5-2
今まで死にそうなほど弱っていた灰褐色の雀は飛び上がり、私の傍に歩もうとするが衝動を堪えているように見えた。そんな葛藤している灰褐色の雀にそっと触れた瞬間、訳も分からず涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
深い後悔と、自分自身への怒り。懊悩が伝わってくる。
ああ。彼、いいえ、この方は──。
「旦那様。そんなに自分を責めなくても、あれは事故だったのですよ」
ふと気づいたらそう呟いていた。ボロボロの羽根に触れた瞬間、彼が何者なのかはっきりと分かった。こんな姿になってまで、私を追いかけてきてくれたのね。一ヵ月後、一度私が終わってしまった世界のイグナート様──旦那様。どういう法則あるいは魔法を使ったのかは分からないけれど、この旦那様は私が一度終わってしまったことを知っている。そしておそらく私が時を逆行したのは、旦那様が関わっているのね。
両手で抱きしめて、そっと頬に近づけた。
「ちゅっ!? ちゅんんん!」
目を潤ませて震えた声で鳴く。だいたい言いたいことが分かってしまう。艶のある黒髪が灰褐色になって、白髪も少しあるわ。
触れるたびに微かに震えて。
体がとっても軽いし、とっても冷たい。たくさん傷ついて、魂をすり減らして、それでも私に会うためにここまで来てくれたのね。
そう思うと涙が止まらなかった。
私はこの人を置いて逝ってしまったのだ。この不器用で、寂しがり屋で、優しくて、過保護で、愛情深い大事な夫を残してきてしまった。
「旦那様……っ」
あの日、旦那様が手を伸ばして助けようとした姿を思い出して、胸が痛んだ。
私の両手の中で震えている旦那様は、ずっと苦しんで、後悔して、ここまで来た。来てくれた。だから精一杯私もその思いに応えたい。
今、旦那様がほしいのは罰なのかもしれない。責め立てて、どうして助けてくれなかったのか。どうしてあの時に、守ってくれなかったのか。流れ込んでくる感情は後悔と、自分自身を許せない強い思い。
罰を望んでいたとしても、私はその願いには応えられないわ。だって痛々しいほど傷ついた旦那様の心に触れるたび、涙が溢れて止まらない。
小さく震える灰褐色の雀にキスをする。
「──!?」
「旦那様、旦那様を嫌いになるなんてありませんわ。今も、ずっと変わらずに私の中で大好きなのは旦那様です。あの時、旦那様の異変に気づいたのに……置いて逝ってしまってごめんなさい。あれは旦那様のせいではないわ、事故だったのですから。だから、自分を責めるのも私に謝罪するのもなしですわ。そうしないと、ううん、そうしなくても私が一方的に旦那様を愛でて、愛して、キスをしてギュッと抱きしめて離しません。これからはずっと、一緒です」
「ちゅううっん、ちゅんんん!!」
ふわふわの羽根を愛でて、キスを繰り返すと少しだけ元気になったようだ。弱々しい羽根を広げて、好きだとアピールしている。どんな姿になっても旦那様は、旦那様だと思うと胸がホッコリと温かくなった。でも感動的な再会の後は、必ずしもハッピーエンドにはならないらしい。灰褐色の雀の羽根がボロボロと落ちていく。
「──っ」
「ちゅん、ちゅんん」
「ダメ。そんなこと言わないで。いなくならないでください」
「ちゅん」
旦那様は震える羽根で私の涙を拭ってくれた。頬にすり寄って、キスも。でも私の両手から飛び去ってしまう。その足指が崩れかけているが見えた。
「旦那様! イグナート様! 待って! ダメ!」
そう呼んだと同時に正装姿の旦那様が、部屋に戻ってきた。両手には料理と飲み物を持っている。
「イグナート様!」
「ナタリア? 少し遅くなってしま……──っ!?」
灰褐色の雀は旦那様の中に飛び込み消えてしまう。慌てて旦那様に駆け寄ろうとしたけれど、一歩前に出た旦那様が私を抱きしめる。
両手に抱えていた料理と飲み物は、後ろから部屋に入ってきたボリスが見事にキャッチしていた。
旦那様がぎゅうぎゅうに私を抱きしめて離さない。胸板に押しつけられて少し痛いけれど、背中に手を回した。旦那様……震えている?
ばさああ、と羽根が背中から生えて、羽根が部屋に舞った。翼は私ごと隠すように、守るように、包み込む。
「旦那様」
「ナタリア、ナタリア……なぜだかわからないのだけれど、無性に君を抱きしめて、しまって……でもすまない。しばらく、私が落ち着くまで何も言わずに、このままでも良いだろうか」
「──っ」
「ナタリア?」
「──っ、はい。もちろんですわ。旦那様、大好きです。……もう、どこにも逝かないでください。私もどこにも逝きませんから」
「ああ」
どうして未来の旦那様が過去にいるのか。国王陛下とブルーノ王子はどこまで知っているのか、どうやって時を逆行させたのか。疑問ばかりが募るけれど、未来の旦那様が今の旦那様の中に戻って、独りぼっちのまま消えないで良かった。
***
「お、お見苦しいところをお見せしました……」
王族の前で何という失態を!
そう思いながら、私は隣に居る旦那様と手を繋いだまま、国王陛下とブルーノ王子に頭を下げた。
「はははっ、かまわないさ。ブルーノからも今回の件は聞いている。さて、ラリオノフ夫人。君は逆行前の記憶があるのだね」
「!?」
ずっと黙っていた国王陛下は、このことを確認するために待っていたのだろう。旦那様と繋いでいた手に力が入る。旦那様に視線を向けると「正直に話してくれ」と応えてくれた。私を気遣ってくれる金色の瞳に笑みを返しつつ、国王陛下に向き直る。
「はい。一ヵ月後、不幸な事故があったことを鮮明に覚えていますわ」
「そうか。……では、ブルーノ」
「はい。……ふじん、ぶしつけなおねがいなのですが、……その」
「?」
「ギュッとして……ほしい」
「ええっと」
「私からも頼む」
ブルーノ王子のよく分からない頼み事だったけれど、まだ幼い彼には母親のような女性の温もりが恋しいのかもしれない。国王陛下からも頼まれたので、旦那様は何か言いたげな顔をしていたが、私の手をそっと離した。
改めてブルーノ王子の前に跪いて、そっと抱きしめる。
子供が生まれたら、こんな風に抱きしめるのかしら?
そんなことを思い幼い王子を包み込んだ。王子は一瞬だけ体を強張らせていたが、すぐに力が抜けて私に身を預けてきた。
「ふっ……うっ……」
「ブルーノ王子?」
今度はブルーノ王子が声を上げて泣き出してしまい、殿下が落ち着くまで背中を撫で続けた。堰を切ったかのように泣き出すのは、さきほどの私と同じように殿下も未来の記憶を持っているのだろうか。
それらの事情が知るのは、もう少し先だった。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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新作短編です(企画ものです)
「石榴の瞳と紫水晶の瞳が出会うとき」
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