3.イグナートの視点
3.
妻が可愛い。妻が超絶可愛い。妻が可愛いいいいい。
結婚したらより可愛くて、愛らしくて、愛おしくて困ってしまう。明るいオレンジ色のふわふわの髪に、琥珀色の瞳、愛くるしい顔はいつも表情がめまぐるしくて、その一つ一つが愛おしくて堪らない。
結婚するまで、いや【運命のツガイ】であるナタリアと出会うまで、人族など無価値な存在だと認識していた。脆弱で短命、臆病で、嘘つきで、狡猾。そのイメージをまるごと払拭したのは、ナタリアだ。
【運命のツガイ】なんて信じていなかったし、どうでも良かった。そもそも眼光が鋭すぎて、異性とまともに目を合わせることが困難だったのに、妻は嬉しそうに微笑み返すのだから、【運命のツガイ】以前に、その言動だけで惚れない訳がないだろう。それなのに今日の朝、唐突に離縁したいと言い出した。
どうして? 昨日まではあんなに……。
ああ、もう帰りたい。早くナタリアをギュッとして不安ごとを取り除きたい。こんな感覚は彼女と出会って求愛したあの日のように、落ち着かない。
騎士団施設に足を踏み入れつつ、ため息が漏れた。
「…………正直に言って死にそうだ」
「え、団長。不治の病にでもなったッスか?」
「違う。……妻が急に、私のためにも離縁した方がいいと言い出してだな」
副団長のジークは兎族でトレードマークの垂れ耳に、クリーム色の髪、糸目の青年だ。好青年で私と違い、周りとのコミュニケーション能力が高い。
そんな彼に珍しく愚痴を吐いたのだが、妙に神妙な顔をしている。
「珍しいッスね。団長を好きになる奇特な女性なんて今後現れないですし、どう見ても団長ラブな奥方だったのに……」
「お前は貶したいのか、慰めているのか、フォローしているのかどっちなんだ」
「事実を述べたまでッス」
「団長。本日も竜族のヴィルヘルミナ嬢がお会いしたいと、連絡が入ったのですが……」
騎士の一人が入り口から駆け寄ってきた。
「私は既婚者だと何度言えば……会う気はない。仕事の邪魔だ、追い返せ」
「ハッ! 承知しました」
「……」
はあ、まったく仕事で夜盗から助けて以降、何かとかの令嬢が会いに来ようとする。妻帯者だというのに、何考えているのやら。
「団長、もしかして奥方の耳に、竜族のご令嬢が押しかけているって噂が聞こえてきたんじゃないッスか?」
「は? 大体、噂ってなんだ?」
「そりゃあ、四大公爵家の一角であるワン家のご令嬢が熱を上げていたら、噂になるッスよ。まあ、ご令嬢の狙いは玉の輿であって、団長自身に惚れたって感じじゃないのは丸わかりだし、大半は【運命のツガイ】である妻帯者に無意味だって分かっているッスけど、それは亜人族の感覚で人族は違うッスからね」
「人族……」
確かに人族には【運命のツガイ】だと感じる感覚はないらしい。だからこそ愛されていることに不安にもなると。そう言えばあの令嬢は人族の血が濃いので、名前もワン家にはそぐわない名を付けられたとか。不憫ではあるが、こちらの家庭を引っかき回すのなら、容赦はしない。
「と・に・か・く、人族には愛情表現をしっかりすることが一番ッス。甘い言葉や贈り物とかではなく、本気だと分かってもらわないとダメッス!」
「妻を不安にさせない」
「そうッス。まあ、結婚前のマリッジブルーとか、あるいは子供ができると少しネガティブになるとか」
「子供……(ナタリアとの子供……天使だな、超絶可愛い)」
「団長?」
「……妻に会いたくなってきた」
「今日は定時で仕事を終わらせるようにと調整するので、しっかりと話し合いをするッスよ!」
「ああ。頼む」
そこでいつもは話が終わるのだが執務室に入った瞬間、客人用のソファに国王陛下が腰掛けていた。後ろには近衛騎士まで勢揃いで、いつから居たのだろうか。
「やっと来たか、ラリオノフ公。いや騎士団長」
「国王陛下!?」
驚きつつも、副官のジークと共に片膝を突いて頭を下げる。アンブローズ・オルブライト・エイデン国王陛下。金髪に獅子の耳、深紅の瞳、がっしりと体格で強面に見えなくもないが、非常に温厚かつ有能な王は民にも臣下にも慕われている。
そんな国王陛下は子煩悩で、今年四歳になるブルーノ第三王子を抱っこしている。微笑ましい絵面だが、いったいどんな要件なのだろうか。騎士に興味を持ったご子息のために足を運んだ?
「陛下、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「そうかしこまらずとも良い。……相変わらず眼光が鋭いな。ブルーノが怖がるでは無いか」
「そういう顔なので」
「だが」
「そういう顔なので」
「陛下、団長の表情が崩れるのは奥方の前だけッス」
「そうか。そうだな。……そのラリオノフ騎士団長の奥方についてなのだが、ブルーノが一度会いたいと言い出してだな」
「お断りしても?」
近衛騎士たちの表情が強張ったがどうでもいい。陛下も苦笑しつつ、手を上げて近衛騎士の動きを制した。
「それは困るな。なにせ滅多に我が儘を言わないブルーノが、公爵夫人に会いたいと言っているのだ」
「妻に?」
「なにこの子が欲しているのは母親ではなく、ツガイのほうだ」
「……?」
基本的に【運命のツガイ】となる相手が、複数人いることはまずない。となれば考えられるのは、妻の子、つまり私の──!?
「へ、陛下。まさか、妻が妊娠し、それも殿下のツガイになる可能性がある……と?」
「そのまさかだ。どうやら息子は今日不思議な夢を見たようで、【運命のツガイ】に近々出会えること、そしてその母と子──つまり妊婦が危険な目に遭う可能性があるのだとか」
「なっ……」
後頭部を強打されたような衝撃が走った。ナタリアと私の子に、危険が!?
ふと今朝の妻の言葉が脳裏によぎる。
『その……、私旦那様と同じくらいに大切な……人ができたので、その……だから、私が守らないといけないの。そのためにも旦那様とはお別れしたほうが、旦那様のためでもあると思うのです』
『つまり……私以外に好きな男ができたと?』
『まあ、まだどっちだか分からないわ!』
大切な人。てっきり異性だと思っていたが、私とナタリアの子供なら、私と同じくらい大切だと言われても納得できる。それに『まだどっちだか分からないわ』という発言。思い返せば、今日の妻はどこか様子がおかしかった。
ジークが言っていたとおり、妊娠してネガティブになっている? いやナタリアは私のためと言っていた。これは──。
「王城にも妊娠した上級侍女、女官がいたのも、ブルーノは気づいたのだ。そしてその二人から話を聞くと、双方ともに今朝方妙な夢を見たという。詳細は分からなかったが、未来予知のような少し先の未来だとかで、その二人も近い未来事故や事件に巻き込まれる可能性があるから、と辞表を人事課に掛け合っていたのだ」
「夢……(ナタリアの様子がおかしかったのも、離縁を言い出したのも今朝だ。他の侍女と女官も退職を選んだ。……現状を変えることが未来を変えると思った? あるいは王都にいることで、身の危険を感じた?)」
「その様子を見るに、夫人も何か思うところがあったのかな?」
陛下の鋭い指摘に「そのようなところです」と言葉を濁した。さすがに「離縁したい」と言われたなど、言葉にしたくなかったので誤魔化した。
歯切れの悪い返答に、陛下は怒るわけでもなくブルーノ王子に視線を向けた。王子は陛下とそっくりな深紅の瞳は、私を見返す。
「ぱぁてぃーをするから、ふじんも、きてほしい」
「ブルーノ! そうか。そうだな。急に呼び出すような形だと夫人も驚いてしまうことを失念していた。夫人が妊娠している可能性も考慮して、当日は座る場所や、休憩室も確保するだけではなく、護衛の数も必要だな。さすが私の子だ。なんと聡明で賢いのか」
「ちちうえなら、そうかんがえるとおもった」
「あははは、そうか。それは嬉しいな」
一気に子煩悩まっしぐら──父親の顔で、場の空気が和んだ。確かに用件も無く王城に呼び出すよりは、良いのかもしれない。だが離縁を考えている彼女が承諾してくれるだろうか。離縁、嫌だというか彼女と別れるなんて無理だ。
「数日後に王家主催のパーティーを行う。夫人と一緒に参加するように」
「陛下。……善処いたします」
そう答えながら、まだ仕事も始まっていないのに、もうナタリアに会いたくなった。思えば今日は行って来ますハグも、キスも無かったのだ。
ああ、帰りたい。
ふと王子の両手に灰色の毛玉のようなものが見えたが、気のせいだろうか。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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馴れ初めをちょぴっと入れてみました。
短編後に、過去編(出会い)→双子編→双子視点(大人)を想定してます。多分