくても、あれは事故だったのですよ」
どうして君は、そんなことを言うのか。
あれはどう考えても私が君を殺したようなものなのに。
君を拒絶して、傷つけて、。一人で逝かせてしまった。
それなのに、君は──。
「旦那様、旦那様を嫌いになるなんてありませんわ。今も、ずっと変わらずに私の中で大好きなのは旦那様です。あの時、旦那様の異変に気づいたのに……置いて逝ってしまってごめんなさい。あれは旦那様のせいではないわ、事故だったのですから。だから、自分を責めるのも私に謝罪するのもなしですわ。そうしないと、ううん、そうしなくても私が一方的に旦那様を愛でて、愛して、キスをしてギュッと抱きしめて離しません。これからはずっと、一緒です」
私のずっとほしかった言葉を、君はどうしてくれないのだろう。
どうして私を罵って、怒って、嫌いだと──言わないのだ。君に愛される資格など私にはないというのに。
妻の、ナタリアの言葉一つ一つが、私の強張った心を潤す。
心が枯れた? 壊れた?
違う。ただ心が凍っていただけ。いや壊れていたとしたら妻が癒した。完全に私の認識不足だったのだ。私だけではなく、妻を悲しませて自分だけ不幸に酔って恥ずかしい。
ああ、もし叶うのなら、今回は私のような愚かな過ちを犯さず、私の知る未来とは違う選択肢を──。
その思いだけで翼を広げて、私は過去の私へと戻る。妻と再会して魂の形が戻った今なら、かつての私に戒めぐらいには役に立つだろう。
そして魔王の記憶をどこか他人事のように客観視しながら、私は受け入れた。救えなかった未来の末路を、絶望を、罰を、願った愚かな男の生涯を背負った。
***
「つまり私とナタリアの子が、殿下の【運命のツガイ】の可能性が高い……と?」
「そうだ」
よりにもよってこの王子の伴侶が私の娘の可能性が高いとか、頭が痛くなってきた。この男の【運命のツガイ】に対する執念は狂っている。正直、まだ生まれてもいない我が子の伴侶が決まっているとか認めたくない。
「まあ。でも可能性があるだけなのなら、生まれてから場を設けることにしましょう」
「ふじん……」
うるっと泣きそうな顔をしているが、妻はそっと王子の頭を撫でた。私の妻は聖母かなにかだろうか。慈愛と美しさで満ち溢れている。
「この子が生まれた瞬間から、そのように決められるのは好きではありません。それに【運命のツガイ】だったとしても、私も夫もちゃんと恋人としてお付き合いをしてから、結婚をしておりますわ。お互いの気持ちを尊重できずに一方的な愛情の押しつけは許しません」
「凜として強気な妻が愛おしい」
「旦那様ったら」
そうだ。【運命のツガイ】だからといって婚姻を迫ったら断られて、友人から関係をスタートしたのだった。懐かしい。あの時から妻は素晴らしかった。
「そうしているあいだに、うばわれたくない」
「あら、王子だけしか選択肢がないのと、大勢の中から貴方様を選ぶのでは、全然違うと思うのだけれど、生まれてくる子にたくさんの選択肢を与えてくださらないの?」
「うぐっ……」
妻はどこまでも聡明で、芯がしっかりしていて強い。朝ごはんを食べないと途端に嘘がつけなくて、本音をたくさん言ってしまう可愛い人だけれど。
王子の狂人めいた思考を和らげて、癒やす。
あっという間にブルーノ王子に気に入られ、ナタリアの知名度はもちろん王家の後ろ盾を得たことで、ちょっかいを出そうとする令嬢はいなくなった。
もっともヴィルヘルミナ・ワン嬢は私の妻に危害を加えるつもり満々だったので、さっさと処理をした。一族もろともはさすがにやり過ぎだと判断し、《クレセントラビット商会》と繋がりがあった者、売り出す予定だった歪狂愛のレシピや製造を知る者は全てを闇に葬った。
今度こそ、守り切る。そう私は私の魂に誓ったのだから。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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